ルッキズム・ハラスメント・スーパー?
昨今厳しく糾弾されるルッキズム?「見た目をどうこう言うな」ということ、だと思うのだが、見た目がどうか?ということを、少し角度を変えて考えてみたい。この手の話題には言葉を間違えると大変なことになるので、保険を掛けつつ、慎重に話していきたい。
では、
私は、いろいろな人とすれ違うときに、
『(あれ?この人は◯◯さんに似ている)』
『(この人はあの人のグループだよね)』
…と、見た目の感じで分類してしまうことがある。もちろん、声に出すことはないし、じろじろ見たりしない。あくまでも私の内心でしかない。そして格好がいいとか、美人とかイケメンとか…そういうことではなく、単純に見たことがあるという、既視感?親近感?というものだろうか。
そうして、◯◯さんグループってなったときには、その◯◯さんを懐かしく思い出す時もあれば、思い出して『(ゴルァ)』と1人憤慨することもある。
おそらく、私の目が、顔の一部を捉えて(あるいは無意識に特定のパターンを捉えたいという願望があって)見つけだそうするのかもしれない。前向きな願望であれ、意識では認めがたい願望(臭いものほど嗅ぎたくなってしまう…)であれ、とにかく自分の心のどこかに、何かが引っ掛かった人がグループになるのだろう。
なんだろうか。この不思議な感覚は。人の性格を分類する方法はいくらでもあるが(その精度は別だが)、私を取り巻く人間の外見を分類することはできるのだろうか。あくまでの【私を取り巻く】人間についてのことで、一般的な人の外見を分類するわけではない。ましてやその外見を絶賛したり、揶揄したりすることは絶対にないので、誤解なきように。
できるならば、きちんと検証してみたい。
私が出会って、一時期を共にした同僚男性Aさん。転職してから何年たつか…もう数えられない年数だが…。そのAさんグループ。私が、今、普通に生活している最中に、Aさんグループに入れた人たちを集める。そして、もともとのAさんと、私がAさんグループに入れた人たちとを比べてみる…。
もちろん、私の記憶にあるAさん、Aさん本人、Aさんグループに入った人々。私の直感でしかないが、まず間違いなくばらばらだと思う。Aさんグループの中には共通点があるかもしれないが、私が記憶しているAさんと、Aさん本人とは絶対に違う。困難な仕事を乗り切ったチームの一員としてのAさんは、私にとっては相棒であり、リーダーであり、先輩であり、仲間だった。きっとこういう輝かしい記憶が、私のAさんの記憶に外見という形で表れているはずだ。
私は、結局何を言いたいのかわからないが、なんとなくグループの元になるAさん・Bさん・・・・・は、私にとって良くも悪くも大事な人(印象に焼き付けておく【べき】人)なのだと思う。
実のところ、何グループ程度に分けているのか、正直分からない。頭の中でAさんグループとしたとして、いくつのグループがあるのかはわからないのだ(数えたことはない)。おそらく3つ程度かと思う。
所詮その程度のことを、深く突っ込んで知ろうとする私も、相当暇か、相当どうかしているのだが、人間への興味は尽きない。それは、理詰めで調べていくこともあれば、感覚的に単なる直感だけを根拠に掘り下げていくこともある。学生でも研究者でもないが、それだけに、タブーなしに勝手に興味を掘り下げることができる…。こんなに面白いものはない。
時に自分で実験をしたり、それとなく第三者の観察をしたり、またあるときはスピリチュアルな視点も振りかけつつ、足したり引いたりかけたり割ったりしたりして、私なりの結論を出すことになるのだろう。きっと私の最期に分かればラッキー程度のものだ。
・・・
ルッキズム。人事労務の専門分野でいえば、ハラスメントとまったく同じとは言えないものの、とても近い考え方だ。ここで、ハラスメント論を展開したいところだが、まったくする気にならない。
そこで、自分自身にこんな問いかけをして終わろうと思う。
さて、ルッキズムやハラスメントはいけない。当然のことだが、多様性といいうことを考えれば、ルッキズムやハラスメントを内心で行う限りはOKということか?それとも考える事すら許されないのか、いや、まったく逆にルッキズムやハラスメントも多様性の一部として肯定されるのか?
ダメなことだけは明らかだろう。
あとは人それぞれ。
?
私は、小学生のころ
すぐ怒るので「ゴリラ」と呼ばれた。
(嫌だったけど…)
私は、中学生のころ
わりと紳士的だったようで
ダンディと呼ばれた。
(嫌だったけど)
一部の人には
クロコダイルダンディと呼ばれた。
?
いったいこれは
何の話なのだろう?
やっぱり、
私は、ワニを抱っこできる
スーパーゴリラ的な
冒険家なのだろうか?
なるほど。
生まれ変わることがあったら
次は「スーパーマリオ」で♪
