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前提が間違っているから嚙み合わない17ー自国第一主義ー




「自国の利益を守る」という命題の構造的欠陥

「自国ファースト」「○○第一主義」という主張の論理的核心は「自国の利益を最大化すべきである」という命題だ。これは一見自明に見えるが、二つの前提に依存しており、どちらも現代の経済・安全保障・環境の構造においては成立しない。

第一の前提は「国際関係はゼロサムである」という想定だ。他国が得れば自国が失う、外国人が雇用されれば自国民が失業する、貿易相手が豊かになれば自国が貧しくなる——という発想がゼロサム思考の典型だ。しかし貿易理論の基礎であるリカードの比較優位論が19世紀初頭に示したように、分業と交換は双方の絶対的な富を増加させる。二国が得意分野に特化して取引すれば、孤立して全てを自給するより両者の生産量が増える。現実の世界貿易もGDP成長も、この正和ゲームの論理で動いている。ゼロサムという前提は誤りだ。

第二の前提は「自国」が均質な利益を持つ統一体であるという想定だ。しかし現実には「自国」の内部に生産者と消費者、輸出産業と輸入依存産業、資本家と賃労働者、都市と農村という対立する利害が存在する。「アメリカ・ファースト」が鉄鋼関税を課したとき、国内鉄鋼メーカーと国内鉄鋼消費産業(自動車・建設・製造業)の利害は真逆に動いた。「自国の利益」という概念そのものが、誰の利益かを問わない段階では意味をなさない。

この二つの前提が崩れれば、「自国第一主義」という命題は「誰かの特定の利益を、国民全体の利益と呼ぶ」という政治操作として現れる。

トランプ政策の結果:検証可能な事実として

「アメリカ・ファースト」は、政策としての結果を検証できる事例として機能する。主張ではなく、数字で確認する。

第一期トランプ政権(2017〜2021年)において、対中関税・鉄鋼アルミ関税が段階的に発動された。中国側は2018年5月に大豆注文をキャンセルし、その後6ヶ月間の対中大豆輸出は2017年(関税前)の約4分の1まで落ちた。米農務省の試算では、報復関税による農産物輸出損失は2018〜2019年の2年間で約270億ドルに達した。米国際貿易委員会の報告(2023年)では、鉄鋼・アルミ関税によって保護された産業の生産は28億ドル増加したが、下流産業(鉄を原料とする産業)では34億ドルの生産減少が起きた。保護した産業の利益より、保護が引き起こした損失の方が大きかった。

貿易赤字については、「アメリカ・ファースト」の掲げた最大の目標のひとつが赤字削減だった。結果として2018年の米国貿易赤字は6,210億ドルと2008年以来最大を記録した。これは政策の失敗ではなく、貿易赤字が貿易政策ではなく国内の投資・貯蓄のバランスで決まるという経済学的事実の現れである。輸入を制限しても、民間投資が貯蓄を上回る構造が続く限り赤字は縮まらない。問いの立て方が間違っていれば、正しく実行しても目的を達成できない。

第二期(2025年〜)において規模は拡大した。2025年4月の「解放の日」宣言による相互関税の発表は株価の急落を引き起こした。対中関税は145%まで引き上げられ、中国側の報復関税も125%に達した。Tax Foundationの試算では、2026年時点での関税負担は米国の一家庭あたり平均1,500ドルの増税に相当する。対中農産物輸出はカナダや中国の消費者による不買運動も加わってさらに低下した。

これを「アメリカが弱体化した」という評価で締めることは正確ではない。アメリカは依然として強大な経済・軍事力を持つ。問うべきは「アメリカ・ファーストという政策が、その掲げた目標を達成したか」という機能評価であり、答えは否である。保護した産業より損失を受けた産業の方が大きく、削減すると言った貿易赤字は拡大し、同盟国との関係の不確実性は高まった。

ブレグジット—最も実証されたケーススタディ

「国民が自国の主権を取り戻す」という自国第一主義の言語が政策として実行された最も大規模な事例がブレグジットである。そして最も長期間・多角的に経済的帰結が測定されている事例でもある。

2025年に発表されたNBERの論文(Bloom et al.)は、マクロデータと英国企業の個別調査データを組み合わせた包括的な検証として、2025年時点でブレグジットによってUK GDPは6〜8%低下したと推計している。英国予算責任局(OBR)は長期的な生産性低下を4%と見積もり、ゴールドマン・サックスは2016〜2024年の英国GDP成長率の比較国対比5%の下振れをブレグジットに帰因している。投資の減少は12〜18%、雇用は3〜4%、生産性は3〜4%の低下という推計が複数の研究で収斂している。

ブレグジット後に英国が締結した新規自由貿易協定の経済便益をGDP比で試算するとおよそ0.47%(約130億ポンド)である。一方、OBRが試算するブレグジットのコストはGDPの4%(2024年GDP比で約1,160億ポンド)だ。「EUの縛りから離れて新たな貿易協定を結べる自由を得た」という論理の便益は、離脱のコストの約8分の1にとどまっている。

重要なのは、ブレグジット批判が「国境を排除すべきだ」という価値論ではないという点だ。英国が主権を重視したいという欲求は理解可能である。問題は、そのコストが事前に正直に提示されなかったことと、実際の帰結が明確になった後も「見えないコスト」として政治的に処理され続けたことにある。

日本の文脈「日本ファースト」の物理的矛盾

日本のインターネット上の言説で繰り返される自国第一主義的な主張、移民反対・外資規制・「日本人のための経済」は、前稿までのシリーズで確認してきた事実と正面から衝突する。

食料自給率37%、エネルギー自給率13%という数字を前提にすると、「日本ファースト」で国境を閉じるとどうなるか、計算は単純だ。エネルギーは国内供給の8倍近い量を輸入に依存している。農業も現在の形は化学肥料(その原料であるリン・カリウム・窒素化合物のほぼ全量が輸入)なしには維持できない。日本が誇る自動車産業・電機産業は、原材料・半導体・レアアースを世界中のサプライチェーンから調達してはじめて成立する。「日本ファースト」を最も声高に語る人々が依存する産業・製品・生活水準の多くが、グローバルな統合なしには存在しない。

これは「グローバリズムは良いものだ」という価値命題ではない。「自国第一主義によって守ろうとしている日本の豊かさが、自国第一主義の前提と論理的に矛盾する」という構造的事実の確認だ。日本の現在の生活水準は、グローバルな統合の産物である。それを維持しながら統合を否定することは、結果を肯定しながら原因を否定することと同義だ。

言説の構造的欠陥、なぜ噛み合わないのか

日本のインターネット上の自国第一主義的な議論に繰り返し現れる問題は、感情そのものではなく、分析の欠如にある。

「外国人に仕事を奪われる」という主張は「労働市場の有限性」という前提に立っているが、経済学ではこれを「労働の固定量の誤謬(lump of labor fallacy)」と呼ぶ。雇用の総量は固定されていない。外国人労働者が消費・納税・経済活動を通じて需要を生み出し、追加的な雇用を発生させる効果もある。特定職種での競合は起きうるが、「総雇用が純減する」という単純命題は経済的根拠に乏しい。

「国益を守れ」という命題は問いとして未完成だ。「誰にとっての国益か」が先行しなければならない。円安は輸出企業の利益になりながら実質賃金を下げ輸入物価を上げる。同じ「日本」の中で利害が逆転する。「国民全体の利益」という概念は、内部の利害対立を不可視化する政治的語彙として機能することが多い。

匿名のインターネット上でこれらの議論が増幅される理由は、プラットフォームの設計に起因する。怒り・恐怖・仲間意識を刺激するコンテンツはエンゲージメントが高く、アルゴリズムによって可視性が高まる。匿名性は反論コストを下げ、過激な表現を低コストで発信できるようにする。選択的に集まるコミュニティ内では同質の意見が増幅され、それが社会全体の多数意見であるかのような錯覚が生まれる。これは日本固有の病理ではなく、同一のプラットフォーム設計が世界各地で同一の現象を生んでいる。

問題は感情を持つことではない。賃金が上がらない、生活が苦しい、将来が見えないという懸念は構造的に正当な問いである。問題は、その正当な問いに対して原因を誤って特定した解答を当てはめていることだ。正当な問いが誤った因果帰属に結びついたとき、解決策は問題を悪化させる方向に動く。

世界各地での同現象—共通する構造ー

英国のブレグジット、フランスのRN(国民連合)の台頭、ハンガリーのオルバン政権、インドのモディ政権の「インド・ファースト」、ブラジルのボルソナロ政権、いずれも「自国の主権・文化・雇用を外部の脅威から守る」という言語で支持を集めた。

共通するパターンがある。選挙においては有効だが、統治においては前提が崩れる。英国は離脱後に農業・建設・介護分野での労働力不足に直面し、制限したはずの移民を「高度技術者」として引き続き必要とした。ハンガリーはEU補助金への依存度が高く、EUを批判しながらそれで国家財政を維持している。「自国ファースト」を旗印にしながら、実態として最も依存しているシステムを攻撃するという逆説が繰り返される。

なぜ繰り返されるのか。自国第一主義はグローバル化による格差拡大・製造業の空洞化・コミュニティの解体・文化変容への不安という実在する問題への応答として生まれる。これらは正当な問いであり、それを感じる人々の経験は現実的だ。問題は、その原因診断として「外部の敵」という単純化が採用されるとき、複雑な構造的原因が見えなくなり、解決策が問題を悪化させることにある。診断が誤れば、治療は害になる。

自国第一主義が「解」になり得ない問題の構造

現代の主要な問題のうち、気候変動・感染症のパンデミック・核不拡散・海洋汚染・サイバーセキュリティは、いずれも単一国家の行動では解決できない。

気候変動は排出を減らした国が恩恵を受けるが、減らさない国の排出が継続する限り物理的な帰結は変わらない。感染症は国境で止まらない。核は一国が放棄しても他国が保有し続ければ地政学的バランスが崩れる。これらは「協力しなければ全員が悪化する」集団行為問題の構造を持つ。自国ファーストは個々のプレイヤーが「協力しない」を選ぶことを合理化するが、全員が「協力しない」を選んだ結果は全員にとって最悪の均衡になる—囚人のジレンマの基本的帰結だ。

さらに根本的な問題がある。自国第一主義が攻撃対象とする「グローバルなルールに基づく秩序」は、自国第一主義者が最も恩恵を受けているシステムでもある。WTO・国際通貨基金・SWIFT(国際決済網)・海洋法条約、これらの多国間システムは不完全だが、それが存在することで貿易・投資・安全保障のコストが劇的に低下している。そのシステムの恩恵を享受しながら「自分たちだけ特別な条件を得る」ことを追求するとき、それはフリーライダーの立場になる。そのフリーライダーが大国であれば、システムそのものが崩壊する。

要約する。「自国第一主義」は二つの誤りに依存している。国際関係はゼロサムであるという誤りと、「自国」が均質な利益を持つという誤りだ。トランプの関税は保護産業より下流産業に大きな損失を与え、削減するはずだった貿易赤字は拡大した。ブレグジットはGDP6〜8%の損失を支払い、新規FTA便益はそのコストの8分の1に届かない。日本の賃金停滞・食料エネルギー依存・産業構造という現実は「日本ファースト」の主張と物理的に矛盾する。インターネット言説の問題は感情ではなく、正当な問いを誤った因果帰属に結びつけていることにある。そして気候・感染症・核という現代の主要問題は、単一国家の自国優先行動では定義上解決できない。「自国第一主義」は選挙の言語として有効だが、政策として実行されたとき、それが否定しようとしていた現実への依存を自ら暴露する。

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