うそつきとんかつソースソース
私は大嘘つきだ。
もう、大ぼら吹きと言ってもいい。いや、もうそれは病的で虚言癖と言ってもいい。よく言えばどこか美の要素を含み、詩的で文学的な嘘つき…なんていうものは【ない】!狸と狐の化かしあい。狸も狐も私の中に住んでいるようなものだろうか。改めて、
『私は嘘つきだ』
…と断言している私は、おそらく正直なのかもしれない。嘘つきは嘘つきだと断言することはないが、嘘つきでないのならば、嘘つきだと言っていることは嘘ではないのだから嘘つき…
私には理解できそうにない(涙)
私の嘘は、所詮それを理解できない程度の人間の産物だ。品質の良くない粗悪な嘘だ。品質のいい嘘があるのだろうか。嘘が真実としてつむがれる今があり、おそらく未来に安定して受け継がれるのならば、それは品質のいい嘘なのかもしれない。
品質のいい嘘は
嘘を華麗につきとおした
本人しかわからない。
嘘はバレる?
本当だろうか。そんなに世の中透き通っているだろうか。私は、この社会はバレない嘘で塗り固められていると思っている。社会は嘘だ。違う!嘘が社会そのもののようにも思う。
私は大嘘つきだが、その大嘘が大嘘にならないように他の誰かが嘘をつく。引き継いだ大嘘が大嘘であり続けないように他の誰かが嘘をつく。こうして幾重にも折り重なる、複雑に紡がれた嘘のモザイクアートがなんとなく美しい社会のような透明感?…となるのか?(笑)
だから私の嘘は全体としてバレない。【バレる嘘はバレた嘘だけだ】。バレない嘘は気づかれない品質のいい嘘だ。んー。実は粗悪な嘘でバレバレなのに他の複数の嘘によりカバーされているのかもしれない。
すべての真実っぽい嘘によって
全体として調和しているのが
この社会なのだと思う。
水をやかんに入れて火をつける。水はぐらぐら沸騰しだすが、外側からやかんを冷やし続ける。マッチポンプのような仕組みで社会は成立している。
だから虚言癖の私は許される…わけが【ない】。たとえ他の嘘が私の嘘をマスクしたとして、私が私の大ぼら吹き性に気づいてしまったら、その嘘は私の内側で処理するしかない。嘘が苦しいのは、その嘘を自分の内側で処理すること必要だからだ。自分の嘘を自分の真実になるまで暗示に掛けつづけるか(内面で行うべくインナー認知行動療法?…)、あるいはその噓に生涯呪われつづけ墓場まで?輪廻転生永久に苦しみつづけるか。または、嘘はつかざるを得なかった必要悪…と開き直るか。一番健全なのは開き直りのような気がするのは、私(社会)が嘘つきだからだろう。
したり顔して、客観的風に見える持論を展開する専門家。分析?真実かどうかもわからない結果を、さも真実かのように断定し、ソースとか謎の調味料として巨大な電光掲示板に喧伝する。そのソース?しょうゆ?えっ?サルサソース?
あっ。
サルサソースは、ソースソースという意味で、ソースのソースとなる。ならば、散々消費されたソースですら、そのソースを必要とする…。サルサソースという呼称は日本人が生み出した迷走する教訓で、壮大な嘘だったりする。
もはや何を言っているのかわからない(汗)
能力のない私に辟易する。…という嘘。謙遜している面して実は他の誰かを馬鹿にしている。私の大ぼらはズルい。しかし私が大ぼら吹きとする【サルサソース】はあるのだろうか。
タコスが食べたくなってくる…。これはどうやら真実らしいのだが、サルサソースはどこにあるのか、私が求めるサルサソースはスーパーにはない。
スーパーサルサソースクリアランスバーゲンオープン!
もういい(笑)。
もうややこしいことは考えないほうがよさそうだ。大ぼら吹きとて、社会が大ぼら吹きなら、私の大ぼら吹きはみえないのだから、それでいいではないか!
そんな大ぼらに言い訳をしながら…
スーパーサルサソースクリアランスバーゲンオープン!で
やっと手に入れたタコスとサルサソース♪
モグモグモグモグモグモグ…
咀嚼している…
うまい!さすがソースソース!
ソースのうまさが五臓六腑にしみわたる?
嘘(笑)。
とんかつソース色の
ほっとなドリンクを
いただきながら
大ぼら吹き?虚言癖?
詩的で文学的な嘘?
私の壮大な嘘を
愛でるのであった♪
ほっとなドリンクをゴクリ。
とんかつ食べたい
(これ、ほんと!)
ふぅー。
おしまい。
