日本語の通じない機械との対話
言葉にこだわるほどの繊細さはないが
YouTubeであらゆる動画を見ていると
『おやおや、大丈夫かい?日本語は?』
と思う。機械的に読ませたり、書かせたり…。当然間違うこともある。とはいえ、これは直したほうがいいのでは…という極端な誤りも。
間違うこと自体は、間違った瞬間に消えてしまうので、あまり気にしない。しかし、間違った結果が伝わり広がり、さも当たり前になることが気になるのだ。言葉は時代と共に変化するのだからやむを得ないし、私の言葉も相当乱れている(汗)。指摘できる立場にはないのだが…。
ただ、現時点で動画において、間違って読んでいる場合、あるいは漢字を間違えている場合、それをテストで書けば不正解となる。
YouTubeなどを好んでみる私たちが、わざわざ不正解を取りに行く…あまりにももったいない。合格ラインぎりぎりで奮闘している学生さんが、入試のたった1問、漢字の読みを間違えただけで落ちてしまうこともある。たまたまその1問がネットで受け取った正解っぽい不正解…。悲しすぎる。
ひとつのどうでもいい誤りが、見知らぬ人の人生に大きく影響してしまう。発信する側から考えれば、機械に丸投げのほうが遥かに楽だ。私も活用したいと思っている。ただし、その活用には…
誤:『機械が間違えることを想定する…』
正:『情報を受け取る相手の生活を想像する』
…ことが大切だ。
人間はとてもわがままで、自己中心的で、自分勝手。自分が楽をし、楽をしようとして誤ったとて訂正することはなく、機械が悪いと問題をすり替える。
『機械に対する愛がない』
・・・
『自分を愛せ』
『人を愛せ』
『自然を愛せ』
『機械を愛せ』
『すべてを愛せ』
無理(笑)
・・・
私は、AI批判を批判するわけではない。AIやあらゆる道具を含めた機械を、人間が生み出したものとして尊重したいだけだ。機械には使う人の気持ちが宿る。
私には確信がある。
以前、雑誌や新聞紙を束ねる結束機(ペダルを踏んでビニール紐で束ねる機会)を使っていたのだが、なかなかの年代物でかなりの頻度で故障する。時折油をさすことは当たり前に、どの部分にガタが来ているのか。ビニール紐のセット時の調整…ペダルの踏み方、手の添え方、連続する場合のリズム…このあたりのメンテと工夫が必要不可欠だ。

活用歴数年…ようやく機械の癖がわかってきた。機械との間合いとリズムが身についてきたのだろう。
私は、これを
【機械との対話】と称している(キリッ!)
(笑いたければ、笑ってくれ♪)
つまるところ、誰とでも、どれとでも、何とでも、
『はなしをしろ!』ってことだ。
しかし…
何も言葉に頼らずともできる対話がある。人それぞれの工夫とやり方で対話をしてみればいい。動画とて画面の向こうの人をちょっとだけ思いやればいい。つっこみのコメントとの疲れる応酬よりも、ずっといい。
楽をする視点をひっくり返すと
本質に戻るのではないか…と
自分の書類の
誤字脱字と内容の不整合に
がっかりしているのだ。
書類との対話が足りないらしい…
コーヒーをこぼしたからだろうか(涙)
コーヒーがもったいないじゃないか!
怒るところはそこなのだろうか…
チョコでも食べるか。
GABA入り?
ストレス軽減…
書類がそう言っているのだろうか?
(まさか…ね)
