マンション ルミナス
私、柚木蒼は今年度この古いマンションの理事長になりました。
30世帯というキャパなので管理人は常駐していません。
よってなにかあれば住民は、理事長の所に訪ねてきます。
言わば過疎の村長みたいなものです。
そして、マンションの老朽化とともに、住民もおひとり様の高齢者が増えています。
管理会社は入っていますが、管理会社の思惑を折に触れて感じる度、このマンションの行く末に不安を覚える日々です。
最近の私は、遅ればせながら、もうこれからは自分の為に生きようと決意していた矢先のことです。
理事長という貧乏くじを引きました。
少なくとも今年は、このマンション・ルミナスに翻弄される日々になりそうで、怖いのです。
何と言っても私は、穏やかそうに見えて、へんな正義感に囚われてしまいがちなやっかいな性格なので・・・。
昨日は夜になってもまだ昼の熱気が残っていました。
8時20分インターホンがなり、モニターに写っていたのは、306の遠山さん「こんばんは あのね、大変なの 水が漏れてて 怖いのよ」とおっしゃいます。
私は相当大変なことが起こってるのかと、緊張しました。
「怖いって なに?」と遠山さんの部屋に向かいました。
玄関を、はいって右手の部屋の窓の木枠から、水が滴り落ちています。
一滴、また一滴とポタポタです。
無色透明の液体です。
それが赤色なら怖いかもしれないですが・・・。
遠山さんと私は上の階の部屋に向かいました。
406号室です。
ピンポンしても、応答がありません。
まだ情報共有されていませんが、つい最近持ち主が変わった部屋です。
押しの強い遠山さんは、激しくピンポンし、ドアをたたきます。
怖いからと言って私を連れだした人とは、思えません。
しかしその執念の賜物と言うか、ドアの向こうに人の気配がしました。
どんな人が出てくるのか、息をのみました。
出てきたのは、インドネシア人の青年二人です。
好青年の雰囲気に、ちょっとホッとしました。
遠山さんはと言えば、日本人の私でもわかりにくい日本語をまくしたてます。
ひやひやする私をよそに、このインドネシアからきたばかりという青年に
「水が漏れてるから、部屋を見せろ」と強行突破です。
幸いこのインドの二人は、ある程度の日本語を解し、落ち着いていました。
ちなみに日本は、インドより暑いらしいです。
ここには社宅扱いで、三人で住んでいるようです。
みしらぬ国で、ピンポン、ドンドン、彼らも怖かったと思います。
その部屋には、水回りは無く、置きがたの冷風扇があって、角部屋なので排水は、ベランダに伸びていました。
なので、室内に漏れる訳ないのです。
冷風扇本体から床に漏れていたと考える以外ありません。
「今日はもう冷風扇は使わないで、暑かったら今日はほかの人の部屋で寝させてもらいな」と遠山さんは相変わらず雄弁です。
私なんかいなくてもよさそうですが、遠山さんは、私がついてるから、暴走できるタイプです。
多分ですが、私より10才以上年上です。
暇を持て余してしまうので、今も単発で働いているそうです。
しかも接客業なので、人を引き付ける話術をもっていますが、脱線し放題で、収束不可能に陥ります。
だから、ときどき軌道修正するのが、私の任務と、心得ました。
そこから24時間対応のサービスに連絡して、状況を説明して受付しました。
この年齢になると、この辺の連絡が大変なんだなとよく解りました。
救命救急の役割を担った気分ですが、使命感よりも疲労感が、勝っていました。
翌日3時に業者がきたときには、水漏れは止まっていました。
冷風扇を止めたことでピタッととまったので、原因は火を見るよりも明らかでした。
壁のクロスに拭けば落ちる程度の水漏れ跡と、巾木が15センチ程開いてしまっていました。
なので、作業は壁を少し拭いて、巾木は開いてしまった面を取り替えて、一時間ちょっとで、終了しました。
夕方、インドの子達が仕事から帰るころには、業者が406に訪問して、原因の確認も済んだようです。
緊急で業者を呼ぶほどのことも無かったような気がしましたが、まあ大したことにならなくてよかったと、思いました。
遠山さんは「今日の作業って一万円位かかるのかな」と言うので「いや、緊急できて貰ってるから、それを含めても三万円くらいはとられるでしょう」
なんて話ていました。
数日後、管理会社が送ってきた見積書を見て驚愕しました。
総額19万5千円
調査費項目が三か所にダブっています。
交通費が、2日に渡っている程で、高速代金、駐車料金で1万5千円×2です。
養生も荷物の移動もしていませんし、これといった原因調査もしていませんぞ。
私は明らかに甘く見られているのでしょう。
これに承認印を押せと・・・。
「こんな水増し請求の片棒を担ぎたくない」と思わず口からでていました。
担当者は「保険で支払われるので・・・そんなに乗せてないので・・・」としらばっくれます。
とりあえず、保険会社の査定が出てから話すことしました。
暗黒の弱者支配の構図です。
誰も損しなければ、倫理など振りかざすのは、アホの所業ですか?
柚木の恐れていた抗えない闇が、そこに大きく確実に横たわっていました。
つづく
エム
