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【「あなたの文章、好きです」が言えない】

noteを始めて、もうすぐ半年。
私はいまだに、
「スキ」を押すだけでくたばる。



コメントは、いきなりnoteに書けない。
まず、Gmailで下書きを作る。
書いては消し、順番を入れ替え、また消す。
「送信」を押す頃には、
指が震えている。



フォローになると、もっとひどい。
スマホを置いて、
一度お茶を飲む。
たった一つのボタンなのに、
これは一体どういうことだろう。



人が増えると、
誰が誰だか分からなくならないか。
申し訳ない気持ちになる。

「あの文章を書いた人」

「あの一文をくれた人」

「あの時、心に残った人」



ただの記憶力不足だけど。
私はいったい、
何の許可を取ろうとしているんだか、
さっぱりわからない。
我ながら、面倒くさい奴だと思う。



今日も今日とて、
スキの一覧をしげしげと眺める。
限られた時間、スキを、
どなたに押させてもらおうか。



その人のページへ伺う。
プロフィールを読む。
記事を読む。
もう一つ読む。
気づけば三記事くらい読んでいる。



まるで本屋で、
「今日は一冊だけ」
と決めたのに、
閉店まで棚の前をうろうろしている人だ。



どの本を買おうか。
表紙をじっと見る。
帯の派手な文字を読む。
少しだけ中身をめくってみる。
そうやって、本当に欲しい一冊を探している。



だって、スキの無駄遣いなんてしたくない。
「とりあえず押しとけ」で終わるような
スキは、寂しすぎる。
タイパが悪すぎて、
時々noteを歩けなくなる。



面白かったから読み始めた。
なのに途中から、
その人に届く一言が見つからなくて、
何度も読み返している。
だから私は、
コメントというものが
心の底から下手なのである。



noterさんのコメント欄を
恐る恐る覗いてみる。
みんな、本当におそろしいほどすごい。
そこには
ただの文字列ではなく、
ちゃんと「人間」がいる。
生きた体温がある。

 

気の利いた言葉が、
お茶の間で世間話でもするかのように
自然に交わされている。



まるで、好きな男の子の机に、
そっとポッキーを置いていく
青春のワンシーンだ。
しかし、私はどうだ。



ポッキーを握りしめたまま、
自分の机の前で
カチカチに凍りついている。



……この感じ、どこかで覚えがある。



思い出すのは、小学生の頃のことだ。
あの時、読書感想文がどうしても書けなくて、
放課後に居残りをさせられた。

「なんで、この本を選んだの?」

「だって、文字が少なくて薄いから、
これなら私にも感想が書けると思ったんです」

「……もういい。しょうがない、それを書きなさい」

最後にひねり出したその感想は、

「〇〇作家さんは、
長い文が書けてすごいと思いました」

だった。



でも、あの瞬間の私の本当の感想は、
まぎれもなくそれだった。
だからこそ、困る。
好きな文章を書く人を見つけると、
猛烈に近づきたくなる。



でも、
いざとなると
近づき方が微塵もわからない。



お人柄を知りたい。
私の存在も、
ほんのちょっぴり知ってほしい。



でも、廊下ですれ違うだけの関係なのだ。
もし、まったく知らないクラスメートが、
ある日突然、
満面の笑みで近づいてきて、

「こんにちは! いつもあなたのこと見てます!」

と言ってきたらどうだろう。



……普通に怖くないか?

「何が起きた?」

「こいつ、いったい何が目的なの?」

脳内で
盛大に警戒サイレンが
鳴り響くはずだ。



だから今日も、
私は安全な遠くの位置から
ひっそりと読んでいる。
本当に気になる人は、
フォロー欄ではなく、
誰にも見えないブックマークのなかに
こっそりと増えていく。


「あなたの文章、好きです」


その一文が言えなくて、
今日も私は、
「スキ」
を一つ置いて帰る。



まったく、
noteというのは
一筋縄ではいかない。






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