いじめではない(私が茶化す理由)
先ほどの記事を受けて、
茶化すことを封印し
本音を書いてみようと思う。
誰もがそうなように、自分を批判する声に耳を傾けることはつらい。人気のYouTuberをみても、アンチがいたとして、そのアンチの言葉が辛らつだとしても意に介さない強さ、無視できる強さ、あるいは正面からやり合える強さがある。ご本人はそれを認めないとしても、私からはそう見える。そしてそれがうらやましく思う。
私は少々素直すぎる面があり、その素直を前面に出して世に向かおうとするとかなり傷つく。もちろん、それは、かわいそうな私という傷つき方ではなく、深刻な自己批判に結び付きそうになる。ちょっとした批判であっても、鋭利なナイフのように突き刺さる。ドキドキする。心臓が張り裂けそうになる。そしてなにより、不快なのだ。気持ち悪いのだ。もしかしたら批判されて最初に感じるのは単純に、不快だ、という状態で、その状態がドキドキとして現れたり、突き刺されたように感じさせる…そして、厳しい自己批判に通じてしまうということだろう。
どうしてだろう?
やっぱり怖い。はじき出されるのが怖いのかもしれない。よく言われる同調圧力に支配されているのだと思う。心身を深堀をするとネガティブに振り回されてしまう。それはいわゆる陽キャから見れば陰キャであり、その陰キャとされることを是が非でも避けたい。かといって陽キャとして成功する道を選ぶ、あるいは示すことも難しい。
うまくいえない。
ただ、私はいじめられたくないのだ。誰でもそうだ。私は、誰にどういじめられているか…という個別の問題よりも、社会から否定される、指を指されるのが人一倍怖いのだ。
だからこそ、独立して仕事をする道を選んだ。不思議なことに仕事を変えるごとに組織が小さくなっていた。それが好きだとか嫌いだとか、そういうことではなく、居心地のよい場所に流れ着いたのだと思う。違う、その場所に逃げ込んだのだと思う。逃げて逃げて逃げた先が、暗い洞窟の中だった…と。
とはいいながら、自分だけの場所に逃げ込んだとて、結局は、社会とのつながりはさけられない。複雑な世の中に合って、1人で生きていくことは…
なぜこんなことになったのだろう?
高校生のころ、仲間外れにされた経験が影響しているのだろうか。私はあの時、確実に逃げた。それは逃げてよかったのかもしれない。実際当時、あの某公式の委員会から逃げ出したのは、相当に苦しかったからだ。静かな意見、沈黙の批判に耐えられなくなった。その意見や批判が当たるかどうかは記憶にない。ただ、これは俗にいういじめではなく仲間外れだろう。公式グループの考え方に合わせることができなかった。ゆえに距離を置かれた。逆の立場に立てばそういうこともある。実際、外で働くようになれば当たり前のことだ。
高校生の時分には、大人の距離感はなかった。学校と家庭がすべてだった。前代未聞の委員会脱退は、先生もその件には触れない…という物言わぬものがあった。両親にも知らせが入ったが、腫れ物に触るように、やはり物言わぬものがあった。クラスメイトすら、その件には”かん口令”がしかれた?かのように誰も何も言わなかった。その委員会のメンバーすら何も言わない。クラスが一緒になることはなく、極力触れないようにした先生の配慮だったのか。今となってはどちらでもいいことなのだが、この「物言わぬもの」が怖かった。
私自身、それに触れることは禁忌だったのだろう。誰も何も言わないことで私も何も言えなくなった。私の意思ではないが、意見や批判を浴びない(ことになってしまった)ことで、意見や批判に立ち向かう精神が育たなかったのかもしれない。批判されそうになると、ひらりと交わしてしまう癖(身の護り方)が身についたのだと思う。
ただ、苦しい高校生活だったことは絶対に忘れないほどの強い記憶として焼き付いている。思い出せば今でも苦しくなるほど、沈黙の恐ろしさが付きまとう。冗談でも言わずに生きていけない。本気でそう思うほどだ。
もちろん、自分にすべての非があったとは思っていない。当時、あの委員会のメンバーは、私以外すべて気心知れた仲間だった。私がぽつんと入って仲間入りするには酷だった。そのメンバーたちは部活動(文化部)も同じという…。運動部の私とも正反対で、それはいくらなんでもやりすぎだ。もし私が教師だったら、このメンバー構成には意見するに違いない。
随分長ったらしく書いているが、これでもうまく書けていない。大事なところに触れれば、別の大事なところが崩壊してしまいそうで怖い。ガラスのハートという表現があるが、そういうものではない。いくら身を護るために頑強なフロントガラスにしても、点の強い衝撃を受ければ粉々に砕け散ってしまう。割れにくいが弱点がはっきりしている…それが私のように思う。
これまでの経験の中で、この記憶がなかなか払しょくできない。もう小学生の息子がいるくらいの男だ。10代の記憶にとらわれているという事実すら、情けなく感じてしまう。しかし、父親になるほどに経験を積み重ねたことで、その私にとっての忌まわしい記憶と直接向き合うことを、前向きに放棄した。そしてある意味では軽いノリともいえる茶化すことで、突き詰めずに考えを別の方向に持っていく、こんな手法を取るようになった。
不思議なもので、散々、沈黙の批判に振り回されてきたのに、自分の問題には物を言わず、そのことに触れずに生きている。自分の行動がタブーになるのを嫌がり、それがあってはいけないと思いながら、自分でタブーをつくってしまう。生きていくのは非常に難しい。しかし、自分が本能的に、あるいは時に戦略的に問題への対処を試みてきたことは、自ら認めてあげてもいい。
いったい10代の経験はなんだったのだろうか。それが何かはやっぱりわからない。ただ、私の人生を串で刺すように貫いているのだと思う。刺されるのも痛い、かといって抜き出すのも痛い。結局触れないことが一番痛くない。
10代、20代、30代、40代、もう50代が近づく中、10代の課題を引っ張っているのは何とも情けない。とはいえ、すべてではないにしろ当時の記憶や怖さを書けるくらいには自覚をしている。この自覚していることが一番大切なのだと思う。
経験はいろいろある。きっとこれからも嫌な記憶はたくさん出てくるに違いない。時に焼印をつけられるレベルのものもあるだろう。問題を捉えなおしたり言動を変容することもありうるのだろうが、私はそうしたくない。問題があることを、私の眼で自覚すること。この自覚さえあれば、一定の距離を持ちつつ、向き合っていける。
短期決戦にはめっぽう弱い。やはり自らの問題には、じっしり腰を据えて戦いたい。向き合うというほどぬるいものではなく『戦い』なのだ。いくつになっても変に悟らず、戦う人間でありたいと思う。
(今後は、このような記事も書いていく。)
