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『青い春』 | 松田龍平の美しさと濁った感情のギャップ

青春時代の、言葉で表現できないようなぐつぐつした感情を、そのまま映像にしたような映画。
忘れかけてたけど感じたことのある感覚、深く考えないように直視しないようにしてたけど仲のいい友達に感じてた嫉妬、人に気付かれるのが恥ずかしくて隠してたけど同じクラスのヤツに憧れてたこと。この映画を見て、そのときの感覚がぶわっと蘇った。

学校は一生居たいと思うぐらい楽しいときもあるし、黒い魔物に見えるときもある。

陽気な明るいシーンと重くモヤモヤした暴力シーンを切り返し切り返しで映す手法で、学校とか青春の二面性、表裏が表れていると思った。

人間には頼るものが必要

30代になった今も感じる場面はあるけど、青春時代は特に、何か頼るものがないと自分らしさが保てない気がしてた。

中学時代に人と被らないように聞く音楽を選んだり、無理やり好きな人を作ろうとしたり、高校時代は集団でつるんだり。大学時代にはスケボーに手を出してみた。
いま思い出したら本末転倒だけど、当時は何か見つけないと自分と他人の違いがわからなくなる気がしてたんだと思う。

映画の中でもそれぞれ登場人物は夢中になるものがあったり、対になる人がいたり、すがれるものがある。

でも九條だけはまだそれを持ってないような気がする。だからこそ急に勉強始めたり、瞬間的にサッカーに打ち込んでいるように見えた。
「自分の欲しいものを知ってるヤツはこわいです」という九條のセリフもめちゃくちゃ理解できるし、学生時代の自分だったら深すぎるぐらい刺さったと思う。

九條と青木の関係

青木にとって九條は、野球や桜の木、シンナー、あるいは彼女みたいな、他の友達が持ってるすがれる存在だったのかもしれない。

九條がつるまなくなって青木はすがるものを見つけないといけなくなったけど、それが見つからない。
結局最後まで見つからず、空虚な自分に耐えられなくなったのかなと思うと、ラストまでの青木にも強く共感できる。

学生時代に急に自分の存在を証明できるものがなくなる恐怖。学校が一瞬黒い魔物に見えたのは、青木の恐怖の現れだったのかとも思う。

最後に

この映画を見終わって、温度とか空気感が好きすぎて原作も買った。
原作の漫画は映画より感覚的で、抽象的で、行間がある印象。

感覚的な原作の、黒くて狂気的な温度を抜き出して映像化してるのは、めちゃくちゃすごいと思う。

そしてやっぱり強く印象に残っているのが、松田龍平の美しさ。
透明感の奥に狂気があるような存在。
当時19歳の松田龍平のあの一瞬の美しさを映像に残せただけでも、資料としてめちゃくちゃ価値のある映画だと思う。

いろいろ書いてきて総括として思うのは、憧れるのは九條みたいな孤独で生きる存在だけど、現実的に一番共感してしまうのは青木ということ。
だから映画のタイトル通り、青木に捧げる映画であってほしい。

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