【保存版】日本文学入門総集編🌸日本が誇る文豪ベスト7🌸15作品を紹介🌸
この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます。
約1年半にわたり定期購読マガジンとして連載してきた「仲川光 日本文学入門」の総集編をお届けします。
今回以降、定期購読マガジンはゆるやかに終了とし、今までのまとめや総復習の記事を出していこうと思います。
長い間ご愛読いただいた皆様、本当にありがとうございました。
最終回の本記事では、私の選ぶ、日本文学史上に誇る文豪ベスト7🌸15作品をまとめてご紹介します!
この一記事だけで3万字超え!約一年半にわたる連載の中から、ベストな作品を共に振り返ります。
今まで日本文学には馴染みがない……と思っていた方にとっても、この一記事を読むだけで深堀りできてしまいます!
社会人なら知っておきたい教養でもある、日本文学。
完全保存版をどうぞお楽しみください!
1⃣夏目漱石 (1867~1916)
江戸(東京都)生まれ。本名、夏目金之助。
大学時代に正岡子規と出会ったことがきっかけで文学を志す。
東京帝国大学(現東京大学)卒。
松山中学、熊本の第五高等学校教師などを務めた後、イギリスへ国費留学。
帰国後は、東大講師等の教職に従事し、在職中にデビュー作『吾輩は猫である』を発表。
その後、朝日新聞社に入社し、様々な新聞小説を掲載した。
代表作品:『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『三四郎』『それから』など
①「こころ」
恋と死――人間の心に秘められた闇を描く青春恋愛小説

【書き出し】
私はその人を常に先生と呼んでいた。
だから此処でもただ先生と書くだけでは本名は打ち明けない。
それは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。
筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
※あらすじは第一回記事をご参照ください!↓↓
【解説】
・本当は怖い「こころ」の「先生」⁉
「人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手を広げて抱き締める事のできない人、ーーこれが先生であった。」
「先生」は、「こころ」の本編内では、「過去に影を背負っていて、人に心を開くことの少ない、訳アリな人だけれど、どうにも憎めない人」という雰囲気で表現されています。
そして、先生自身も、自分のことを「私のようなものが世の中へ出て、口を利いては済まない」と言っています。
一見普通の教養人なのに、「先生」本人すら、自分の存在を否定するような人格とは……。
果たして、先生の内面に、本当に何か問題があるのでしょうか?
Kと過ごしていた頃の若かりし先生を見るかぎり、比較的まともというか、特段問題のあるタイプの人間には見えません。
むしろ教養のある人ですし、周りに対して怒りを持っているわけでもなく、学生としての分もわきまえている常識人だと思います。
ただ、一つ欠点があるとすれば、周りに対する猜疑心のようなものを持っています。
若い時の先生は、親が亡くなった時に、叔父に騙されて財産を奪われたという苦い経験を持っています。
そのため、人に対する「疑い」の目というものを根深く持つようになっていました。
Kとの関係においても、Kが自分よりも先にお嬢さんに求婚するのではないか、という「疑い」の目を持ち、焦り始めます。
だから、Kを出し抜く形で、先にお嬢さんへの求婚を行ったのです。
さらに、Kを失くしてからというもの、先生の中での「疑い」の心はどんどん大きくなっていきます。
自分のようなものが生きていて良いのだろうか?
と、自分自身も信じられず、疑いを持ち続けている。
それから、他人に対する疑いも持ち続けています。
奥さんに対しても、疑いとまではいかなくとも、過去にKと自分の間に何があったのかを、決して語ろうとしません。
それは、やはり「奥さんを傷つけたくない」という配慮と共に、「奥さんすらも信用していない」、ということになるのだと思います。
こうして、先生は、全てのものへの「疑い」の心を深めていったがゆえに、最後に待っていたのが「死」であったのかもしれません。
美しい文体に魅せられつつも、「こころ」の結末は、常識人である「先生」ですらも、「疑い」の心に取り憑かれた結果、天寿を全うすることなく「死」を迎えてしまう。
やはり、「本当は怖い夏目漱石の『こころ』」なのでした。
・「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」とは?
Kと先生のやりとりの中で使われた、
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
とは、一体どういう意味を指すのでしょう?
ここからは、私の個人的な見解になることをご容赦いただきたいのですが、語らせていただきます。
まず、Kの使う「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」とは、何か。
自分は、勉学や男女関係において、寺の跡取り出身としても然るべき、禁欲的精進をしている。
そんな中、学びを深めず、女にうつつを抜かすような人間は馬鹿げている、というような意味合いだと思います。
このように、「禁欲的精進を疎かにし、恋愛に流されるようなものは馬鹿だ」という趣旨の発言をするK。
しかし、実際には、Kがお嬢さんにどんどんハマっていくわけです。
本当は恋愛に興味がある自分のため、無理やりその方向を見ないために、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉を自戒のように唱えていた可能性があります。
結局、自分の放った「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉と、自分の行動との矛盾を先生につかれたK。
彼は、自己矛盾を自分でも回収しきれない苦しみもあって、死へと向かっていったような気がします。
・「完璧主義」が身を滅ぼす⁉
「理想通りの高潔な自分」でいられないなら、自分の存在を許せない。
これは、世に言う「完璧主義」に当たるのではないかと思います。
「完璧主義」の人ほど、不完全な自分を許せずに、その結果、自分を責めてしまったり、自暴自棄になってしまう人が多い印象です。
「精神的に恋に夢中の自分でもいいじゃないか」と、Kが割り切れたら、最後の悲劇は避けられたのではないでしょうか。
・「こころ」は「先生」の「遺書」⁉
一方、先生は、Kが自分の事を清廉潔白な人物でいたいと思っていることに気づいていました。
だからこそ、「お嬢さんが好きだ」と言ったKに対して、「お前の言っていた『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』の言葉と矛盾してるぞ!」という現実を見せつけます。
先生はKに自信を失わせ、お嬢さんを諦めさせようとしていたのだと思います。
ただ、この言葉は、ちょっと釘を刺してKをお嬢さんから遠ざけるために発した言葉だったはず。
まさかその言葉がKを追い詰め、自殺まで繋がってしまった、というのは先生の中でも誤算だったのでしょう。
だからこそ、先生は、余計な一言をKに浴びせかけ、Kを出し抜いてお嬢さんに求婚した自分を許せなくて、当時の事をいつまでも覚えています。
そして、罪の意識を背負い続けた結果、せっかく射止めたお嬢さんとの結婚生活も、ギクシャクした関係になってしまったのでしょう。
先生の唯一の幸運は、晩年になって、これまでの過ちを話しておきたい、と思えるような好青年の「私」と懇意になれたこと。
彼の存在があったからこそ、遺書という形ではありますが、嘘偽りなく自分の過去の経験について書けたのだと思います。
そう考えると、「こころ」とは、「先生」という一人の人間の「こころを留めおいた遺書」であり、彼の心を救済するお話とも言えるのかもしれません。
・「こころ」が書かれた時代
夏目漱石の『こころ』が発表されたのは、1914年。
大正時代に入り、文化的な変革の時期でもありました。
また、1914年といえば、第一次世界大戦が始まった年でもあります。
西洋思想や芸術も流入し、文学においても個人主義が登場し、心理描写が重要視される時代。
漱石の作品に見える深い心理描写は、まさにこの時代背景にピッタリ。
たちまち人気を博したのは、想像に難くないでしょう。
「こころ」の登場人物の抱える「孤独感」は、この時代の問題を表していたといえます。
自由と独立と己に充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。
日本はこの時期、急速な近代化と都市化を経験しました。
これにより、個人の孤独感が増大したことも、社会の抱える課題となっていました。
・「私の個人主義」
ちょうど『こころ』の連載が始まった頃、夏目漱石は『私の個人主義』というタイトルで講演しています。
そこでは、漱石が苦難・困難から立ち直ることができた考え方として、「自己本位」の思考が語られています。
「自己本位」とは、自己の個性の発展につとめることです。
・人から言われるままに動くのではなく、自ら動き、自己を確立する何かをつかむまで徹底的にこだわること。
・ただし、独りよがりにはならず、他者の気持ちを認めること。
これらの大切な心構えが語られつつ、倫理的修養を積み、人格のある立派な人間であることが、「自己本位」を正しく掴めるためには必要だとされています。
・人生と死について
『こころ』の執筆から2年後の1916年、夏目漱石は永眠します。
そのため、『こころ』の執筆時、漱石は自身の死を意識し始めており、作品には漱石自身の人生と死に対する思索が色濃く反映されていると言われています。
特に、孤独感や疎外感は漱石自身の経験に基づくものが表現されているそうです。
というか、実際にKやお嬢さんのモデルになるような方との出会いがあったのではないか?と勘ぐりたくなるほど、見事なリアル感ですよね。
漱石の人知れず経験していた「こころの動き」も隠されているのではないかと思うと、ドキドキしてしまいます。
また、物語は明治天皇の崩御の際、乃木将軍が殉死したエピソードを絡め、先生もその流れに乗って「自死」を選んでいきます。
「明治の精神が天皇に始まって天皇に終わった」
「最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟(ひっきょう)時勢遅れだ」
当時の人たちにとっては、明治天皇崩御はそれほどまでに大きな出来事だったのでしょう。
明治という時代の終わりに、自分の人生の引き際を感じた先生は、最もらしい死に方を見つけたと満足していたのかもしれません。
また、ここに、漱石からの、乃木将軍の殉死への擁護のメッセージも込められているといいます。
自分が大切にしてきた精神と共に、死んでいきたい。
その気持ちは、たとえ自死という形であっても、尊重されるべきではないか。
乃木将軍の殉死について賛否両論が行き交う中、漱石はそのように世間に伝えたかったのかもしれません。
日本人の美学の一つとしては、理解をすることのできる話かと思います。
ただし、恋愛の三角関係をきっかけにした自殺は、やはり教育上はおすすめすることはできません……!💦
あくまで文学上の表現として、受け取っておきましょう。
何はともあれ、名作中の名作、夏目漱石の「こころ」。
ぜひ本の方もご覧になってみてくださいね!
②「坊っちゃん」
―漱石自身の若き日の投影か?

【書き出し】
親ゆずりの無鉄砲で子どものときから損ばかりしている。
小学校にいるじぶん学校の二階からとびおりて一週間ほど腰をぬかしたことがある。
〈あらすじ〉
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