自分を責めて走るのは、もう終わりにしたい。
最近、ようやく気づいたことがある。
私はずっと、
「自分を厳しくしないと、人は成長しない。」
そう信じて生きてきた。
だから、
ミスをしたら責める
休んだら甘えだと思う
未完成なら人に見せない
人に時間を使わせたら迷惑
完璧じゃないなら意味がない
そんなルールで、自分を動かそうとしていた。
でも、その方法で私は本当に前へ進めていただろうか。
私は、自分を走らせようとしていた。
毎日、自分に命令する。
「もっと頑張れ。」
「休むな。」
「完璧にしろ。」
「迷惑をかけるな。」
確かに短期的には動ける日もある。
でも、その先にはいつも、
疲労。
自己否定。
反芻。
そして、
「もう動けない。」
が待っていた。
本当に必要だったのは、監督じゃなかった。
ある日、ふと思った。
私はランナーなのに、
自分の中にいる人が、
鬼監督だった。
失敗すると怒鳴る。
疲れても走らせる。
休ませない。
褒めない。
それじゃあ、走れるはずがない。
本当に必要だったのは、
トレーナーだった。
トレーナーは、甘やかさない。
ここは誤解していた。
支えることは、
甘やかすことじゃない。
トレーナーは、
「今日は疲れているから距離を短くしよう。」
「まず5分だけやってみよう。」
「ここは相談した方が安全だね。」
「できたことを一つ残そう。」
そんなふうに、
走りやすい状態を整える。
目的は一つ。
長く走り続けること。
医療でも同じだった。
私は言語聴覚士として働いている。
最初は、
「未完成なのに相談するなんて迷惑。」
そう思っていた。
でも違った。
共有や連携は、
完成品を見せるためじゃない。
未完成だからこそ、
早く相談して、
早く修正して、
患者さんを守るためにある。
これは仕事だけじゃない。
人生も同じだった。
私が一番苦しめていたのは、私だった。
もちろん、
病気もあった。
疲労もあった。
ADHDの特性もある。
仕事の責任もある。
だから全部が考え方のせいじゃない。
でも、
私はそれ以上に、
自分を責め続けていた。
守るために作ったルールが、
いつの間にか、
自分を苦しめるルールになっていた。
これからは。
私は、
自分を押さえ込む人ではなく、
整える人になりたい。
責める代わりに、
整える。
完璧を求める代わりに、
60点で進む。
一人で抱える代わりに、
相談する。
休むことを罪だと思う代わりに、
回復の時間として使う。
最後に
人生は、
短距離走じゃない。
マラソンだ。
だから必要なのは、
自分を追い込む監督ではなく、
最後まで一緒に走ってくれるトレーナー。
私は今日から、
自分を責めて走らせる人ではなく、
自分が走りやすいように支えられる人になりたい。
「支えることは、甘やかしじゃない。
長く、自分らしく走り続けるための運用技術。」
