煙とサボテン
私は定時を過ぎても
パソコンに向かっていた。
商談で使う資料が
まだ出来ていなかったからだ。
「伊藤さん、お先ですー」
「はーい。お疲れ様です」
そんなやり取りを何度も交わし
パソコンのキーボードを打ち続ける。
早く終わらせて帰りたい。
ここは、棒グラフじゃなくて
円グラフの方が良いな。
そう思って、資料を修正していると
営業リーダーのWさんが部長の席にきて
何やら小声で話し始めた。
私は気にせず、
円グラフの上に
40%と文字を乗せる。
「辞めちゃうかもしれないです」
Wさんの声に、手が止まる。
パソコン画面を睨んだまま
二人のやり取りに耳を向けた。
要約すると、
とある女子社員が
喫煙所から戻ってくる社員の
煙草の匂いにクレームを入れたとのこと。
ちなみに、
部長も、Wさんも喫煙者だ。
……なるほど。
煙草を吸った後に
消臭スプレーを体にかければ良いでしょ。
心の中で、そう呟く。
再び業務に戻ろうと、
キーボードに手を置いたとき。
部長の声が、それを止めた。
「サボテンを置いたらどうかな?」
耳を疑った。
……サボテンヲ、オイタラドウカナ?
今確かに、そう言ったよね。
続けて、Wさんが、
「空気をキレイにしてくれそうですよね」
そう言った。
人間的な魅力は一旦置いておいて
二人とも優秀な営業マンだ。
私なんて足元にも及ばない。
その二人が、
煙草の匂いを消す解決策として
サボテンを用意しようとしている!
いや、サボテンを過大評価しすぎでしょ。
空気清浄機いらないじゃん。
昭和の民間療法かよ。
私は完全に資料作りを放棄した。
このやり取りの、行く末を見届けたい。
追い打ちをかけるように部長が呟く。
「一旦、サボテンの造花で様子を見るか」
造花!!!
サボテンの造花!!!
造花じゃ、サボテンの意味が一切ない。
様子を見るまでもなく
効果が無いのは明らかだ。
そもそも、何の様子を見るつもりなのか。
私が尊敬する上司よ。
お願いだから、正しい解決策で着地してくれ。
この着地次第では、
今後、あなた達のアドバイスを
素直に聞く自信がありません!
「伊藤さん、どう思う?」
部長に話を振られた。
気づけば私は、
耳を傾けるどころか
体を向けて二人を見ていた。
「……吸った後、消臭スプレーかけたらどうですか」
心の中で3千回繰り返したセリフを
私は口にした。
「やっぱり、それがベストだよね。分かってたんだけど」
部長はそう言いながら
少し笑った。
……そうか。
この大人たちは分かっていたんだ。
冗談を言い合って
少しずつ自分を納得させていたんだな。
喫煙所から席に戻るまでのひと手間、
喫煙者への逆風。
それらを受け入れるための時間だったのだろう。
何とも人間らしい。
大人だからとか、管理職だからとか関係なく
人間なんて、案外そんなものだ。
私も、もう少し肩の力を抜いて仕事しよう。
資料作成を再開する前に、
Googleで「サボテン」と検索した。
ワンルームの窓際に置くなら、
小さい方が良いのかな。
次の休みに買いに行こう。
もちろん、
造花でなく本物を。
