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国立大卒→脚本家→26歳でスカウト→挫折→再出発🌸Hikariヒストリー

皆さん、こんにちは。
この記事では、シンガーソングライターのHikariが日々考えていることををお届けしていきます。

今日はちょっと珍しい企画なんですけれども、「Hikariの音楽との出会い、葛藤、今に至るまで」を、できるだけ素直に語ってみようと思います

今まであまりお話ししてこなかった私のヒストリーを少しお話しできたらなと思っています。



■シンガーソングライター・Hikariとしての自己紹介


本題に入る前に、シンガーソングライター・Hikariとしての紹介を少しさせてください。

シンガーソングライターとして音楽活動を再開させてから約一年間、ライターの仲川光としての活動とはリンクさせず、Hikari名義での活動を広げてきました。

コンセプトとしては

・苦しんでいる人の心に寄り添う
・いくつになっても夢に向かってチャレンジする
・文学と音楽の融合による心の追求


という3点を掲げて頑張っております。

今年の7月からは、自身のオリジナル曲以外に、個人・企業向けのオーダーメイド楽曲制作も承るようになりました。

お陰様で沢山のご依頼をいただき、この2か月で個人・法人合わせて15作品の楽曲制作・納品を行っています。



■Hikariはなぜ音楽のプロになったのか?

今回は、「Hikariのことをセルフ深掘りしよう」という企画なんです。
実は、なぜHikariが音楽をやっているのかがよく分からない、というお声もいただいています。

私自身が、自分のことをお話しするのが苦手なんです。でも、ずっと自分の過去を語らないというのも、まあ、どうなのかなって思うこともあるので、今日はできるだけ素直に、私の音楽人生について、お話しできるところをお話ししたいと思います。



■都内進学校→国立大学文学部で歴史を専攻

私は元々は、音楽とは全く関係のない業界にいた人間です。

東京で進学校と言われる中高一貫校で勉強して、大学も東京の国立大学に進んで、文学部で比較歴史学(日本史・世界史)を専攻していました。

まあ、歴女といえば歴女なんですよね。
何の音楽の要素もなく、ただ書くことが得意で、勉強もまあ、得意って自覚はないですけど、まあ、比較的頑張ったっていうところですかね?

5教科7科目に最後までしがみついて、早稲田大学・慶応大学にも合格しましたが、国立大学を選んで進学しました。



■大学卒業後、ライター・脚本家へ

社会人になったときには、ライティングスキルの方を主に使って、出版業界で仕事をしていました。

25歳くらいからは、原作の映画化プロジェクトにかかわる過程で、脚本家としての経験も積みました。

この辺りは、また別の機会でお話してみたいな、とも思っております。



■26歳でスカウト→音楽の道へ

こうして、私の本業は文章を書く仕事だと思っていたところ、ある時、意外な展開がやってきました。

26歳のある日のことです。

職場の方を含め、映画・芸能関係の方々と一緒にカラオケに行ったことがありました。

そのカラオケで歌を歌っていた時に、まあ、スカウトという形でですね、「歌の方もいけるんじゃないか」というお話をいただきました。

ちょっと人生が急カーブしたような感じがあったんですけれども、26歳で、スカウトによって音楽の道に入ったという経緯があったんです。

音楽って、スタートが「早ければ早いほど良い」という考え方が、昔は特にあったと思います。

なので、26歳になって、「音楽をやらないか」と言われたときに、ちょっと迷いがなかったといえば、嘘になると思います。

けれども、ポテンシャルを評価してくださった方がいたことを、本当に感謝して。
「チャンスがあるなら、ぜひチャレンジさせていただきたいです!」とお願いして、歌の世界に飛び込びました。



■文章と音楽の両立に苦しむ

ただ、「ぜひチャレンジさせてください」という勢いは良かったものの、実際には、文章と音楽の両立は、なかなか厳しいものがありました。

ライターの仕事、脚本の仕事もありながら、ボイトレの基礎から歌の練習を始めました。

半年以上の練習を越えて、実際に楽曲のレコーディングもさせていただきました。

けれど、どうしても、タイムマネジメントといいますか、「どこに時間をかけるか」とか、優先順位のつけ方が苦手で、「何やら頑張っているんだけれども、いつもキャパオーバー気味にパンパンになっている」ということも多かった気がします。



■二人目出産後、キャパオーバーでメンタルダウン

2人目の子供が生まれた頃には、表面上は仕事量は増えており、周囲からは、公私ともに順調に見えていたかもしれません。

ところが、精神的にはもう限界値に達していました。

「できます」と言いながら、実際はできていない。ライターの仕事も、音楽の仕事もうまく回っていない、家に帰れば小さな赤ん坊が泣いている。このような状態が最後、数か月あったように感じます。

結局、そこである種のメンタルダウンというか、精神的にすべての業務が一度できなくなってしまって。

結果的に、仕事を全て手放したという経験があります。



■まさかの音楽再開

仕事を辞めたあと、本当に音楽なんてもう再開、絶対しないと思っていました。
自分にできることは、せめて文章を書くぐらいかなと思っていたんです。

けれども、意外な転機がやってきました。
1年半前に、文章の世界で音楽に関する小説を書いたことによって、私の中の情熱の炎がついてしまったんです。
もう一度歌いたいと思える音楽に出会い、私も音楽に戻ろうと思える瞬間があったんですよね。

まあ、それも何かのご縁だったんだと思うんですけれども。
きっと、自分一人では音楽を再開しようとは思わなかったでしょう。
だけど、世に出したいと思える音楽に出会えたことによって、もう一度頑張ろうと思えたところがあります。

というわけで、改めてこの話を聞くと、Hikariのことがちょっと分かるかもしれないですね。

人生のなかで、成功してきた過去もあるけれども、大きくへこんだ時期もありました。

複数の分野で活動するには、「ただがむしゃらに、一生懸命頑張る」だけではなく、計画性を持って、全体感や絶妙なバランス感を鍛えて上手く対処しないといけない、ということも学びました。

「何でもできます」と言いながらも、「大量の業務を背負い込んで潰れる」傾向があるというのも分かっているので、その辺りも、しっかりと自分を立て直しながら、次は同じような失敗をしないように気をつけようと自戒しながら、慎重に前進しているところです。



■「いくつになっても夢に向かってチャレンジする」―自分の姿が、誰かの励ましになれば


この私の失敗談も含め、今、音楽に向き上がっている姿が、誰かの励ましになれば嬉しいですし、作品を通して誰かの希望になれたら嬉しいです。

シンガーソングライターとしては、「いくつになっても、夢に向かってチャレンジする」というスローガンを一つ掲げていますけど、まあ、私自身のことを言っているようにも感じますよね。

自分自身が頑張ることによって、皆さんにも希望を見せていきたいですし、同じように頑張ってる人に楽曲を提供することによって、励ましの気持ち、エールを届けたいと思っています。


そして、音楽はやはり耳で聴くため、歌詞が心に入りやすいです。

脳科学的にも、「文章を読んだり、言葉を聞くだけよりも、音楽で聴いたほうが、理念や伝えたい想いが伝わりやすい」という研究結果も伺っています。

私に与えられた「音楽」という可能性を最大限使いながら、苦しんでいる方に寄り添うような作品や、皆さんの夢を応援するような作品を創っていけると嬉しいです。

自分語りが苦手な私ですが、今日は勇気を出して、Hikariの話をお届けしてみました。
こうして、自分のヒストリーも話せるようになってきたことを、とてもうれしく思います。

最後まで御覧くださり、誠にありがとうございました。


Hikari




※以前の自己紹介はこちら。↓

音楽の話を伏せて、再出発をしていました。
これからまた改めて、自分とは何者であるのか、書いていきたいと思います。

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