1988年、テレビの空気に反応していた
1988年の僕にとって、テレビは娯楽というより「部屋の空気を変える装置」だった。
番組の内容よりも、誰が出ているかで空気が変わるという感覚のほうが強かった。
これは感情ではなく、ほぼ身体反応に近い。
テレビをつけると、画面の向こうのテンションやノリがそのまま部屋に流れ込んでくる。
特に当時のバラエティは“圧”が異常に強かった。
明石家さんま、島田紳助、山田邦子、中山秀征、赤坂泰彦、森脇健児。彼らが画面に出ると、空気が変に一段階上がるような感覚があった。
ハイテンション、異常な明るさ、狂ったノリ、
お茶の間の空気の支配。
テレビ側が「盛り上がっていること」を前提に進行していた時代で、そのテンションが一般家庭の生活の空気にそのまま侵入してくる。
観客のリアクション、照明の明るさ、司会者の声量、ゲストの大きなリアクション。
こういう要素が積み重なって、テレビの空気が生活空間に干渉してくる感じがあった。
もちろん、本人達が嫌いなわけではない。
会えば普通に良い人だとわかる。
ただ、当時のテレビが作った“キャラの空気”が、自分の生活リズムと全く合わなかっただけだ。
これは個人への評価ではなく、テレビ文化そのものの構造の問題だった。
その一方で、とんねるずは少し例外だった。
彼らは“空気を支配する側”ではなく、“テレビの空気そのものを茶化す側”にいたからだ。
スター性を笑いに変え、番組の構造自体を壊す。
テレビのテンションに乗るのではなく、テレビのテンションを揶揄い遊ぶ側にいた。
その距離感が、自分の生活のテンポと何故か衝突しなかった。
テレビの空気を押し付けてくるのではなく、テレビの空気を一度解体してから見せてくる感じがあった。
バラエティー番組にも、そんな一面もあった。
ドラマや映画での俳優のほうは、生活空間での
空気の相性が比較的に安定していた。
田中邦衛、川谷拓三、成田三樹夫、小林薫、役所広司、出せばキリがないが、、。
彼らのテレビでの演技は他のテンションに合わせて自分を変えない。
存在のまま画面に立つタイプの役者で、
部屋の空気と衝突しない。
演技の強弱ではなく、存在の安定感がそのまま
生活の空気の安定につながっていた。
特に自分にとって、高倉健はその最上位にいた。
演技とかではなく、彼自体の存在の空気で場を成立させる。
画面に立っているだけでこちらのリズムが乱れない。
テレビでの空気ではなく、健さんの空気がそのまま流れてくる。
田中裕子も同じ系統だった。
演出された変な明るさを持ち込まない。
番組の空気に合わせず、常に自分の速度で存在している。
映画内容よりも“そこにいること”のほうが意味を持つ。
これは俳優としての技術というより、存在の質の問題だった。
こうして振り返ると、1988年の僕はテレビを
「好き嫌い」ではなく「空気の相性」で観ていたことがわかる。
これは感情ではなく、身体の反応に近い。
今になって嫌ではなくなった人も多い。
ダウンタウン、明石家さんま、ヒロミ。
彼らは年齢とともに“角”が取れ、空気の圧が弱まり、会話の余白が増えた。
当時のテレビが求めていたテンションが消えたことで、自分の生活リズムと衝突しなくなった。
つまり、こちらの感性が変わったのではなく、彼らの空気が変わった。
ただ、ここで重要なのは「圧の空気」は本人の性格ではなく、テレビ側が求めた演出の産物だったという点だ。
1980〜90年代のテレビは、視聴率を取るために“テンションの高さ”を前提にしていた。
出演者はその空気に合わせざるを得なかった。
つまり、タレント本人の事情とは別に、番組の構造が“圧”を作っていた。
だから、画面の印象だけで人を判断するとズレが生まれる。
そのことを、最近になって自分自身が体験した。地元の競輪場で坂上忍と遭遇した。
競輪場のゲストとして呼ばれていたらしく、帰りの動線でこちらとかなり近い距離になり、ぶつかりそうになるほどの接近をした。
正直テレビではあまり好きではなかった。
理由は単純で、番組の中での“圧”が強かったからだ。
しかし、実際に近くで接したときの印象はまったく違った。
普通に礼儀正しく、落ち着いていて、こちらに対しても丁寧だった。
そのギャップに驚いた。
テレビでのイメージと現実の人物像には、これほど差があるのかと実感した。
テレビの空気と現実の空気は、必ずしも一致しない。
むしろ一致しないことのほうが普通だと理解した。
だが政治家については別枠だ。
ここは“空気の相性”ではなく、実際の発言や疑惑といった事実ベースの理由がある。
だから、テレビタレントの話とは混同しない。
空気で判断する領域と、事実で判断する領域は分けて考えている。
1988年のテレビは、表層に“圧の空気”、地層に“存在の空気”が同時に流れていた時代だった。
僕が反応していたのは常に後者のほうだった。
テレビを観るとは、空気の質を選ぶことだった。そして今になって、テレビの空気と現実の空気の差を自分の体験として理解できるようになった。
チップをありがとうございます。 そのまま宝にしておきます。^_^
