あきちゃんは5歳で泣くのをやめた~感情の花と思考の絵本~
あきちゃんは5歳の女の子です。
小高い丘の上にある白いお家に、お父さんとお母さん、妹ちゃんと4人で暮らしています。
あきちゃんは、楽しいこと、面白いこと、が大好きな朗らかな女の子です。
お父さんは口数が少なくて、時々怒るので、あきちゃんはお父さんのことを、少し怖いと思っていました。
お母さんはよく喋るし、元気だし、何でもテキパキと自分で決めるし、
あきちゃんはそんなお母さんを、スゴいなぁ、と思っていました。
妹ちゃんは小さくて、可愛らしいお顔をしていて、人懐っこくて、誰からも好かれる子で、
あきちゃんも妹ちゃんが大好きでした。
誰にも言わないけどあきちゃんが、少し怖い、と内緒で思っているお父さんも、妹ちゃんには優しい様な気がします。
お父さんはあきちゃんには見せない笑顔を、妹ちゃんには見せるので、少し不思議に思いはしましたが、
妹ちゃんは誰からも好かれる子だからなぁ、と思っていました。
お母さんが妹ちゃんのことは叱らないのに、あきちゃんばかり叱るのも、
妹ちゃんは皆んなに好かれる子だもんね、と思っていました。
あきちゃんも妹ちゃんが、大好きでした。
少し怖いけど、お父さんも大好き、
叱られるけど、お母さんも大好き、
白いお家に住む家族が、あきちゃんは大大、大好きです。
白いお家には、あきちゃんのお部屋があります。
すぐ隣には妹ちゃんのお部屋もあります。
お部屋のドアを開けると、テーブルと椅子がフロアに置いてあります。
そして、椅子から立ち上がらなくても手が届く場所に本棚があります。
本棚にはあきちゃんのお気に入りの絵本達が並んでいます。
ドアと向き合う反対側には大きな窓があって、窓の傍には棚があって、
棚には、よい香りを振りまくお花が、小さな鉢に一輪、植わっています。
お部屋は陽あたりが良くて、薄桃色のカーテンを開けると、窓際の棚のお花は、お日様と楽しそうに遊びます。
大きな窓を開けると、お花は吹き込む風に乗せて、よい香りを部屋中に拡げます。
あきちゃんは、時折窓際の棚からお花を取り上げ、テーブルに置いて話しかけます。
「お花さん、とっても綺麗だよ、いい匂いをいつもありがとう。」
あきちゃんに褒められたお花は、誇らしげにテーブルの上でより一層、幸せの香りを放ちます。
その香りに包まれて、本棚から取り出したお気に入りの絵本を眺めるのが、あきちゃんはとても好きです。
あきちゃんは、このお部屋が大好きです。
お父さんも、お母さんも、妹ちゃんも、このお部屋も、あきちゃんは大好きなのです。
このお部屋はあきちゃんの、心、です。
テーブルはあきちゃんの、意識、です。
フロアはあきちゃんの、無意識、です。
本棚はあきちゃんの、思考、です。
窓際の棚はあきちゃんの、感情、です。
お母さんはあきちゃんのお部屋にいつでも好きな時に入って来ます。
ノックは無しです、というか、ドアはいつも開け放たれています。
お母さんが、ドアは閉めちゃダメ、と言ったから、あきちゃんはお母さんの言いつけを守って、ドアを閉めません。
隣の妹ちゃんのお部屋のドアは、いつも閉まっています。
お母さんは入る時ノックをします。
あきちゃんがドアを閉めると怒られるのに、妹ちゃんは怒られないのを不思議に思ったこともありましたが、
妹ちゃんは皆んなに好かれる子だからなぁ、と思いました。
お母さんは、あきちゃんの心という部屋にヅカヅカと入って来ては、
あきちゃんが意識のテーブルに置いた感情の花と思考の絵本を、
「邪魔だから棚と本棚にしまいなさい。」と言います。
言われた通り、あきちゃんがお花と絵本をしまうと、
お母さんは、「これだけを見ていれば間違い無いから。」と言って、
意識のテーブルの上に、お母さんの感情や気分、要求、世間体と言ったものや、規範や道徳まで、所狭しと並べます。
そして、
「お母さんはあきちゃんが間違わない様に、あきちゃんを思って、
正しいこと、をテーブルに並べたんだから、
何の為にも得にもならない花や絵本を、テーブルに置いちゃダメだからね。」
そう言います。
心というお部屋のドアは開きっぱなしです。
だからお母さんはいつでもヅカヅカとあきちゃんの心に入って来ます。
意識のテーブルに並べるのは、お母さんが与えるものだけにしなさい、と言い、
あきちゃんの感情も思考も、何の為にも得にもならない、邪魔なもの、と決めつけます。
大好きなお母さんが言うことだから、あきちゃんは信じます。
自分の感情は悪いものなんだ、
自分の思考は取るに足りないものなんだ、
そう思い込みます。
お母さんは来る日も来る日も、あきちゃんの心にヅカヅカと入り込んでは、お母さんのもの、を意識のテーブルに所狭しと並べます。
あきちゃんは、お花も絵本もテーブルに置いてはいけないことがとても悲しくて、目に涙が溜まります。
ある日、カーテンを揺らすそよ風に乗って、窓際の棚のお花の、懐かしい幸せの香りが、テーブルの椅子に座るあきちゃんの鼻腔をくすぐりました。
あきちゃんは嬉しくなって、つい初めて、お母さんの言いつけを破りました。
お母さんのもの、でいっぱいのテーブルに僅かな隙間を見つけて、花と絵本をやっとのことで置きました。
幸せの香りに包まれて、あきちゃんは絵本のページをめくります。
感情と思考を取り戻したあきちゃんは嬉しくて、
「この時間がずっと続きますように。」
小さな手を合わせて、そう呟きました。
その時、いつもの様にお母さんがヅカヅカとあきちゃんの、心というお部屋、に入って来ました。
そして、
「あなたはお母さんがテーブルに並べたものだけ見てればいいの!こんなものは要らないの!」
と言って、
あきちゃんが意識のテーブルに置いた、あきちゃんの感情のお花と、あきちゃんの思考の絵本を、無意識のフロアに叩きつけました。
粉々になってフロアに飛び散った、感情の花の鉢を見た時、あきちゃんの中で何かが砕けました。
「あんなに感情は悪いものだって教えてくれたのに、言いつけを守らなくてごめんなさい、お母さん。」
あきちゃんは、ポロポロと涙を零しました。
お母さんは、「泣くな!」と怒鳴りました。
「あ、そうか…、感情は悪いもの、だから、悲しくても泣いちゃいけないよね、もう捨てるね…感情のお花…、
お母さんがテーブルに並べたものだけ見ることにするから、許してね、もう怒らないでね、お母さんが大好きだから…。」
あきちゃんは、その時から泣かない子になりました。
泣かなくなりましたし、楽しいこと、面白いこと、が大好きな朗らかな女の子ではなくなりました。
5歳で泣かなくなったあきちゃんは、やがて小学校に通います。
あきちゃんは5歳で泣かなくなり、お母さんが意識のテーブルに並べたものだけを見る、と約束しました。
あきちゃんは感情と思考を捨てて、お母さんのもの、だけを見て生きると決めました。
だから、小学校に通うあきちゃんの赤いランドセルには、お母さんのもの、がギュッと詰められています。
お母さんのもの、とは、お母さんがかつてテーブルに並べた、
お母さんの価値観や、お母さんの好み、お母さんの要求、お母さんのあらゆる基準、等などです。
あきちゃんは赤いランドセルに、お母さんのもの、をギュッと詰め込んで学校に通います。
あきちゃんの感情は鈍麻しています。
あきちゃんの思考は停滞しています。
活発に動くのは、お母さんの価値観やお母さんの基準などです。
5歳のあの日、感情も思考も捨てて、お母さんが意識のテーブルに並べたものだけを見て生きる、と約束したからです。
お母さんは、
あきちゃんがどれ程そのお花を大切に思っているか、
あきちゃんがどれ程その絵本が好きなのか、ということには興味が無くて、
何かと比べてあきちゃんが優れているのか劣っているのか、が最大の関心事であり、
それがそのままお母さんの価値観です。
あきちゃんは学校に着くとランドセルからお母さんの価値観を取り出します。
あきちゃんはお母さんの価値観だけを握り締めて、
その価値観に沿って世の中を見、出会う人を測ります。
そうする、と5歳のあの日、大好きなお母さんと約束したから、です。
優劣で人を測るというお母さんの価値観を握り締めたあきちゃんは、
自分が優れている事を誇り、他者が劣っている事を蔑みます。
感情が鈍麻し、思考が停滞して、活発に動くのはお母さんの、優劣で測る価値観、だけですから、
あきちゃんは反射的に、自動的に、優劣を基準に出来事や人を測ります。
世の中には情緒が成熟した優しい人も沢山居ますが、
情緒未成熟で攻撃的な人もまた、沢山居ます。
情緒が成熟した優しい人は、優劣で人を測り競争する人に好んで近づく事はありません。
だから、優しい人はあきちゃんと距離を置きます。
情緒未成熟で攻撃的な人は、お母さんから貰った価値観に沿って、優れていなくては、と頑張るあきちゃんを、鼻につく、と感じます。
劣っていてはならないと頑張るあきちゃんを、生意気だ、と感じます。
情緒未成熟で攻撃的な人は、鼻につく相手との距離を詰め、貶めます。
生意気だと思った相手に近づき、攻撃します。
優しい人は距離を置き、
攻撃する人は近づいて来るのですから、
あきちゃんの周りは、攻撃したり、貶めたりする人ばかりになってしまいます。
とても生きづらい状況に陥るべくして陥ります。
攻撃される度にあきちゃんは、自分には価値が無い、と感じます。
貶められる度に、やっぱりそうだ、と無価値の思い込み、を強化します。
あきちゃんは5歳で泣くことをやめました。
楽しいことや面白いことが大好きな、
朗らかな女の子はもう、
居なくなりました。
欧米に、
Narcissistic Family Dynamics(ナルシシスティック・ファミリー・ダイナミクス)/自己愛的な家族の相互作用、という概念があります。
自己愛的な家族は、家庭という閉鎖的な場所で、銘々に固定的で不健康な役割りを持ち、
相互に影響し合いながら、特異な世界を創り上げる、ということを指します。
あきちゃんの家庭では、
権威的で無関心なお父さん、
過干渉で支配的なお母さん、
そして、
ゴールデン・チャイルド(自慢の子)の妹ちゃん、
スケープゴート(身代わり/生贄)のあきちゃん、
という役割りを銘々が果たしている、と言うことです。
自己愛的な家族に於いては、役割りに徹する事で家庭を保つ事が最優先事項であり、
其々の心理的境界線は不明瞭で、不健康に連なった感情世界に、尊重、は無く、有るのは、支配と従属、です。
だから、お母さんは、あきちゃんが部屋(心)のドア(心理的境界線)を閉めることを許しません。
あきちゃんのテーブル(意識)には、棚のお花(感情)や本棚の絵本(思考)を乗せることを禁じ、
代わりに、お母さんのもの(価値観、基準、要求、世間体、都合、事情、気分、道徳、規範、等など)を押し付け、テーブルに並べます。
あきちゃんのお花(感情)と絵本(思考)はフロア(無意識)に追いやられます。
心理的境界線を引くことを許さず、
意識には親の価値観を据え、
感情や思考を無意識へと追いやるのですから、
つまりは、お母さんはあきちゃんを、ひとりの人として尊重していない、ということです。
生まれた時からそういう扱いなのです。
生来、素直で朗らかなあきちゃんだからこそ、
慕って止まないお母さんの言いつけを守ります。
5歳で感情をフロアに投げ捨てて、やがて、
テーブルに並んだお母さんのもの、だけをランドセルに詰めて学校に行きます。
あきちゃんにとって家庭内も過酷ですが、学校に通いだしてからも、過酷さは雪だるま式に膨れ上がります。
お母さんの言いつけを守って、お母さんの偏った価値観に沿うからです。
感情を捨てたのですから心に、自分、なんか育ちません。
そして、生まれた時から、スケープゴートの役を割り当てられているのですから、
あきちゃんは、自慢の子になんかなれないと、はなから思っています。
自分自身を大切に思えないと、不思議なぐらいに出会う他者は、粗末な扱いしかしてくれません。
素直であるが故に、言いつけを守り、どんどん生きづらくなってしまう、あきちゃんの様な子、は沢山居ます。
自己愛的な親は、
子の素直さを、扱い易さ、と解釈します。
子の朗らかさを、どんな扱いをしても構わない、と見て取ります。
生まれた時から、粗末な存在、という役を割り当てられたら、
自分の価値など見つけられる訳がありません。
それでも長く苦しんで、苦しみの先で、気づく人も居ます。
過酷な環境を踏み越えて歩んだからこそ、気づく人は居るのです。
価値を見つけられる筈も無い環境に育ちながら、
それでも気づき、自分の価値を探し始める人は、
それは、それは、尊い存在である、と私は確信します。
その気づきは、
不可能を勇気で、可能に変える偉業、なのだと確信します。
親は、
どんな扱いをしても構わない、と判断し、
粗末な存在、というレッテルを貼ったかも知れません。
しかし、それは自己愛的な親の、明らかな誤認です。
気づいたことが既に、
勇気の証明であり、
尊さの証しです。
気づいたなら、
無意識のフロアに転がった、
感情と思考を拾い上げ、
意識のテーブルに乗せます。
気づいたなら、
素直で朗らかな、
本来の姿を思い出す日は、
すぐそこです。
軽やかに、活き活きと、
やわらかな陽光を浴びて、
きっと歩める、
そう確信しています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
