「そんなことある?」が止まらない、語学オタクの冒険譚で世界にちょっと近づいた
ちょっと待ってよ何その漫画みたいな展開!
第1章の1節目にして、私は声をあげそうになっていた。
そんな持ちネタができるなら、私も学生時代、英語なんて頑張らなければよかった。そして初めての海外旅行先を、インドにしておけばよかった。
でも。
高野秀行さんのエッセイ『語学の天才まで一億光年』を読み進めていくと、初の旅行先をインドにしたくらいじゃ、筆者の経験になんてとても追いつけないことがわかる。
なにしろ高野さん、わけのわからない理由で旅に出て、わけのわからない動機で語学を学び、わけのわからない出来事に遭遇し続けるのだ。
「マラリア患者というアイデンティティ」だの、「自分たちがミャンマーという国に住んでいることを知らない少数民族」だの、パワーワードが次から次に現れて忙しい。
著者は旅行記もたくさん出版しているみたいだけど、本書のテーマはタイトルの通り「語学」だ。
筆者は生粋の語学オタク。リンガラ語とかワ語とか、教科書もない、誰に習えばいいのかもわからない言語に次々と挑んでいく。そしてその語学力を通行手形に、現地の社会に入り込んでいく。
たとえば「ホテルの自室が従業員のたまり場になった」とか、「少数民族の独立運動を手伝った」とか、「少数民族の村に滞在し、学校を開いて子どもたちにその民族語の読み書きを教えた」とか。
「ちょっと待ってそんなことある?」の連続だ。
そんな旅行記ももちろんめちゃくちゃに面白いのだけど、個人的には高野さんの語る「言語観」、「世界観」の話がとても良かった。
私自身 -- 高野さんの経験値には遠く遠く遠く及ばないけれど -- それなりに旅行はしてきた。
中米・ベリーズの無人島でテント泊したり。
ケニアのマサイ族の村を訪問したり。
ミクロネシアのヤップ島で首長とあいさつしたり。
ベトナムのバイクタクシーに騙されて謎の宿に連れて行かれたり。
電気もガスも水道もないボリビアの宿で懐中電灯を頼りに歩いたり。
台湾人の友人の実家を訪ねたら親戚の家に連れて行かれたり。
だけど、中南米やスペイン語圏の人々の言語観についても、マサイ族の民族性についても、ベトナム人の世界観についても、語れることは何もない。
ひとつには、私が主に観光客向けに整備されたルートで旅してきたからだ。「マサイ族訪問」は、観光客向けツアーの一環だったし、「電気もガスも水道もないボリビアの宿」とはウユニ塩湖の人気ホテルだ。
でもそれだけじゃなくて、「私が現地の言葉を理解できないから」というのも大きいんだろう。
世界観や民族性というのは、往々にして言語に反映されるものだから。
言語は、現地の人と交流する手段であるだけでなく、人々の感覚や考え方にアクセスする糸口でもあるんだなと、このエッセイを読んで改めて思う。
たとえ物理的に同じ場所を通ったとしても、その土地の言葉をかじり、現地のコミュニティに溶け込んでいかなければ感じ取れないものがある。
そして高野さんは、その「感じ取ったもの」を言語化し、読者に提示するのがうまい。
むちゃくちゃな旅エピソードの合間にさらりと差し込まれる言語観に触れて、ちょっと世界に近づいた気になれる、そんなエッセイだ。

