《闘病記》天気者、ツンデレすぎる主治医との相性について悩み抜いて出した結論とは⁉️Σ(-᷅_-᷄๑)
去年、大病を患い「心臓が止まる」という体験をしたことから書き始めた闘病記。今日は ”検査、手術、治療” などの為、密に医師と関わりを持つことになった私が、主治医との関係に悩んで出した結論について書きます✍️
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これまでの人生で、風邪をひいたり、ちょっとした病気で通院することはあったものの、今回のように、手術が必要な大きな病気をしたことは初めてだった。
そこで、「主治医」という確固たる存在ができ、初めて医師と密に関わることになったのが去年の8月。
私の担当となったのは、
60代半ばくらいのベテランという感じの男性医師。
最初、救命救急で診てもらった時から、その後の様々な検査や、カテーテル検査(心肺停止した検査)や手術も、全てこの男性医師が主治医として行ってくれた。
(※この男性医師を以下、O先生と言う。)
手術が必要な大きな病気を宣告された時、誰もが同じ状態になるのではないかと思うのだが…私も同様、大きく取り乱していた。
頭が真っ白になって何も考えられなくなり、
「心臓の血管がボロボロなんて!!!」
まさに、
青天の霹靂!(◎_◎;)
これまで、
過酷な経験をたくさんしてきた私なのに…
”命に関わること”
これが、今まで経験してきた試練の中で
「何より辛いこと」と感じていた。
こういう背景があったので、
最初は主治医O先生との関係について
あれこれ考える余裕がなくて。

正直、自分のことを考えるだけで精一杯。
話しの要所要所でO先生の言葉や態度を不快に感じたり、
「えっ?そんな言い方するの」
って思うことはあったものの、
病気を受け入れて治療方針を決めるまでは、
他のことに構うことが出来なかったのだ。
最初の病状説明の時、
「最悪の状態ですよ」
と言われ、その言葉がずっと胸の奥に残っていて、
その後のO先生とのやり取りでも、先生に悪気はないのだろうが、様々な刃のような言葉が私の中に突き刺さり、胸の奥に苦しみとして降り積もっていったように思う。
でも、この時の私は、
病人になった自分を弱者だと思い込んでいたので、最初は何を言われても、我慢して、先生のご機嫌を取るような態度で接していた。
でも、O先生の態度は、その時々で目まぐるしく変わるのだ。
晴れたり…曇ったり…。

そして、冷たい態度だったのが急に優しくなったり…

高校生じゃないんだから💦
還暦過ぎてもツンデレかい💢
これは完全なる
お天気屋&ツンデレ
ではないか〜〜〜!!!
私は、
優しくされてはホッとして、
晴れの時は喜んで…
曇った時は落ち込んで…
この繰り返し(~_~;)
ただでさえ「病気」というものを背負って、
気弱になったり不安になったりしているのに、
何よりも頼みの綱にしている主治医が
これでは・・・
それでも、何とか一度目の手術までは終えることができた。
数ヶ月後には二度目の手術を控えていて、
それまでは、通院することになったのだが…
その際、血液検査の結果が以前よりも良くなったことを喜んだ私にO先生は、
「喜んでる場合じゃないんですよ💢
もっともっと改善しないとダメなんだから」
と叱るように言った。
そんなことは、
私だって分かってる!
でも、以前より良くなったことを、
どうして喜んではいけないの?
褒めてくれとまでは言ってない!
でも、良いことに目を向けていくことが、病気を治す為にも大切なことなんじゃないの?
と、大声で叫び🗣️たかったが、
病気=弱者
だと思っていた私は、
その言葉をグッと呑み込むしかなかった。
そんなことがあってから、私は診察の日が憂鬱で憂鬱で、しまいには強い拒絶反応まで起きてしまい、これでは、病気を治療する前に精神的におかしくなってしまう…
そう感じた私は、悩みに悩み抜いて、ひとつの決断に至る。
病院も主治医も変える。

ついにレッドカードを出した!
でも、この決断は、次の手術を控えている私に容易ではなかった。
二度目の手術の私の症例はとても難しく、紹介状や手術の結果を動画で次の病院へ持っていく必要があり、今の主治医へ、次の病院への紹介状や術後の映像資料作成を直接頼む必要があるのだ。
これは本当に
ストレスがたまる作業極まりない😫
次の章で、
このストレス極まりない作業をどのように乗り切ったか…
また、病院を変えようと決断した理由は他にもあって、私の難しい症例について、O医師がどう対応して、私を不安にさせたかを詳しく書きます✍️
