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子どもへの過剰な干渉は無関心の証拠

過去にも記事の中で、

「子どもにとって最も残酷な仕打ちは過干渉なのかも知れない。」

という私の考えを度々お伝えして来ました。

どうして過干渉が、最も残酷、なのかと言うと、

過干渉に晒された子どもは、やがて学校に通っても、社会に出ても、家庭を持っても、親になっても、更には年老いても、

自分が重大な、生きづらさ、を引きずって生きているという事に、気がつかない場合が余りにも多いと感じているからです。

傍目にもわかり易い、
暴力や罵倒などの肉体的虐待や、食事や入浴といった基本的な養育さえ無いネグレクトに晒されて育った子どもは、

心には甚大な被害を被りますが人生を歩むうちに、生きづらさに気がつく場合も多ければ、

気がついたなら、一気に生きづらさを脱ぎ捨てる方向へと駆け出す人が、とても多い様に感じています。

覆い隠すことなど出来ない程の凄惨な加害内容であり、加害者が誰なのかもはっきりしている為、否が応でも真実と対峙する方向に向かうからだと思うのです。

勿論、肉体的虐待やネグレクトなどの方が良い、と言っている訳ではありません。

ただ、そういった凄惨な環境を生き抜くことが出来た先では、
生きづらさに気がつく人も、
生きづらさを脱ぎ捨てる人も、
過干渉に晒され続けた人よりも、圧倒的に多いと、
肌感覚ですが私はそう感じています。

どうして肉体的虐待よりも、過干渉をはじめとする心理的虐待に晒され続けた人の方が、

抱える生きづらさに気づき難く、生きづらさを脱ぎ捨てることが難しくなってしまうのでしょうか?

肉体的虐待は直接的に瞬時に、身体もろとも子どもの心を吹き飛ばしますが、
心理的虐待は長い時間を掛けて、騙しながら、少しづつ、
しかし確実に子どもの心を蝕みます。

心理的虐待に晒され続けた人の多くは、親から手を上げられたことが有りません。
そればかりか親は、声を荒らげたことすら無い、と言う人が少なくありません。

ではその親は、情緒が成熟して心が安定していたのでしょうか?

子どもがその親の下に育って、自分に満足して、生きづらさなど抱えずに、活き活きと自分の人生を歩んでいるなら、きっと親の心は安定していたのでしょう。

けれども其の子が今、生きづらさを抱えて苦しんでいるのならば、
おそらく親の情緒は未成熟であり、

親が一見安定した心を保っているかの様に見えるのならば、
その子を道具の様に利用して、その子を犠牲にすることで、
心を安定させた可能性は極めて高い、と言わざるを得ません。

親から便利な道具として利用され続けた子は、愛された、と思い込んでいます。

親の犠牲になった子に限って、生きづらさの最中に在りながら親への感謝を口にします。

親は、ぶたなかったし怒鳴らなかったのです。

でも、騙しました。

便利な道具として重宝しながら、お前の為に…、と言い、
犠牲にしながら、あなたを思って…、と囁きます。

ぶたないけれど、好きなことはさせてくれません。
怒鳴らないけれど、嫌なことばかりをさせられます。
その子はいつも我慢してばかりです。

生まれた時からずっと我慢ばかりをしているその子は、
我慢しているのが当たり前になってしまって、自分が何が好きで何が嫌いなのかが、さっぱり判らなくなってしまいます。
自分の感情なのに、他人事、の様に感じるのです。


親の情緒は未成熟です。
傍目にはれっきとした大人であり、立派な親ですが心は、お人形遊びに興じる5歳児のまま、なのです。

人形には感情が無いから、遊びに興じる5歳児が、人形の手を挙げさせ「は〜い!」と、5歳児自身が元気よく声を上げます。
イヤイヤをする素振りに似せて人形を左右に振りながら5歳児自身が「いやだ!」と言います。
人形は喋りませんし、人形が自ら動くことも有りません。
5歳児の一人遊びは、そんな感じです。

人形に感情が無いからこそ成り立つ、5歳児の人形遊び、は何処までも独りよがりな世界です。


過剰に干渉する親は、独りよがりな世界に未だに住んでいます。

子どもが、何が好きで何が嫌いか、という事には興味がありません。
だから子どもらしい興味は踏み潰します。

アニメやゲームやマンガはもってのほかで、海や花や太陽よりも、幼児教育に全力投球だったりします。

早いうちから習い事をさせるのは、この子のため、とその親は言いますが、
本当は、よく出来る子の親御さん、になりたいのです。

でも、独りよがりな親、は、自分の本心には気がつきません。
子どもらしい興味、は踏み潰しておきながら、自分は子ども思いの良い親、だと悦に入りさえするのです。

ママ友に、「この子が失敗したら…、と思ったらついつい私がやっちゃうのよねー、過保護はダメだって解ってるんだけど放っとけなくて。」
と、優しいお母さんアピール、の道具に子どもを使います。

これをしちゃダメよ、
あの子と遊んじゃダメよ、
ちゃんと挨拶しなさい、
こうしなさい、
あーしなさい、
ぶたないし怒鳴らないのですから、口調は柔らかいのでしょうが、禁止と命令のオンパレードです。

詮索して先回りして、その子の純粋な興味、感心、好奇心を全部踏み潰します。

人形に感情が有っては、独りよがりな世界、が壊れるから、
情緒未成熟な親は、子どもに過剰に干渉するのです。

良い親であることを他者にアピールする事には熱心ですが、

過干渉な親は徹底的に、子どもの感情には無関心です。


過干渉に晒され続けた子どもは、やがて大人になっても、
苦しくても虚しくても、自分の生きづらさに気がつくことが容易ではありません。

その意味に於いて、親から子への激しい攻撃もあってはならないことですが、
親が子の感情に無関心であることは、最も惨たらしいことではないか、と思うのです。

優しい口調だったかも知れません。

何でもやってくれたかも知れません。

でも、あなたが言う様に、

本当に愛されたなら、

あなたは今どうして、

こんなにも虚しく、

こんなにも苦しく、

こんなにも生きづらいのでしょう?

立ち止まって、

考えてみて欲しいのです。

たった一度きりの、

かけがえの無いあなたの人生を、

取り戻すタイミングは、

今、なのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。

伴走者ノゾム




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