名を呼ばない道/第四話 道は続いている
それは、地図に載らない道である。
誰かが名を与える前からそこにあり、
呼ばれないまま、人の足だけを受け入れてきた。
境目に現れ、境目に消える。
社のない神社、磐座、言葉にならなかった音、
記録されないまま残った民間伝承——
それらが折り重なる場所に、この道はひらく。
これは人生における「道」を思索し、哲学する物語である。
帰り道。駅への道も、信号の位置も身体が覚えているはずなのに、いつの間にか舗装の色が変わり、靴底に伝わる感触が少しだけ柔らかい。気づくと、直人は川沿いを歩いていた。
川は低い音を立てて流れている。水面は曇っていて、空を映さないかわりに、川岸の草の影だけを受け取っていた。
突然、直人の足が止まった。地図に載るほどではない細い小道。誰かの近道か、もう使われなくなった通り道か。直人には、そこから先だけ、空気の密度が違って見えた。
今、何時だろう? ふとそんなことが頭をよぎる。知らない道を探索するには、時間が遅いかもしれない。だが、時計を見れば「今」を数字に閉じ込めてしまう。直人はそのまま小道へと足を踏み出した。
草は踏まれている。だが、最近の足跡ではない。長いあいだ、同じ幅で、同じ深さで通られてきた道。人の数ではなく、時間の層でできた道。小道は緩やかに曲がり、川の音が遠ざかっていく。
不意に、背後で枝が鳴った。名を呼ばれる気がした。呼ばれれば振り向く。振り向けば立つ場所が決まってしまう。そんな焦りのようなものを感じて、直人の身体がほんのわずかに固まった。だが、名は呼ばれなかった。
肩の力がゆるんだ。自分がここにいる理由は、はっきりしている。道が続いているからだ。先が見えないわけではない。だが、終わりも見えない。直人は、古文書の朱書きを思い出していた。行きと帰りの区別が、ここでは意味を持たない。
しばらく歩くと、道は不意に終わった。いや、終わったのではない。広がったのだ。草が低く、地面がわずかに盛り上がっている。

直人は、踏み入っていい場所と、そうでない場所の曖昧な境目を感じて、その手前で止まった。胸の奥に、何かが静かに戻ってくる感覚がある。ずっと前から知っているような気もするし、思い出そうとすると形を失うような気もする。
今日は、ここまでだ。
踵を返すと、川の音が近づいてきた。時間もまた動き出す。直人は、ここを見つけてしまったのだと感じた。そして、この道はまだどこかへと続いている。
