20歳から想い焦がれた北欧留学を、27歳で叶えるまで。
26歳会社員。もうすぐ社会人5年目を迎えるタイミング。
そんな私は、3年間お世話になった会社を休職し、4年付き合ったパートナーを日本に残し、今年の夏、27歳になるタイミングでデンマークのフォルケホイスコーレに留学する予定だ。
なぜこのタイミングで、なぜデンマークに留学するのか。留学前の私は何を考えているのか。そんなことを記録しておくためにこのnoteを書こうと思う。
私の夢に「先生」という文字が加わった、高校3年生の頃。

私が北欧や教育に興味を持ちはじめたきっかけは、約10年前。高校生の頃まで遡る。
高校3年生の春。全国大会に出場する都内では強豪と呼ばれるダンス部の部長を務めていた私は、引退に向けて部活に力を入れていた。憧れのダンス部に入部してから、先生の異動などで毎年顧問が変わった。
3年生になったばかりのとき、顧問になった新卒先生と私たち生徒で少しのいざこざがあった。それが学校内で大ごとになってしまったり、先生を傷つけてしまったりで、先生はしばらく顧問を離れることになった。
その間、ダンスと無縁の副顧問の先生たちが必死になって部活を支えてくれた。朝7:30から始まる朝練のために、先生はその時間に職員室にいなければいけない。英語を担当するおじさんの先生が、朝練のために朝学校に来てくれて、昼休み職員室で味噌汁をお椀に入れて飲み切らないまま机の上に突っ伏せて寝ていた姿を見たとき、胸がキュッと締め付けられた。
どれだけ苦労をかけたんだろう。同時に感謝の気持ちも生まれた。いざこざがあった先生とは和解して、より強い絆が生まれた。
個性的な先生たちと、ときに傷つけ合ったり、助けられたりと濃い関わりを経て、私は「先生」という存在へのリスペクトと憧れを募らせた。私も誰かのためにがんばりたい。人に正面から向き合って、人のためを思って動ける人になりたい。
大学進学に向けて動きはじめたあの日、私の夢に「先生」という文字が加わった瞬間だった。
大学で教育学を学ぶほど、深まる夢への懐疑心

「興味を持てる教科で教員免許を取ろう。でも飽き性な私のことだから、心変わりする可能性もある。一般企業や公務員就職も選択肢として残したい。」
そう考えた私は、教育大学でも教育学科でもなく、法学部政治学科に入学し、政治経済をメインとした教員免許取得に向けて動いた。(公務員を執拗に推してくる親を納得させる意味もあった)
大学2年生になり、本格的に教員免許取得に向けた教育科目の授業がはじまった。周りの友人の2倍の量でパンパンに埋まった時間割をこなすのは、体力的にもかなりキツかった。
教育科目に力を入れた大学ではないのもあり、教育学科専攻の人たちはみんなやる気がないし、授業中うるさくて。こういう人たちが大学卒業後そのまま教壇に立つなんて。と、冷めた目で見てしまっていた。
大学生になれば精神的に大人になれるわけでもないな、と20歳になって気づいた私は、大学卒業後そのまま先生になるというルートに違和感を抱きはじめた。(その道を否定したいわけではなく、「自分は違う」と思った)
教育学関連の授業を受けていたある日、北欧の教育は日本と違う、という話を聞いた。講義の内容は詳しく覚えていないけれど、そのときの私は「日本の教科教育より、北欧の教育の方が理想的だ!」と直感的に思った。
日本の教育に懐疑的なのに、このまま大学を卒業して日本の学校の教壇に立つのは、自分の心に反していないか?むしろ北欧教育を学んだり、就職して教育事業で新しい形を目指したりする方がいいんじゃない?と考えるようになった。
月〜金、1〜6限まで(多少の空きコマはあるものの)埋まった時間割に対するやる気を失っていった。当時やっていたバイトも部活のコーチもサークル活動も、全部が中途半端で、苦しかった。
そんな私を見かねた、地元が近いサークルの先輩が私の最寄駅まで来てくれて、駅前のジョナサンに行った。パフェを食べながら悩みを打ち明けると、「奈子はもうキャパオーバーなんだよ、何かを減らすしかないんじゃない」そんなアドバイスをもらって、やっと、教職取得を手放す決心ができた。
先生に、「先生になるのを辞めます」と伝えた雨の日のこと

大学時代、ダンス部のコーチを務めていた私は、大会の引率にも参加していた。
そこには、私が高校生の頃に顧問だった先生が、別の学校の顧問として参加している。大会で遭遇するたびに近況をシェアしていたり、自チームのアドバイスをもらったりする仲。
その日も、体育館の地下の休憩スペースで集合してお話しした。私は教員を目指すことをやめると、勇気を出して伝えた。
高校生のとき、「教員を目指します」と伝えた瞬間すごく喜んでくれた先生だから、辞めることを伝えるのは心苦しかった。いつかお互い顧問として全国の舞台で再会できたら最高だよねって。それが叶えられなくてごめんなさい。そうとは言わないけど、心のなかでつぶやく。
先生を目指すのを辞めますと言うのは、先生に対して「あなたの職業は魅力的ではありません」と否定しているみたいで辛かった。先生のことは尊敬していた。先生という仕事も。ただ、自分のなかで生まれた北欧教育への憧れや日本教育への疑問を無視できなかった。先生は「傷つられた」そんな顔をした。
大会の帰り道は雨が降っていた。暗い外の道を、傘を差しながらひとりで歩く。そのとき、後ろから早歩きで歩く人に抜かされた。先生だった。先生は私に気づいていたと思うけど、声をかけることをしなかった。私もまた声をかけなかった。大好きだった先生と疎遠になった瞬間だった。
就職活動でふたたび気づいた教育への想いと、ベンチャー就職

そこから数年間、私はいかにも大学生らしい生活を送って、これまでの人生でいちばんのうのうと生きていきた気がする。そのうちに教育への想いは頭から消えていって。バイトと恋愛と遊びとサークルに集中していて、特段教育にまつわるアクションを起こすことはなかった。
ふたたび教育への想いが再燃したのは、就職活動を始めてからのこと。
自己分析や、やりたいことに向き合わなくてはならない就活。進路に血迷っていた私は、意思もなくいろんな業界にESを出しては落ち、自信を失っていった。
そんなとき中小企業やベンチャー企業の合同説明会に参加して、「日本の教育を変えたい」というビジョンを掲げる会社に出会った。
今思うと抽象的な目標だったけれど、私はなんだか、ビビッと来てしまった。その会社にたとえ受からなくても、中途採用でもいいから入りたい、と。
選考過程で一度落とされたのに、悔しくて、追いかけたくなって、2度目の選考チャレンジをください、とメールした。2度目の選考で内定をもらった。
他の会社にも内定をもらったり、最終面接まで進んだりしたけれど、やっぱり私は教育がやりたくてその会社に入社を決めた。大手企業の選考が本格的に始まる前の5月ごろのことだった。
教育企業で一念発起した矢先に訪れた、「クビ」ピンチ

「ようやく頑張りたいことが見つかった」そう思った私は、大学4年生の1年間という時間を内定者インターンに注ぎ込んだ。
教育がやりたいこだと自覚的になった私は、教育バイトや教育ボランティアにも勤しんだ。xで見かけたハッシャダイソーシャルの活動に惚れ込んで、次回のプログラムの運営に参加させてください、とフォームに想いを載せて送信した。大学生として、高校生プログラムの運営に携わり、コロナ禍でもweb上で青春を味わった瞬間だった。

いよいよ社会人1年目。教育への想いをビジネスを通じて叶えるために、まずは仕事に振り切って頑張ろうと意気込んでいたある日。会社の経営陣に呼び出されてweworkのオフィスに向かう。3月15日。入社2週間前。
そこで告げられたのは、会社の経営が傾いているから、内定者全員を3か月でクビにするかもしれないこと。
絶望だった。夢や抽象的なビジョンを追いかけることなんてバカだったんだ、と思った。大好きだった分、会社のことを大嫌いになった。なんで私は一度落ちた選考にすがって再選考まで受けてこんな会社に入ったんだろう。大学の同級生たちのように、もっとお堅く就活すればよかった。
驚き、絶望、悲しみ。心が死んだ音がした。
▼当時のことを書いたnote
クビになるか、ならないか。ビクビクしながら過ごしていた3か月。その間に会社を見切った人たちが辞めていった。オフィスはいつもどんよりとしていた。
3ヶ月の試用期間を終える間に、社員の半数ほどが退職したので、残った人は誰もクビにならなかった。正式に雇用しますとも言われず、クビの話はなし、というアナウンスもなく、ぬるっと迎えた4ヶ月目。
区切りを期待していた私は、それがなかったことで心がもっと壊れて行った。だったらいっそクビにしてほしかった。会社都合退職になるから。
社会人一年目の何もできない状態で社会の波に放り出されて、転職なんてできるのだろうか。自信はなかったけど、大好きな同期や先輩がいなくなった会社に居続ける方が苦しくて、上司に辞めたいと告げる。
「ポジティブな理由だったら応援するけど、ネガティブな理由で辞めるのはよくない」と言われる。そんなことばを間に受けた当時の私は、どうにかこうにかポジティブな退職理由を考える日々がつづいた。
退職理由を考えていたら、夢を思い出した

ある日電車のなかでSNSを見ていると「日本とフィンランドがワーホリ協定を結んだ」という情報が目に入ってきた。そうだ私、北欧に行きたかったんだ。北欧の教育を知りたかったんだ。
「これだ!」
ビビッと雷に打たれたような運命を感じた。
上司に、フィンランドにワーホリに行きたい。その資金と語学の準備のために転職したい。そんなことを言ったけど、それが理由にならないとかなにかで、否定された気がした。もう、うまく辞める文句が見つからなくて、次に行く先も決まらないまま逃げるようにして辞めた。内定者インターンを始めて1年半、入社からたった半年のことだった。
退職と同時にコロナに罹って、1ヶ月くらい寝込んだ。ずっと寝ているニートが誕生。不登校経験がある弟に「朝だけは起きた方がいいよ。俺も学校行ってないとき、朝だけは起きてた」と注意された。
ニート2ヶ月目くらいから転職活動を始めた。貯金を崩しながら、キャリアスクールに入会をしたり…。親に貯金は○円以上は絶対に残しておきなさいと釘を刺された。
フィンランドのワーホリも、協定が結ばれたばかりですぐに行けるわけではない。そもそもお金がない。語学力もない。今は行くときじゃない。社会人としてどうにか自立せねば。
次会社に何があっても、個人でも強く生きていけるように。会社でビジネス経験を積みながら副業をがんばろう。
前職の退職から約2ヶ月後。新人の私を拾ってくれたスタートアップ企業への入社を決めた。CS職の経験を積みながら、土日は自分の好きなことや副業を育てる。そんな働き方を選んだ。当時23歳。これが、私の人生で3本の指に入るほど、良い選択だったと思う。
転職後、日々働いて、目の前の生活に必死になるうちに、フィンランドワーホリもなんだか夢物語に思えてきた。
当時の私は、英語ができないだけでなく、仕事経験も少ない、貯金も少ない、そもそも海外旅行にすら行ったことがない、一人暮らし経験もないから生活力もない。とにかく、経験値不足だった。
だから、働きながら少しずつそれらを叶えていった。貯金もがんばって、都内で一人暮らしを始めた。英語をコツコツと勉強した。友人と海外旅行に行った。
だけど、旅行にすら行ったことのないフィンランドで英語を使って働き、家を探し、ユーロで生活する。それらはあまりにハードルが高すぎて自分にできるか不安になった。
当時友人が、オーストラリアにワーホリに行って、2週間で帰ってきたのが印章的だった。
そもそもワーホリをすることで、フィンランドの何を知れるのだろうか?
知るためには大学に行った方がいいのか。ただワーホリするだけでは北欧教育を学ぶことはできないだろうから。
フィンランドワーホリが私のやりたいことを叶えるベスト手段なのかわからなくなって、夢を仮決めのように横に起きながら、日常生活を送っていた。
夢を叶える手段が、フォルケホイスコーレだと気づいたとき

社会人になって以降、出会う人々から、
「デンマークに留学する」
「フォルケホイスコーレっていう学校があって」
そんな話を半年に一回くらい聞くことがあった。
フォルケホイスコーレとは、北欧独自の教育機関です。
フォルケホイスコーレの特徴は、試験や成績が一切ないこと、民主主義的思考を育てる場であること、知の欲求を満たす場であることです。
恥ずかしながら当時、デンマークがどこにある国なのかわかっておらず、北欧だと知らなかった。

ただ、あまりにもフォルケホイスコーレに行きます or 行きました、という人が周りに3〜4人もいるものだから、私の辞書にはっきりとフォルケホイスコーレの文字が刻まれた。
フォルケから帰ってきた人の話を聞くほど、「フィンランドにワーホリするよりも、フォルケホイスコーレに入学したほうが、北欧の教育や生活、価値観をみずから体験できるかもしれない。その方が私のやりたいことに近いのかも」と思うようになった。しかも費用も現実的だ。全寮制でご飯も出るから、家や生活費のことを考えなくてもいい。
「友人が留学経験のあるフォルケホイスコーレ」が、「私が目標としているフォルケホイスコーレ留学」へと変わった瞬間だった。
そこからは、会社を一年後に辞めると仮決めしながら働いた。デンマーク在住中も収入を得られるスキルをつけようと、ライターの仕事に打ち込む。ゆるく英語の勉強をして、フォルケ経験者に連絡して会ってもらったり質問したり。
フォルケに行きたいと打ち明けた友人たちから「留学準備進んでいる?」「留学準備のために副業減らした方がいいよ」などとありがたくお尻を叩かれる日々を送っているうちに、あっという間に渡航目標タイミングまであと半年になった。
いろんな人に情報を教えてもらい、使える留学相談サービスにはお金を出して相談しているうちに、気づいたら毎週デンマーク語教室に通っていたし、気づいたら学校から「2026年8月のセメスターへの参加を認めます」というメールをもらっていた。

夏からフォルケホイスコーレに行く予定なんです。コミュニティで出会った、徳島で学校を経営している方にそう話したら、こう言ってくれた。
「大学生のときに思い描いたことを、数年経っても忘れずに叶えていて、素晴らしいですね。学生時代、教育に興味があっても、忘れていっちゃう人は多いんですよ」
そうだ、私はずっとこの想いがあったんだ。
合格メールをもらうまで、フォルケに行きたいと思ってから1年が経っていた。ただ、北欧教育に想いを寄せてからは、もう7年が経とうとしている。私は7年前からの想いを、20歳(ハタチ)からの目標を、叶えようとしているんだ。
日常や仕事にのめり込むと、教育や北欧への気持ちを忘れてしまう瞬間やそんな期間だって何度もあった。でもときどき思い出しながら、少しずつ形にするために積み重ねてきたんだ。

2023〜2027年分が、もうすぐ叶う。
今の私はもう、海外でいろんな国の人と英語でしゃべれるし、自分のお金で一人暮らしをしながら貯めてきた貯金もある。一度キャリアを途切らせても、また再開できると思えるくらい本業でも副業でも実績も作ったしスキルも身につけてきた。
「今」を手放して、デンマークに行く理由

今、正直なところ、いろんなことがうまく行き始めた時期だ。
本業でも組織化が進んでリーダーとしてチームを持たせてもらい、副業でもバイネームでお仕事を依頼してもらえるようになった。一人暮らしも一年以上が経った。4年付き合ったパートナーとの同棲の話も出ている。
でもそれらを、一度すべて手放して私は海外で生活しようとしている。
それは7年越しの夢だったから。
今しかないから。
コロナのように、またいつ何が起こって、海外に行けなくなる日が来るかわからないから。
他にもフォルケに行って何をしたいか、どんな変化を目指しているか、目的にしていることはもっともっと語れるから、次のnoteで書こうと思う。

いま、値上がりとユーロ高によって、知人から聞いていたよりも2倍ほど高い学費の振り込みに怯えている。
日本円にして100万円以上。お金も仕事も、今の日本での平和な生活も、大切な人と過ごす時間も、手放すのはこわい。
それでもまた戻ってこられる場所を築けたこと。
働きながら、高くなった学費を払っても苦しくないくらい貯金をしてこられたこと。
数年かけてここまで積み上げられたことを思うと、自信になる。
先日、勇気を出して上司に休職をしたいと伝えた。上司は驚きながらも、退職じゃないならよかったと、応援してくれた。
「人生でやりたいことは、どんどん前倒しでやったほうがいいよ」
そんな、ありがたい言葉をいただいた。
北欧には行ったことないし、1人でトランジットしたこともないし、寮に住むのも初めてだし、英語力もまだ拙い。
それでも私は行く。
社会人1年目のころ、無職で貯金がほとんどなく、スキルも信頼もなかったところから、ここまでやってこれたんだから。たとえデンマークで壁にぶち当たっても、私だったら乗り越えていける。
そう信じて。
