9.11同時多発テロ、深夜のテレビ画面と「映画的違和感」の正体
2001年9月11日、
深夜のテレビ画面に映っていたもの
2001年というのは、何かが終わって何かが始まる年だった。
平成の最初の10年が終わり、
バブルの残骸も後処理が進み、阪神・淡路の傷跡もまだ完全には癒えていない中で、
世界は「次の時代」に向けて歩き始めていた。
少なくとも、俺にはそう見えていた。
息子が生まれて2年が経ち、仕事も落ち着いて、日常というものの輪郭がようやく見えてきた頃だった。
そんな2001年の夏が終わろうとしていた9月の夜、世界はまったく別の方向に舵を切った。
実家に呼ばれていた夜だった。
妻も子供も寝静まって、俺だけ布団の中でごろごろしながらテレビをつけっぱなしにしていた。
うたた寝と覚醒のあいだを行ったり来たりしながら、ぼんやりとした意識のまま、ふと目を開けた瞬間に旅客機がビルに突っ込む映像が画面いっぱいに広がっていた。
最初、何が起きているのか分からなかった。
映画のワンシーンだと思った。
それも、かなりよくできた特撮映画の、
迫力あるクライマックスのシーンだと思った。
チャンネルを変えたわけじゃない、
ただ眠りから浮かびあがってきたら世界が変わっていただけで、どこかの夢の続きを見ているような、そういう感覚が最初の数秒間はあった。
妻も子供も起こさなかった。
深夜の静けさの中で、俺はひとりでその映像を見続けた。
何度もリプレイされる旅客機の軌道。
灰色のビル。
白煙。
そして崩壊。
音量を絞ったまま、字幕とアナウンサーの声だけが情報を運んでくる。
ニューヨーク、世界貿易センター、テロ、
アルカイダ。
それらの言葉が画面の中で踊っていたけれど、
映像があまりにも"映画的"すぎて、どうしても頭の中で現実として処理できなかった。
画面の向こうで起きていることと、
俺が今いる実家の布団のあいだには、
途方もない断絶があった。
そこに住んでいる人たちの顔は見えず、
煙だけが上がり続けていた。
旅客機がビルに吸い込まれるように消えていった。
外に大きな残骸が飛び散るでも、機体がはじけて炎が広がるでもなく、ただすうっとビルの中に
溶け込んでいくような、あの映像の奇妙な静けさ。
物理的に何かがおかしいような感覚が、
当時の俺にはあった。
プロレスで言うところの
「これはブックなのか、シュートなのか」という
感覚に近い。
現実と演出の境界が揺らいでいる、あの独特のざわつき。
俺の世代は特撮やプロレスで育ってきたから、
映像の「リアルさ」に対して独特の嗅覚がある。それが9.11の映像を見たとき、どこかで警報を
鳴らしていた。
鳴らしていたけれど、その警報が何を意味するのかは分からなかった。
プロレスならリングアナが試合結果を読み上げてくれる。
でも画面の中では誰もそんなことをしてくれなかった。
アナウンサーは興奮した声で何かを叫んでいたが、俺には音が遠かった。
布団の中から見る深夜のテレビは、いつもどこか夢の中の出来事のように感じられる。
その感覚がこの夜に限って、現実から俺を守る防壁になってしまっていた。
世界中に目撃者がいたはずなのに、流れてくるのはいつも同じアングルの映像だった。
あのビルの側面に旅客機が突入する、
あのカットだけが繰り返された。
角度が変わることはほとんどなかった。
ペンタゴンの映像はどうだっただろう。
見た記憶がほとんどない。
見ても、ダイハード2のような映画との区別がつかなかったかもしれない。
2000年代初頭というのは、CGの技術が急速に
進化した時代でもあった。
「マトリックス」や「A.I.」を見ていた世代には、
映像への信頼というものが、それ以前の世代とは微妙にずれていた。
どこまでが現実でどこからが加工なのか、
画面を見ているだけでは判断できない時代に、
俺たちはすでに踏み込んでいた。
信じたくなかったのか、信じられなかったのか、そのどちらなのかも、今となっては分からない。
アメリカは月面着陸の映像にも陰謀論がつきまとう国だ。
俺はそれを信じているわけじゃないが、
「映像=真実」という等式があっさり崩れる可能性について、どこかで意識していた。
そして2000年代のインターネット黎明期は、
真偽不明の情報が大量に流通していた時代でもあった。
「ビンラディンとオバマは遠い親戚」などという噂がまことしやかに流れていた時代だ。
信頼できる証拠などどこにもないのに、ネット上ではそれが「ソース不明のコピペ」として次々と
拡散していく。
情報の洪水が、9.11の現実感をさらに揺らした。何が本当で、何が演出で、何が誰かの都合によって切り取られた断片なのか、俺たちには判断する術がなかった。
ネットという道具を手に入れたばかりの俺たちは、その道具の使い方をまだ知らなかった。
2ちゃんねるには事件直後から膨大なスレッドが立ち、陰謀論と事実確認と野次馬と怒りが渾然一体となって流れていた。
テレビよりも早く、テレビよりもはるかに雑然としていた。
どれを信じればいいのかではなく、何かを信じるという行為そのものが揺らいでいた。
事実だけ書いておく。2001年9月11日の朝、
旅客機4機がハイジャックされた。
実行犯はアルカイダのメンバー19人。
世界貿易センターの北棟と南棟に相次いで激突し、南棟は衝突から56分後に、
北棟は1時間42分後に崩壊した。
7 WTCを含む周辺の大型構造物も連鎖的に損傷を受け、ニューヨークの経済活動は麻痺した。
ウォール街は9月17日まで閉鎖され、
米国・カナダの民間空域は9月13日まで封鎖された。
ペンタゴンにも1機が衝突し、建物の一部が倒壊した。
4機目はペンシルベニアの野原に墜落した。
乗客が抵抗したからだ。
その乗客たちがいなければ、ホワイトハウスか連邦議会議事堂が次の標的になっていたとされる。
首謀者はウサーマ・ビンラディン。
計画立案者のハリド・シェイク・モハメドが1996年に構想をビンラディンへ提示し、1999年から実行部隊の準備が始まった。
ドイツ・ハンブルクの「ハンブルク・セル」が中核を担い、モハメド・アタらがアメリカでひそかに飛行訓練を受けた。
ビザの都合で渡米できなかった
ラムジ・ビン・アル=シブはハンブルクで調整役を担い、攻撃の前日まで実行部隊との連絡を続けていた。
ビンラディンは当初関与を否定したが、
2004年のビデオ声明で正式に認めた。
2011年、パキスタンのアボタバードでアメリカ軍によって殺害された。
世界で最も長く指名手配された男の末路だった。
これだけの事実が積み重なっていても、俺の中の「映画的違和感」は完全には消えなかった。
それは9.11が陰謀だと思っているからじゃない。むしろ、現代の「リアル」の構造そのものに対する疑問だ。あの映像は確かに世界中に流れた。
しかし私たちが目撃したのは、カメラが切り取った「リアル」であって、現場そのものではない。テレビの画面というフィルターを通した時点で、どんな衝撃的な出来事も「映像コンテンツ」に変換される。
その変換が起きた瞬間に、脳は映画との区別をつけることを半ば放棄する。
俺たちは画面を通じて世界を知ってきた世代だったから、画面を通じてしか世界の惨事を受け取ることができなかった。
そのことの限界を、あの夜に初めて感じたような気がする。俺たちは現場にいなかった。
いなかったくせに、見たつもりになっていた。
それがテレビという装置の本質で、9.11はその本質をこれ以上ないかたちで露わにした夜だった。
ビンラディンが動機として挙げたのは、
アメリカ軍のサウジアラビア駐留への反発と、
親イスラエル政策への批判だった。
1996年と1998年にそれぞれ「ファトワー」として対米ジハードを宣言し、2004年の声明では「レバノンの破壊された塔を見て、同じ苦痛を与えるべきだと考えた」とも述べている。
その論理を受け入れる気はない。
ただ、9.11は青天の霹靂ではなく、長い文脈の
末端に位置していた。
俺たちには見えていなかった文脈が、世界のどこかで何年もかけて煮詰まっていたということだ。画面に映し出されたのはその煮詰まりが爆発した瞬間だけで、それ以前の熱量は俺たちには届いていなかった。
9.11の後、世界は変わった。
アメリカは2001年10月にアフガニスタンへ侵攻し、タリバン政権は事実上崩壊した。
国土安全保障省が設立され、空港と入国管理が大幅に強化された。
そして2002年、ブッシュ大統領は「悪の枢軸」
演説でフセイン政権を名指しし、
大量破壊兵器疑惑が国際問題化した。
国連での論争が続いた末に2003年、アメリカはイラクへ侵攻した。
9.11はアフガン戦争からイラク戦争へとつながる長い導火線の起点だった。
フセインは、9.11の余震が最終的に向かった先にいた男だ。
あの深夜の映像から、俺たちは長い長い戦争の
時代に入っていったのだと、今になって思う。
あの深夜、俺は布団の中でひとり、
世界が変わっていく瞬間を見ていた。
妻も子供も眠ったままで、
画面の中では高層ビルが崩れ落ちていた。
現実感のなさと、しかし確実に何かが終わったという感覚が、奇妙なかたちで同居していた。WTC跡地の瓦礫撤去が完了したのは翌年の2002年5月で、ペンタゴンは1年以内に修復された。
1 ワールドトレードセンターが完成したのは2014年のことで、その頃には息子も中学生になっていた。
あの深夜にテレビをひとりで見ていたことを、
息子はまだ知らない。
知らなくていいと思っている。
あれは俺がひとりで受け取った夜で、
そのままひとりで抱えていればいい記憶だから。あの夜以降、俺たちはテロ、戦争、陰謀論、
情報操作という言葉を日常の語彙として使うようになった。
それまでは遠い外国の話だったものが、
深夜の布団の中にまで入ってきた。
「映画的違和感」は今でも消えていない。
消えていないということは、
あの夜がまだどこかで
続いているということかもしれない。
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