「Work」と「Labor」の違い
「Work」とは仕事や営みのこと。
一方で「Labor」とは、肉体的な苦労を伴う労働を意味する。
かつての私は、「『家事』を『Labor』のように感じているのではないか」と指摘されたことがある。
掃除や洗濯。家庭を支える営みに価値を感じていない人間に見えたのかもしれない。
その人は続けた。
「家事だっていくらでも創造性の高い『Work』に成り得るのに、味気のない『Labor』だと定義して、人生つまらなくしているのは自分自身じゃないのか」
当時の私は、その言葉に上手く言い返すことが出来なかった。
確かに私は、いわゆる職場での「業務」に追われると「家事」が疎かになる。
ただ、それは「家事」が嫌いだからというわけではない。
優先順位が、自分のなかでどうしても低くなってしまうのだ。
仕事面で佳境に入り、やりがいを感じて根を詰めれば詰めるほど、洗濯物は山のように積み上がる。
そしてそのたびに、「家事の価値を感じていない」と言われてしまうことに、ほとほと疲れてしまった時期もあった。
今でも出張の朝、山盛りの洗濯物を目にしながら、時折胸が痛む。
自分はまた家事を「Labor」のように感じてしまっているのだろうか。
いや、そうではない。
ただ単に、時間の有効活用が下手なだけなのだ。
こればっかりは進歩のない自分に愕然とする。
せめて、早朝のうちに三回洗濯機を回した自分を褒めてあげよう。
明日の夜、帰ってきてから畳めばいいだけのことだ。
衛生的には問題がない、大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、家を出る。
翌日の夜。
帰宅すると体力のHPはほとんど残っていなった。
そのまま子供たちの眠る布団になだれ込む。
洗濯物を畳むのは、必然的に明日の朝だ。
罪悪感を感じながらも、意識が薄れていくのを感じる。
その時。眠りについていたはずの息子がむくっと起き上がって言った。
「ママ」
そう呼んだ彼はニコッと笑って、続ける。
「ねえ、今度の日曜日、ママのたらこパスタが食べたいな。そんなに手の込んだ料理じゃなくていいんだよ。ただ、ゆでて、買ってきたたらこソースをかけるだけでもいいんだから。」
そんな息子に、申し訳なさが押し寄せる。
「いつも時間がなくてごめんね。煮物とか、手の込んだ料理じゃなくていいの?」
「いいんだよそんなの。ママが作るってだけで美味しいに決まってるんだから。なぜか、たらこソースもおいしく感じるんだよ。あと、バターはかけといてね」
我が息子ながら、なんといい子なのだろう。
ふっと涙が湧き上がるのを何とか堪えながら、彼に約束する。
「わかったよ、じゃあ、日曜日はたらこパスタね」
すると、彼は満足そうに微笑む。
「ああ、よかった。これで今日もすっきり寝れる」
そういうと、パタンと布団に倒れ、微笑みを浮かべたまま、再びすやすやと眠りについた。
天使のような息子の笑顔を見ながら、申し訳なさだけでなく、大きな安ど感のようなものを感じていた。
子どもたちは、私の母親業を、ちゃんと「Work」として受け取ってくれている。
嫌々させられている労働だなんて、見ていない。
豪華な料理じゃなくていい。
完璧じゃなくてもいい。
「ほんの少し手をかけてくれるだけで嬉しい」だなんて、本当にいじらしい。
彼らの笑顔を無駄にしないためにも、私は精一杯、自分の「Work」を続けていこうと思う。
母として。
一人の大人として。
彼らが大人になるその日まで。
踏ん張りながら、ともに歩んでいきたい。
感謝と決意を込めて。
