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全無視の美学~全無視を全無視~

全無視。

全無視したいときはないだろうか。全無視?そんな言葉はなさそうだが、ありそうだ。いや、あるのかもしれないし、実際使われているような気もする。じじつはどうでもいい。

まったく関係のない(とも言い切れないが)人に対して、こうして自由に、そして大量に思いを吐露することはできるのに、身近にいる人に対して【こうして自由に】そして【大量に】話すことはできない。したくない。

このダブルスタンダードというのか、二枚舌というのか。一般的にみられることだとは思うのだが、我がことを思うと、どうにも放っておけない疑問となり、なんとかして解明したい、そんな強い願望がある。

人の心理から考えれば、おのずと答えらしきものは出るのだと思う。でも、求めているのはそれではない。過去の偉人が生み出した哲学的な答えらしきものも違う。変幻自在に言葉を操る人々が、命がけで生み出した文学的な答えらしきものとも違う。仮に、同じような答えだとしても、自分の力でその答えにたどり着きたいのだ。

学問を全無視する私の態度は
厳しく叩かれそうだが
それも含めて答えを出したい。

「自分とは何か」という一般的なよくある疑問に対する答えを求めているわけでもない。自分の何がどうしてこうなって、どうなるのか?。いつもどおり訳が分からなくなる。無理もない。その程度のことを考えるのが、私の限界、私の精一杯なのだから(笑)。

メール?電話?line?

そんなの知らん。私の時間と思考と感情を、いとも簡単に切り刻もうとする連中と剣を交える?兵刃を交える?つもりは…【ない】のだろうか?本当は、凝縮して【点】となった原子レベルの感情の一粒を爆発的に投げ返したい、投げ返して相手の時間と思考と感情を、みじん切りに粉々に粉砕したい。

目には目を
歯には歯を
いや、いつかのドラマの「倍返し」で
いや、「10倍返し」「100倍返し」「1000倍返し」

攻撃的な何かを告白すれば、それは異常として排除される風潮がある。本当にそれでいいのだろうか。子どもたちの乱暴な言葉づかいを見るとき、私たちが否定し修正しようとするのは、臭い物に蓋をしようとしているだけのようにも思う。

子どもたちの言動を
当然のように、修正しようと思うのは
大人の社会では、
本能をコントロールすることが
求められるから…

社会が無秩序になれば大変なことになる。
だからといって臭いものに蓋をするのは
どうにも納得できない。

・・・

納豆が好きな人は、
あの匂いに抵抗はない。

納豆が嫌いな人は
あの臭いに抵抗がある。

臭いものに蓋をするのか
そもそも臭いではなく
匂いなのだろうか。

私の当初の疑問は、どこかへ消えてしまった(笑)

やはり食べ物に話がつながると
考え事は行方不明になってしまうようだ♪

・・・

納豆っておいしいよね。
最近は、たれもいろいろ
工夫されているね。

臭いも随分減って、
いずれは、匂いに、
いつか、香りに、

いつしか納豆の香水も出るかもね。
(さすがに…)

でもね、時々、
あの【わら納豆】のインパクトも
味わいたいね。

嫌いな人には地獄かな。

まぁ、結局好みの問題かな。

すべてが、納豆のようにねばねばと
好きも嫌いも稲わらに包まれて
いつか、誰もが好きになれるといいな。
そんなことは無理だけどね。

今は、思いを発酵させる時なのかもね。
若い大豆じゃ、まだまだ小僧。
いつか、におうほどに発酵した自分に
出会えるといいな。
(加齢臭は嫌だな(笑))

ねばねばねばって
明日をみて
ねばねばねばって
夢を見る

今夜は納豆かな。
スーパーのバーゲン品で♪

結構おいしいよ♪

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