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水(みず)と金(かね)はどっちが大事? -畑で中村哲さんを想う

私は、小学生と一緒に畑で野菜を育てて、おやつにして食べているということをしている。
水曜日クラスの子と金曜日クラスの子がいて、私が彼らが作った梅干しのタッパに、「水」「金」とラベルを貼っていた。「何で水(みず)って書いてあるの?」と聞かれ、答えた。

水曜日の子と金曜日の子が作った梅干し

そうしたら、
「水(みず)と金(かね)は、どっちが大事だ?」とある男の子が聞いた。隣にいた女の子はすかさず答えた。
「水ー!」
何の迷いもなく、あっけらかんと誇らしげに。
子どもたちの何気ない会話に、ハッとした。

私は畑で、中村哲さんの言葉を思い出していた。

「金が無くても生きてゆけるが、雪が無くては生きられない」

アフガニスタンの諺

「雪」とは水の供給源であり、命の源だ。高い山から少しずつ溶け出した水が、川に流れ、流域の農地に実りをもたらす。

アフガニスタンでは、地球温暖化の影響で山岳地帯の雪解けが早まり、洪水とその後の干ばつが起きていた。戦乱で、農地も荒れ果てていた。子どもたちは飢えて、汚い水を飲んでは感染症にかかって死んでいた。食べものと綺麗な水があれば、死なずに済む命がたくさんあった。
水不足と食糧不足は、戦乱を生み、難民を生んだ。

中村哲さんは、医師でありながら、アフガニスタンで、「100の診療所よりも1本の用水路を」を掛け声に、用水路を拓いた本当にものすごい人。
私の母校の高校の講演会に来てもらって、直接お話を聞いたこともある。

中村哲さんはこんな言葉を残している。

命はただ単に経済発展や技術進歩だけで守られないというのが、ささやかな確信である。必要なものは多くはない。
恐らく、変わらずに輝き続けるのは、命を愛惜し、身を削って弱者に与える配慮、自然に対する謙虚さである

「荒野に希望の灯をともす」

医学を含め、今日私たちに突き付けられている最大の課題は、「自然と人間の共存」である。私たちは自然を操作し、人の意に従えるよう努力してきた。それが文明の発展であり、豊かさをもたらす最善の道だと教えられてきた。
だが、アフガニスタンで見る限り、事態はそうでもない。自然とは人の命運をも決める摂理であり、人の意識が触れることができない一線を画して厳存する。

ペシャワール会報112号

そういえば、中村哲さんは昔、ファーブル昆虫記を愛する虫好き少年だったという。ひたすら山の中で虫を捕るのに夢中で、本当は、医学部ではなく九州大学農学部の昆虫学科に進みたかったとのこと。

出典「天、共に在り」

中村哲さんは、自伝「天、共に在り」の最後をこう締め括っている。

「天、共に在り」
本書を貫くこの縦糸は、我々を根底から支える不動の事実である。やがて、自然から遊離するバベルの塔は崩れる。人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵である。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないだろう。それが真っ当な文明だと信じている。その声を今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう。
これが、三十年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。

「天、共に在り」

資本主義経済の中で、お金があれば人は何でも買えると思い、科学技術があれば人は何でもできると思いがちだ。そんな中で、人も自然の一部であって、太陽、水、土、風、そういう自然の中で生かされている存在だということは、日々忘れがちになる。

そんなことを言っている私だって、雪の札幌で終電後、もしススキノに突然落とされたら、いや、雪はいいから、家(宿)までのタクシー代をください、じゃないと死んじゃう、と思うには決まっている。

もちろん、時と場合にもよるのだけれど、「金より水が大事」だと、即答した農園の子はすごいなと、素直に感心したのだ。
自分で種を蒔き、土の菌ちゃんを感じながら、野菜を育てて、収穫して食べることを続けてきた中で、自分も自然の中で生かされているんだと、そういう生命観が身についているのかもしれない。

子どもたちは遊んでいる。
畑でバッタや蝶々を捕まえて、ただ走り回っている。
そんな子たちも、中村哲さんみたいなすごい人になっちゃうかもね。
目の前で虫を追いかけている子どもたちが、たまらなく愛おしく思えた。

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