「食い物にも仁義はある」
テーブルの上には、枝豆の皮が山のように積まれていた。
事務所中の視線が、床に落ちていた。
二郎は知っている。
“蔵元にとって、食い物にも仁義はある。“
「……二郎」
蔵元の声は穏やかだ。だが、その瞳は怒りよりも深い哀しみを湛えている。
二郎は直立不動で、視線を床に落とした。
「……はい」
「この枝豆は、俺が朝一番で畑に走り、一番いい実を『摘ませて』もらったものだ。ただの豆じゃない。枝から離れた瞬間に味が落ち始める、鮮度の化け物なんだぞ」
二郎は何も言えない。彼の胃袋には、蔵元が二時間をかけて見極めた「茹で上がりまでの一分」を、無残にも奪い去った罪が重くのしかかっている。
「茹で時間を五秒誤れば、この豆は死ぬ。お前の喉を通ったのは、豆じゃない。俺の、この二時間の仕事だ」
「……申し訳ございません」
蔵元は、空の皿を指先でなぞった。
「犯人は、お前だ」
二郎が覚悟を決めて頭を垂れたその時、蔵元はふっと表情を緩めた。
「……だが、許してやる。その代わり、この山盛りの『皮』を、一時間かけて選別しろ。豆の粒が残っていないか、一粒も逃さずにな」
「……え?」
「いいか、枝豆だ!それは食うための豆だが、同時に『食い手の執念』の塊なんだ。残りの豆を一つでも見つければ、お前の負けだ。俺は、その豆を肴に酒を呑む」
二郎の顔に、希望という名の血の気が戻る。彼はすぐさま、積み上がった皮の山に手を突っ込んだ。
「はっ! ……一粒も、残しておりません」
「馬鹿者。残っていたから、こうして二人で向き合っているんだろうが」
蔵元は、二郎が丁寧に選別し直した一粒の豆を箸でつまみ上げた。その手つきは、まるで宝物を扱うようだった。
(……確かに、旨かった。)
事務所に、茹でたての豆の香ばしさと、常磐線の煤けた風が通り抜けた。
