【幸せな移住Vol.34=最終回】移住して良かったこと、楽しかったこと、得られたこと、幸せだったこと 最後のテーマはコレしかない
皆さんこんにちは。果たして何を書いていいのやら、と思いながら土曜日の16時16分になってしまいました。今回は最終回、この約半年間、ありがとうございました。さて、最終回はタイトルの通り「良かったこと」を書いてみます。
桜が唐津でもぼちぼちと咲き始めましたが、毎年この時期になると最初の春(2021年3月)を思い出すんですよね。知り合いは会社員時代の同期の澤田君と、不動産屋を紹介してくれたアラタさん、そして移住の手助けをしてくれた県庁職員軍団ぐらい。あとは、屋台の美代子さんと仲良くなり始めた時期でした。正直、頼れるのは妻だけで、二人してのんびりと川沿いを散歩しながら若干遠いスーパーまで買い物に行くのが楽しみでした。

時々東京時代の知人が来てくれたりしたものの、やっぱり我々は孤独だったのではないかと思います。そりゃそうですよね。子どもがいれば、学校絡みで知人はできるし、会社に入っていれば、それ関係の知人も増える。しかし、我々は二人ともフリーランスのため、仕事仲間はいない。ただ、この頃はすべてが新鮮だったため、食べ歩きやら、佐賀県内の各地に東京から来た知人と行くようなことは多く、観光気分でした。
山崎幸治さんという人物について
先が見えない人生、果たしてオレはこの地にどれだけいられるのだろうか? と思い、寂寥感のある春を過ごし、やってきたのが夏。ここから唐津移住生活が俄然楽しくなってきたのです。すべては山崎幸治という男と会ったことに行き着きます。
私は唐津や佐賀県内の人々は積極的にXでフォローしていたのですが、山崎さんもその一人。相互フォローになったのですが、ある日DMが来た。
オレの義弟が職場でワクチンハラスメントに遭っているので、話を聞いてあげてほしい。
かくして唐津でもついに新型コロナウイルスに対する蔓延防止等重点措置が取られた初日の2021年8月27日、西唐津の「ゆぐどらしる」という飲み屋で山崎さんと初対面を果たします。この日は私の妻と、埼玉の会計士のK氏も一緒でした。ノンアルで乾杯をしたのですが、山崎さん、K氏、そして私は皆年齢が同じで、非常に気が合った。この時ようやく「あっ、友達ができたな」と感じました。

以後、山崎さんとはよく飲むようになります。なんで私に連絡を取ってくれたかといえば、「美代子おばちゃんのところに中川さんが行ってることは知っとったけん、いずれ会うことになるんやろ、と思ってた」とのこと。なんと、山崎さんと美代子さんは親戚だったのですね。


そうこうしている内に、山崎さんの義弟のKapidan氏とも会いますし、山崎さんが企画したライブハウスでのトークイベントで、新たな知人ができ、この時に出会った人々が今でも良い友人関係に繋がっています。その後、全国から私の知人、あとはXで知り合った人々が続々と唐津を訪れるようになり、山崎さんをはじめとした唐津の愉快な仲間達は、これらの人々と深い関係になっていき、リピーターも続出するようになりました。
なぜか唐津に全国から人が集まるようになる
多い人はこれまでに14回唐津に来た、なんてこともあります。リピーターは別に観光はしない。ただただ、我々唐津軍団と酒を飲み、山崎さんのタケノコ掘りに参加したりする。「旅行以上帰省未満」的な場所に唐津は多くの人にとってなっていったのです。そのきっかけを作ったのが、山崎さんですし、現在の唐津の人間関係の端緒を作ったのも彼。もちろん逆もあります。私が得た人間関係を山崎さん他に紹介し、仲良くなっていく。

はい、結論は出ていると思いますが、幸せだったのは、私が唐津で友人やお店に恵まれたからです。ただただ孤独に生きるために移住をした人はさておき、大多数であろう他者との縁を築こうとする人にとって、「誰と会うか」は極めて重要です。
ヨソ者にオープンな土地を選んだ方がいいよー
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