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2000年、新世紀元年の大晦日——Y2K騒動の夜に家族三人で過ごした静かな時間

世界が止まると言われた夜

1999年の師走、日本中がどこか得体の知れない熱と緊張に包まれていた。

テレビをつければ「2000年問題」の話題ばかりだった。
銀行のシステムが止まるかもしれない。
信号機が消えるかもしれない。
飛行機が墜落するかもしれない。
コンピューターに埋め込まれた
「二桁の西暦」という時限爆弾が、
00年を迎えた瞬間に誤作動を起こす、
というのがY2K問題の骨子だった。

NHKのニュース番組は毎晩特集を組み、
民放はパニック映画さながらの演出で
カウントダウンを煽った。
官公庁も金融機関も「対応完了」を宣言しながらも、どこかに滲む不安が視聴者には伝わった。
スーパーでは保存食が売れた。
電池が品薄になった。
現金を手元に置いておけという話もあった。

今思えば、あれはコンピューターの問題というより、世紀末そのものに人々が浮き足立っていたのだろう。

その年の七月には、
ノストラダムスの大予言があった。

「1999年7の月、
空から恐怖の大王が降ってくる」

子供の頃から何度も聞かされてきたあの話だ。 

小学校の図書室にも五島勉の本があって、
同級生たちと怖がりながら読んだ記憶がある。
結局、世界は滅びなかった。
だが、どこかに残った不安の火種を抱えたまま、人々は二度目の終末を迎えようとしていた。
今度は予言者ではなく
コンピューターが世界を止めると言われていた。

七月には世界が終わり、
十二月には文明が止まる。
1999年という数字には、
それだけで人を落ち着かなくさせる力があった。

しかし当時の僕には、
世界の終わりを心配している余裕などなかった。

東京を離れたばかりだった。
転職で給料は以前の半分近くになった。
結婚し、
三月に息子が生まれ、
三人での生活が始まったばかりだった。

家賃は七万二千円。
駐車場にはローンの残ったアルテッツァが停まっていた。
ポケットにはドコモの携帯電話。
今のスマートフォンと比べれば、
小さな無線機のように分厚く重たい機械だった。

世間ではIT革命だ、デジタル時代だ、
新しい世紀だと騒いでいたが、
僕らの暮らしはどこまでも現実的だった。
給料日まであと何日あるか。
ガソリンはどれだけ残っているか。
息子のミルク代は足りるか。
考えることはそんなことばかりだった。

妻はスーパーのトイレからトイレットペーパーを持ち帰ってくることがあった。
今なら笑えない話かもしれない。
それでも当時のことを思い出すと、
不思議と暗い気持ちにはならない。

むしろ、温かい。


息子はまだ生後九ヶ月だった。

抱き上げると、
首の後ろにほんのり汗の匂いがした。
この子はいつも少し熱くて、
真冬でも掌に汗をかいていた。
夜中に泣くたびに起きて、ミルクを作って、
抱いてあやしている間に気がついたら朝になっていた、ということも何度もあった。
眠れない夜が続いても、
こいつを抱いている時だけは
不思議と疲れを忘れた。

抱き上げるたびに少しずつ重くなっていく。
昨日できなかったことが今日できるようになる。そんな当たり前の変化が嬉しかった。 
指を握れば力強く握り返してくる。
目が合うと、顔全体でにやっと笑う。
親になるというのは、
自分より大切な存在が突然現れることなのだと、その頃初めて知った。

世の中は21世紀を迎えようとしていたが、 
僕にとっての大事件はもっと身近な場所で起きていた。
父親になったことだった。


1999年12月31日の夜。

テレビはどの局もカウントダウン特番だった。
渋谷では若者たちが騒ぎ、
世界中の都市から
新世紀イベントが中継されていた。

パリのエッフェル塔、
シドニーのオペラハウス、
ニューヨークのタイムズスクエア。
スタジオでは司会者たちが興奮気味に叫んでいる。

「あと一時間です!」
「あと十分です!」
「歴史的瞬間です!」

画面の向こうはお祭り騒ぎだった。

だが、僕らの部屋は静かだった。

息子はもう眠っていた。
隣の布団に転がしておくと、
ちいさな胸が規則正しく上下していた。
見ているだけで何か安心するような、
不思議な呼吸だった。

妻は僕の隣に座っていた。
テレビのカウントダウン特番を
ぼんやり眺めながら、
それほど熱心に観ているわけでもなかった。
途中でクイズ番組に変えた。
どちらが先に答えを言えるか、
そんなことで競い合っていた。

「今のは知ってた。」
「いや、絶対知らなかっただろ。」
「知ってたって。」
「嘘つくな。」

そんなくだらない言い争いで笑っていた。
暖房の効いた部屋で、
テレビの光だけがぼんやりと壁を照らしていた。外は冬だった。

妻には、息子を見る時だけの顔があった。

他の時とは少し違う。
力が抜けていて、何も取り繕っていない顔だ。
その夜も、
眠っている息子の方をちらと見やって、
またテレビに視線を戻した。
その一瞬の横顔を、
僕はなんとなく目で追っていた。

クイズの答えを言い当てて、少し得意げに笑う。そういう顔も好きだった。
お金がなくて喧嘩した記憶は一度もない。
将来への不安はあったはずなのに、
不思議と幸福だった。
あの顔は今でも、色褪せずに残っている。


僕は何となく壁の掛け時計を見ていた。

テレビでは「あと三分!」と司会者が叫んでいた。
だが掛け時計の秒針は、そんな騒ぎとは無関係に、ただ静かに進んでいた。
また進む。
また進む。
それは昨日と何も変わらない動きだった。

世界が今夜で終わるとか、文明が止まるとか、
そういう話とはまったく関係のない動きだった。

やがて日付が変わった。

1999年から2000年へ。
20世紀から21世紀へ。
世界中が固唾をのんで見守った瞬間だった。

そして。

何も起きなかった。

電気は消えなかった。
電話も鳴った。
時計も動いていた。
テレビの画面は相変わらず騒がしく、
渋谷の群衆は歓声を上げていた。
隣の妻が「あ、変わった」とだけ言った。
息子は変わらず眠っていた。

世界は何事もなかったように
新しい世紀へ滑り込んでいった。


今振り返れば、あの肩透かしこそが
2000年問題の本質だったのかもしれない。

人類は世界の終わりを想像した。
技術者たちは数年をかけてシステムを修正し、
政府は国民に備えを呼びかけ、
メディアは恐怖を煽り続けた。
だが実際にやって来たのは、
いつも通りの朝だった。
朝日が昇り、
人々は目を覚まし、
仕事へ向かう。

子供は泣き、
犬は吠え、
電車は走る。
日常は驚くほど頑丈だった。
世界はそんな簡単には壊れなかった。

それから四半世紀以上が過ぎた。
インターネットは社会を変えた。
携帯電話はスマートフォンになった。
当時は想像もできなかった未来が、
今では当たり前になっている。

だが不思議なことに、1999年を思い出す時、
僕の頭に浮かぶのは未来ではない。
あの小さな部屋なのだ。
テレビの音。
暖房の匂い。
眠っている息子の浅い呼吸。
隣で笑っている妻の顔。
そして壁の掛け時計。

結局、
世界がどうなろうと、
大切なものはいつも手の届く範囲にしか存在しない。
Y2Kという巨大な記号が駆け抜けたあの夜、 
僕らが味わっていたのは未来への恐怖ではなく、今日を生き抜いたという確かな手応えだった。

21世紀が始まった瞬間に、
僕らはすでに宝物を手にしていたのだと思う。
それは豊かさでも成功でもない。 
何が起きても変わらない、
あの静かな部屋の風景だった。

今でも時折、あの夜の掛け時計を思い出す。
世界中が未来を恐れていた夜に、
ただ黙々と時を刻み続けていた秒針を。

あの日、
本当に止まらなかったのは
コンピューターではない。

僕らの日常だったのである。


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nao46222 チップをありがとうございます。 そのまま宝にしておきます。^_^