未開催同窓会

高校を卒業して7年が経つ。20歳のときの同窓会を最後に、同級生と集まる機会もなく、当時の記憶は日に日に断片的に、遠く現実味がなくなっていく。高校生の自分と現在の自分の連続性が失われていくような、妙な感覚がある。もしも当時の同級生と、当時と同じようにまた集まったならば、薄くなった連続性をなぞり書きすることもできるのだろうか。そのことに興味がある一方で、もし今後同窓会が開催されたとして、自分は出席を躊躇うだろうという予感もある。
同窓会にさほど興味を持たない人は、たぶん珍しくないと思う。彼らが同窓会を心待ちにしていない理由は、「仲が良い人とは同窓会がなくても会うから、わざわざ同窓会に行く意味がない」と語られることが多い。僕も、自分が同窓会への出席に前向きでないことを、そのように理由づけていた。でも、本当にそうなのだろうか。出来合いの常套句で、自分の感情をラベリングしてはいないだろうか。
そうして思い返してみると、特別に親しいわけではない、同窓会でもなければもう一生会わないかもしれないかつての同級生の中にも、好きな人はたくさんいる。自分がその人たちに全く興味を持っていないなんて、嘘だと思えた。
では、なぜ同窓会に行きたいとまっすぐに思えないのだろう。きっと僕は恐れているんだと思う。僕たちは、当時のようには時間を共有していない。高校を卒業してから、異なる場所で暮らし、異なることを学び、異なることを考え、異なるものを目指して生きている。今思えば、机を並べて同じ授業を受け、大学に合格するという目標を(形式上は)みんなで共有していた高校時代というのは、すごく特殊な期間だった。今はあの頃とは圧倒的に違う。
今の僕たちは、当時同じ学校に通っていた事実しか共有することができない。異なる生き方をしている同級生と、全く話が噛み合わなかったら。大好きなはずの友達との会話を不快に思ってしまったら。そのことが怖い。同質性のみを人間関係の拠り所にしようとする、自身の矮小さに直面することが怖い。まっとうに競争社会の中で生きることを擲った自分は、もしかすると同級生の目には退屈に映るかもしれない。異なる人生を歩む人たちとの違いを認め合える自信がない。
こうして自身の不安を整理するうちに、これはもうどうしようもないことだなと気がついた。いま僕と似たような価値観を持って、似たような生活をしているように見える友達だって、これから先、いつかは異なるライフスタイルを歩むことになるのだ。結局のところ、枝分かれする人生の中で人との繋がりを保つためには、人との違いに怯えながらも、違いを補う努力を続けていくしかないのだろうなと、開き直った気持ちになれた。

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