「お腹だけじゃ済まねえ」全身を痛めて産んだ、3500gの出産記録。
第一子・長男の出産レポ:忘れてしまう前に書き留める「全身の記憶」
息子の3歳を迎える前に。
あの時の感覚を忘れてしまう前に、私の第一子・長男の出産レポを記録しておこうと思います。
里帰り出産、無痛分娩は選択できず、普通分娩での記録です。
地獄のつわりと、食欲の圧勝
妊娠中はつわりが酷く、いわゆる「吐きづわり」でした。
脱水になって点滴を受けたこともあります。
正直、つわりが辛すぎて、それ以降のトラブルは全部マシに感じたほどです。
妊娠後期に入ると、あんなに減っていた体重がぐんぐん増え、ついには妊婦健診で助産師さんに注意されるレベルに。
歩いたりマタニティヨガをしたりと一応努力はしたものの、結果はシンプルに「食欲の圧勝」でした。
母の勧めで受けたマタニティヨガの先生に言われた言葉だけは、今でも覚えています。
「とにかく呼吸。特に“吐くこと”。陣痛がきたら、ふーって吐くことだけに集中しなさい」
最後(?)の晩餐と、忍び寄る痛み
出産予定日前、最後の健診。
いわゆる「内診ぐりぐり」をされ、子宮口は1センチ。
「来週までに生まれなければ、誘発分娩や帝王切開の可能性もあります」と説明を受け、同意書を渡されました。
万が一のリスク説明は想像以上に怖く、不安でいっぱいになる私に、産婦人科医はこう言いました。
「この説明が怖くて産気づく人もいるんですよ〜」
帰り道、駅で「これで出産前最後かもしれない」と杏仁豆腐を買いました。その帰り道、急にお腹が痛くなって一瞬立ち止まりましたが、すぐにおさまり帰宅。
夕飯も普通に食べましたが、なんとなく違和感がありました。
「なんか痛いかも……」
間隔はバラバラで、我慢できる程度。
それでも念のため、買っておいたスイーツは全部食べておくことにしました。
しばらくお風呂にも入れなくなるだろうと思い、早めに入浴を済ませます。
加速する陣痛と、家族のサポート
徐々に痛みは強くなり、間隔は15分ほどに。
お風呂には妹が付き添ってくれ、髪を洗うのを手伝ってくれました。
入浴中も「あ、ちょっと待って、きそう」と何度も中断。
すると母が一言。
「本当の陣痛はこんなもんじゃない。まだまだ陣痛とは呼ばないよ」
その言葉とは裏腹に、痛みは確実に強くなっていきます。
「あ、くる……!」と声を上げ、妹にお尻を押してもらうと少し楽になる。この頃から、父が陣痛の間隔を正確に記録し始めました。
コロナ禍の孤独な入院と、あふれた涙
21時頃、10〜12分間隔でしたが、不安になって病院に電話するも「もう少し様子を見て」と言われ、自宅で耐えます。
バランスボールに乗ったり、抱き枕にしがみついたり、とにかく楽な姿勢を探す時間。
22時頃、間隔が8〜10分になり、再度電話して病院へ向かうことに。
車の中は体勢が制限されて、痛み逃しがとにかくきつい。
「夜景がきれいだね」なんて家族の声が聞こえるけれど、そんな余裕は一切ありません。
病院に着いた頃には歩けず、車いすで運ばれました。
コロナ禍のため、付き添いはここまで。
母から荷物を受け取り、一人で病棟へ。
診察の結果、子宮口は5センチ。即入院。
その瞬間、内診台の上で涙があふれました。
痛みに耐え続けている疲れ、これから続くことへの恐怖、そして「いよいよだ」という現実。
いろんな感情が一気に押し寄せて止まりませんでした。
助産師さんは「おお、どうした?不安になっちゃったかな」と、どこか軽やかでした。
「鬼か。」絶望のPCR検査とサインの修行
待機室へ移動したのは23時頃。
マスクをしたままの陣痛は、本当に苦しい。
「書類に目を通してサインしてくださいね」 と言われても、頭は完全に陣痛に支配されています。
(今、詐欺の書類が紛れてても絶対サインしてしまうな)
と思いながら、とにかく手だけ動かしてサインしました。
そして追い打ちのPCR検査。
直前に水を飲んだことを伝えると、「今から30分、水は飲まないでください。そのあと唾液を採取します」とのこと。
鬼か。
陣痛中、「ああああ」「ううう」と声を出し続けて喉はカラカラ。
それなのに水禁止。
さらに、あの「レモンや梅干しの画像を見て頑張って唾液を出す」検査。
出るわけがない。
30分後、陣痛の合間に必死でかき集めるも、「う〜ん、もうちょっと必要だね」と。
鬼か。(もちろん助産師さんは悪くない)
喉は乾いているのに、唾液を集め終わるまで水は飲めない。
地味に、かなりきつい修行でした。
限界突破の徒歩移動、そして分娩台へ
ようやく検査に必要な量の唾液が集まり、やっとの思いで水を飲む。
この頃には、陣痛の合間に体が痙攣するように震えていました。
助産師さんに聞くと、「力を入れすぎて筋肉が収縮してるだけ」とのこと。
気づけばマスクは顔についているだけで、鼻も口も丸出し。
子宮口はすでに8センチ。
「分娩室に移動しましょうか」と言われ、続いた言葉は、
「歩いて移動しましょう」
え、さっき車いすだったよね?今のほうが圧倒的にきついのに?
鬼か!
陣痛のたびに立ち止まり、数メートルの距離を何分もかけて進む。
人生で一番長い数メートルでした。
ようやく分娩台にたどり着き、もう逃げ場はないと覚悟を決めました。
ついに誕生:叫んだ名前と、スピード出産
陣痛間隔は2分。
意識は限界。
疲れのせいか間隔が空き始め、「オキシトシンで誘発します」と処置が始まりました。
点滴が始まり、再び強くなる陣痛。
とにかく「吐くこと」だけに集中。
助産師さんは「上手上手!」と言ってくれたけど、正直、それどころじゃありませんでした。
ある瞬間、パチン、と何かが弾けたような感覚。
じわっと温かいものが広がる。
「破水しました!」
そこから一気に流れが変わりました。
いよいよ「いきんでください」と言われるも、どうすべきか分からず、助産師さんの声に合わせて必死に力を入れます。
「お母さん!目開けて!はい、いきんで!」
「はい力抜いて!」
「次、頭出るよ!」
何回繰り返したのかは覚えていません。4回か5回か。
ふーんっと、全てが抜けるような感覚。
赤ちゃんが生まれてきた瞬間、私は—— 事前に決めていた息子の名前を、思い切り叫んでいました。
元気な泣き声が聞こえて、心の底から安心しました。
産後の「想定外」:胎盤と、痛すぎる縫合
深夜2時過ぎ。
3500グラムの元気な男の子。
分娩時間は5時間半。
初産にしてはスピード出産でした。
ただ、私はずっと全身が震えており、痙攣のように止まりませんでした。
後陣痛で胎盤が出るときは「ドゥルルン」という感覚で、むしろ少し面白いくらい。
余裕が出てきて「胎盤見せてください」とお願いすると、出てきたのは巨大なレバーのような赤黒い塊。
へその緒は長くて、正直ちょっと気持ち悪い。
その後の会陰縫合。
麻酔があるからと油断していましたが、チクチクと普通に痛い。
「え、痛いんですけど」と思いながら、再び呼吸で痛みを逃がす。
出産って、なかなか終わらないんだなと痛感しました。
「お腹だけじゃ済まねえ。」全身で産んだ証
すべての処置が終わり、やっと隣に来た赤ちゃん。
むくんでパンパンで、イメージしていた“可愛い新生児”とは違ったけれど、それでも、ものすごく愛おしかった。
出産後すぐ、陣痛の痛みは忘れると聞いていたので、私は絶対に忘れないよう言葉に残していました。
家で耐えていた時に考えていたのは、こんな表現です。
「腰にダンプカーが乗ってきたような痛み」
「尾骨をハンマーで叩いて砕かれるような痛み」
実際、産後すぐに痛みは忘れてしまいました。
あの時、必死に言語化しておいて良かったです。
よく「お腹を痛めて産んだ子」と言いますが、私はこう思います。
「お腹だけじゃ済まねえ。全身を痛めて産んだ子だ」
私の自己紹介を以下に書いています。よかったら覗いてみてください。
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