ドロドロを経験しているからこそ、今が幸せという話。
一昨日、昨日と、17年前に亡くなった父の命日や
葬儀の時のドロドロ劇など、どちらかと言えばかなり重い話を
このブログでご紹介したのですが、今日は、その修羅場をくぐり抜けてきて
「17年後の現在がどうなのか・・・」という僕の在り方について
したためて、この3部作!?を締め括りたいと思います。
答えから先にお伝えするならば、
「まるで陽だまり、木漏れ日のように、ささやかな喜びや楽しみを
大切に感じて積み重ねていくことが出来る
今、リアルタイムの日々が幸せだと感じる。」という心境で、
他に表現の方法が見当たらないくらい、
これだけあれば、もう十分だと感じています。
人の人生って、生まれてきた両親、家庭、生活環境なんて、
それこそ運次第で不平等なのがこの世の常なので、
愛情をたっぷり惜しみなく注がれて育った人たちがいる一方で、
その逆で、何かしらの不都合さを抱えて、
親や家族や身近にいる人たちが信頼できる存在ではなく、
常に警戒して疑っていなければいけないような
不遇の家庭環境の中で育つ人たちもいるものです。
僕の場合は、完全に後者、笑。
こればかりは自分の意思で選ぶことは出来ず、生まれた時から
父は借金を作って母を置いて、借金取りから逃れるために
どこか遠くの地域に雲隠れしていたような甲斐性無しでしたから、
家庭運が悪いと言えば、まぁ、かなり悪かったと思います、笑。
物心ついた時から常に親が作った借金のこととか、
借金取りの催促の電話だとか、電気ガスが真冬に止められて
ひもじい想いばかりをしてきたことなど、
ずっと常に借金ことが人生につきまとってきて、
高校卒業後の進路だって「出来れば働いて家計を助けて欲しい。」と
父親に直訴されてしまうくらい、
子供を労働力の足しとしか捉えていない程度の
すさんだ家庭環境だったので
早く大人になって自分で働いて自立したい・・・と
常に願っていた記憶しかありません。
たとえ貧乏であったとしても、
親が心優しく、尊敬できるような人格者だったのなら
まだ少しは思い出補正もあって、懐かしい記憶に
なっていたのだろうと考えますが、
子供の頃の僕から見ても、父親は人間的にもワガママで横暴で
クズの代表のような人間にしか思えなかったので、
まぁ、こればかりは家系運が悪かった・・・と潔く諦めるほかありません。
その一方で、まるで博愛主義者かのように
「愛をもって接すれば、
どんな家族であったとしても人は必ず改心する日が来るし、
私はどんな時でも家族には愛情を全力で注いでいきたいです。」
というタイプの方に出会うことも稀にあります。
うん、確かに仰る通り、その精神は、とても素晴らしい。
ですが、それは余程、恵まれた家庭でお育ちになった方であって、
「その愛すら悪用したり、利用したり、搾取するだけの改心できない、
端にも棒に掛からぬようなダメ人間の他人、
ダメ家族もそれなりにどこにでもいるのに、そういう人たちが
身近にいなかったという点においては、おめでたい人だなぁ・・・。」と
皮肉の1つや2つ、言いたくなってしまうほど、
僕の場合は、その対極にある家庭環境で育ってきました。
いえね、元々、意地悪な性分なので、
もし、このようなおめでたい人たちが、一切まともな会話も通用しない、
まともな価値観や倫理観すら持ち合わせていないような
悪人タイプの人間が近しい他人や身内にいたとしたら、
はたしてずっと同じことを言って、同じことを貫けるのかどうかを
老婆心ながら、勝手に想像して考えてしまうのですよ。
「血の繋がった家族であるならば、私は全愛情を注いで向き合います!」
とても立派なことだと思うのですが、
この世の中には、その愛情が一切通用しない、
ただ悪用するだけ、利用するだけ、搾取するだけのクズみたいな人間が
一定数存在するもの。
もし、そのようなタイプのクズ人間が身近にいたら、
搾取されるだけ搾取され、利用されるだけ利用され、そのうち疲弊して
精神すらおかしくなってしまうのは目に見えているはずなのに、
それでも「愛は万能!」だと信じておられる、
その世間知らずで平和ボケした感じがなんとも滑稽というか、
「うん、とてもお育ちが良いのですね。」=「温室育ちの世間知らず。」
としか思えない自分がいるのです。
ごめんなさいね、口が悪くて。
とっても意地悪でしょう、笑?
でもね、子供の頃から、
家族や身近にいる他人が信じられない、
裏切られることばかり・・・という経験をしてきた人間からすると、
その博愛主義の功罪というものが
絵に描いた餅のようにしか映らず、良い部分は確かに良いけれど、
「それだけでは人の性根なんて変わりはしないから。特に悪人はね。」
としか感じられないのです。
本当の愛情というものは、どんな相手に対しても
全肯定、全受容では絶対にダメだと思うのです。
当たり前のことなのですが・・・。
人としてダメなことを平気でやるような人物が身近にいたなら、
というより、それが他人であろうが身内であろうが、
やはりダメなことはダメだと毅然とした態度で伝え、
然るべき対処をするものですし、
その逆で良いことは素直に良いと伝えるのみ。
基本的に悪人タイプの人間は、まともな会話が成立しないため、
本人が改心することなんて、死ぬまで、ほぼほぼありません。
ずっと平行線のままです。
閑話休題。
さて、意地悪モードはこのくらいに抑えておいて、
今日、僕が自分の中で確認しておきたいのは、
「幸せの基準とは何ぞや」という自分の中にあるもの。
よく周りの人たちからも
「あなたは苦労を重ねてきたからこそ、
これからもっともっと幸せになるべきですよ。」と
励ましのお言葉を頂戴することがあります。
そのお気持ちは素直に嬉しい。
嬉しいのだけれども、
「それが今はもう十分、幸せなのだけれど、
それ以上、何を求められているのだろう?」と
はたと疑問に感じることもありまして。
勿論、その「幸せ」の基準は人それぞれです。
仕事で成功して社会に評価されることが
幸せだと感じる方もいらっしゃるし、
いつまでも健康で長生きできることが幸せだと感じる方もいらっしゃる。
だから何をもって「もっと幸せになるべき」なのか、
正直なところ、僕は、もう「それ以上」を求めていないため、
応援して下さるお気持ちは素直に嬉しいので、
しっかり受け取りつつも、
「人それぞれの幸せの形があるから、もう十分かな。」と
心の中で思う自分がいます。
冒頭の言葉で触れた通り、僕の場合は、
まるで陽だまりのような、木漏れ日のような、
日々のささやかで小さな喜びや
心ある人たちとの交流そのものが、何より幸せを感じる瞬間であり、
それさえあれば、もう十分なのですよ。
親しい人たちと美味しいご飯を食べながら
「美味しいね。」と言える喜び。
本当に下らないバカ話をしながら、ケラケラ笑い合える喜び。
ふと1人の時間に戻った時、警戒しなければいけない悪人が
身近にいないという安堵と喜び。
子供の頃から常に身内にも近しい他人にもダメな人間が傍にいて、
悲しきかな、その輩に裏切られるとか、信頼できないとか、
「また何かよからぬ悪だくみを企てて、
迷惑をかけるつもりじゃないか。」など
そのような警戒心がないと、自分自身を守っていけなかった環境の中で、
ずっと生きてきた訳なので、
それがないだけで、どれだけ自由で幸せなことなのか・・・。
幸いなことに、今はナカトリモチの仕事にしても、
プライベートでお付き合いがある人たちにしても、
本当に心ある人たちばかりが僕を支えて下さっています。
そこに子供の頃のような警戒心や
「また裏切ってくるのではないだろうか。」
「悪い事を仕掛けてくるのではないだろうか。」という
猜疑心で身を守る心の武器は一切必要なく、
ただただ、穏やかに生活させてもらっている。
ただただ、心ある温かい人たちに支えられ、
助けられ、笑い合っているだけで、
それだけで、もう十分、幸せなのです。
そうそう、ここからは笑い話というか、
「人に恵まれて嬉しいな。」という
ナカトリモチの仕事の中で出会った方とのエピソードなのですが・・・。
今年の春、東京で講演会をした時に、質疑応答の時間にある方が
申し訳なさそうに、とあるカミングアウトを
して下さったことがありました。
「実は私、葬儀会社で働いておりまして。
以前から山野本さんのブログでも
時々、葬儀会社に対する不信感のような内容を拝見することがあり、
私も本当にその通りだと感じているんです。」と。
参加者の皆様からも、
どっと笑いが起こり、その場が一気に和んだのですが、
その方は、「色々な葬儀会社の営業がいるけれど、
自分は少しでも不安な気持ちを抱えたお客様に寄り添って、
無理のない範囲内での葬儀の提案ができるように努めています。」
と仰って下さって、
僕も17年前、父の葬儀で、こんな素敵な方と出会っていたら、
もっと苦労せずに、葬儀の印象も変わっていたのだろうな・・・と
ふっと穏やかな気持ちになって、
そのことをご本人にお伝えするというシーンがありました。
17年前には出会えなかったけれど、
今、目の前には、仕事を通して、その心ある素敵な方がいらっしゃる。
過去に様々な魑魅魍魎と対峙して、それこそ鬼退治のように
アドレナリン大放出で、
箸にも棒にも掛からぬ醜い心の輩を追い払ってきた
ドロドロの経験があるからこそ、今はこのように、
とても穏やかで和やかで、心ある方々が集まってきて下さる・・・。
それは仕事にしても、プライベートにしても、
今の僕の生活、人生は、
このような心ある温かい方々の支えがあるからこそ成り立っているのです。
それ以上、何の幸せを求める必要があるのでしょう。
今は色々あって、血の繋がった家族の中でも、
要介護の母の面倒をしっかり見てくれている1歳年下の弟と
その奥さんと要介護の母のみが唯一の繋がりで、
その他の実姉2人とは既に絶縁しています。
*「家族の中の問題児、誰が面倒を見るのか。」
2025年10月17日 てぃーだブログより
弟夫婦とも、会えばよく話すことなのですけれど、
「あれだけ身内や近くにいた他人が信じられない、
裏切られ、騙され、また何か悪だくみを仕掛けてくることに
警戒ばかりしなければいけないような修羅場が
昔は当たり前だったけれど、
今、それをしなくていい穏やかな生活というのは、
もうそれだけで幸せだよね。」と
お互い噛みしめるように、今ある平穏な生活に感謝することが多いのです。
何をもって幸せとするのか。
それは人の数だけ、その基準が存在するものですが、
僕の中では、心ある温かい人たちに囲まれて、
無理のない範囲内で仕事をさせてもらい、生活ができているだけで
もう本当に十分。
それはまるで、陽だまりや木漏れ日のような温かさであり、
これからも可能な限り、その状態を維持できるように、
僕自身も周りの心ある人たちと共に成長していけたら理想的です。
*お知らせ*
*2025年12月21日(日)
沖縄・ナカトリモチ勉強会の講演、参加者募集中です。
*2025年12月28日(日)
福岡・ナカトリモチ勉強会の講演、参加者募集中です。
*仕事のお問い合わせはこちら→nakatori05mochi★gmail.com
(迷惑メール対策として★の部分を@に変えてお問い合わせ下さい)
*カウンセリング(対面、オンライン) 2万5千円
*土地家屋の鑑定・お祓い 5万円
