社会の歯車――見えていないものの上で、僕らは回っている
「社会の歯車になりたくない」作品たち
どこかで一度は耳にした、「社会の歯車になりたくない」――組織に埋没して個性を失いたくないという言葉は、自分と周辺環境の関係を捉えなおす際によく見られるフレーズである。
この考え方は、時代を追うごとに様々な物語において描写されてきた。
少年時代であった20世紀には、巨大な敵に対峙し、無個性で代替可能な存在に異を唱え、自分らしさを描く作品が多くみられたように思う。
自由意思を奪われた時計じかけのオレンジのアレックスが自己を取り戻そうとする姿や、システムの養分として支配される人類を描いたマトリックスにおける「目覚め」の物語は、その象徴だ。復讐のために機械の身体を求めた銀河鉄道999の鉄郎に用意されていた結末もまた「部品になること」への皮肉として記憶に残っている。
私が成人した21世紀初頭には、歯車でいることの空虚さと、そこから逸脱しようとする衝動が前面に出てくる。
均質化されたサラリーマンが自己破壊へと向かうファイト・クラブの結末は、歯車としての虚無が内側から噴き出した例だろう。一方で、社会に接続できない存在がネットを通じて関係を築いていく電車男には「歯車であること」が別のかたちで現れていた。国家による管理を極端なゲームとして描いたバトル・ロワイアルは、システムそのものへの強い反発の表出だった。
下積みの時期と重なる2010年代には、歯車にすらなれない不安や、システムとの距離の取り方そのものが主題になっていく。
雇用や結婚を契約として再定義した逃げるは恥だが役に立つは、既存の枠組みにすり減らされる前に自分の位置を調整する物語だった。対照的に、社会から完全にこぼれ落ちた個人を描いたジョーカーには、歯車ですらない場所に追いやられる恐怖が描写される。
そして現代。物語は「歯車になる/ならない」という単純な対立から少し距離を取り、「どのシステムに、どう接続するか」という問いを扱うようになっている。
「好き」だけでは成立しない世界の中で、自分をどのように位置づけるかを描いたブルーピリオドの八虎や、システムへの接続によってささやかな満足を得ようとするチェンソーマンのデンジの姿には、大きな物語ではなく生きることの手触りがある。制度の隙を巧みに利用する人々を描いた地面師たちは、正規と非正規の境界が曖昧になった時代の空気をよく映している。
「歯車」は何の為に
いずれの時代においても「歯車」という存在は軽いものではない。機械の中の歯車は、精度が少しでも狂えば全体を壊し、摩耗すれば性能を落とす。歯車とは、システムの品質そのものを支えている部品なのだ。
そしてそれぞれの歯車は性能も、役割も違う。力を伝えるもの、回転を変えるもの、方向を変えるもの。どれが欠けても、機械はうまく動かない。
そう考えると、「歯車になりたくない」という言葉はもうかなり手あかがついているのかな、と、思っている。時代は、自らが歯車であることを否定せず、歯車としてどう動くか、そして周囲をどう動かすか、が、を問う様になっているのではないだろうか。
私は、周囲をぐいぐいと動かし、流れを生み、停滞をほどき、動きを伝播させる様な歯車でありたいと考えている。けれど同時に、それは一人では成立しないとも分かっている。どれだけ力強く回っても、噛み合う相手がいなければ空回りするだけだ。
まるで「機械」の中身が見えない様に
すると私の歯車の先の、そのまた。さらも先にある「見えていないもの」のことを考える。
家庭でも、会社でも、当たり前に続いていることの裏には、必ず誰かの手入れや判断がある。何も起きていないように見える日常は、実は膨大な調整の結果だ。
毎日、家で日常を廻し続ける存在。
毎月、給与計算と予算管理をする総務経理。
毎年、野菜を供給する農家。
これらは成功し続けているがゆえに、評価されにくい。
人は、見えていないものを軽く扱う。ただ、これを非難したい訳ではない。自らの生存のために周囲の働きに対する解像度を低くするという、人間の生存本能に近いと考えている。
けれど、その性質を自覚したとき、世界の見え方は大きく変わる。目の前の「当たり前」が、誰かの仕事の上に成り立っていると気づくと、他人を雑に評価できなくなる。
まるで自他が「噛み合う」かの様に
そして同時に、自分のことも雑に扱わなくて済むようになる。
自分はちっぽけだ、という感覚は消えることはない。ただ、それは「価値がない」ではなく、「全体の中の一部である」という意味に変わるのだ。
社会は、無数の見えない仕事でできている。
そのうちの一つを自分が担っているのだとしたら、それは派手ではなくても、確かに意味のあることである。
歯車であることを否定する必要はない。
むしろ、それを受け入れた上で、どう回すかを考えればいい。
強く回ること。
正確に噛み合うこと。
そして、他の歯車があることを前提にすること。
そのくらいのことができれば、十分ではないかと思っている。
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