「超人」ハルク・ホーガン
今回は、当時新日本プロレスで「超人」と呼ばれ、人気があったハルク・ホーガンについて、書きたいと思います。
ホーガンのキャリアにおいて、大きく新日本プロレス時代とその後の世界での大活躍時代に分けられます。
新日本プロレス時代は「レスラーとしての覚醒」時期として、ホーガンには欠かすことができない時代であり、WWF(現WWE)時代は「世界的スーパースターへの飛躍」と位置づけられると思います。
1. 新日本プロレス時代
(1980年〜1985年)
「一番」イチバーンという日本語のキャッチフレーズと共に、日本でトップ外国人レスラーとしての地位を築きました。
「超人」の覚醒:
1980年に初来日。当初は大型だが不器用な「デクの坊」という評価もありましたが、アントニオ猪木の試合運びを間近で学び、テクニックとカリスマ性を吸収していきました。
アックスボンバーと猪木失神事件:
1983年の第1回IWGP決勝戦で、必殺技の「アックスボンバー」を猪木に放ち、失神KOに追い込んで優勝しました。この事件はプロレスの枠を超えた社会現象となり、ホーガンの名は日本中に轟きました。
日本スタイルへの適応:
アメリカでは見せない脇固めや、高度なレスリング技術を披露するなど、「技術の日本」に合わせたファイトスタイルでファンから絶大な支持を得ました。
またこの時の新日スタイルや技術が、以降ホーガンが大成功するための大きな礎になっていたと思います。

2. WWF(現WWE)時代
(1984年〜1993年)
ビンス・マクマホン・ジュニアとタッグを組み、プロレスを「スポーツ・エンターテインメント」へと変貌させました。
WWF王座初戴冠と「ハルカマニア」:
1984年1月23日、ニューヨークのMSGでアイアン・シークを破りWWF世界ヘビー級王座を初獲得。これを機に、子供から大人までを熱狂させるヒーロー像「ハルカマニア(Hulkamania)」が全米を席巻しました。
レッスルマニアの成功:
1985年に開催された第1回『レッスルマニア』のメインイベントを務め、有名人とのタイアップなどを通じてプロレスをメジャー文化に押し上げました。
伝説的なライバルたち:
アンドレ・ザ・ジャイアント、ランディ・サヴェージ、アルティメット・ウォリアーらと歴史に残る抗争を展開。1987年の『レッスルマニアIII』でアンドレをボディスラムで投げ飛ばしたシーンは、プロレス史に残る象徴的な瞬間となりました。

キャリアの補足
1994年以降はWCWに移籍し、悪役ユニット「nWo」を結成して再びプロレス界に革命を起こします。その後WWEに復帰して殿堂入りを果たし、2025年7月24日に71歳で亡くなるまで、業界の象徴であり続けました。
ハルク・ホーガンのWCW時代と、各時代における象徴的なライバルたちについて以降に記載します。
3. WCW時代
(1994年〜2000年)
WWFを離脱し、1994年にライバル団体WCWへ移籍。この時期、プロレス界の常識を覆す最大の転換点を迎えました。
衝撃のヒール転向:
1996年、それまでの正義の味方イメージを捨て、ケビン・ナッシュ、スコット・ホールと共に悪役ユニットnWoを結成。
ハリウッド・ホーガン:
コスチュームを赤と黄色から黒と白へ一新し、「ハリウッド・ホーガン」を名乗ります。この演出は爆発的な支持を得て、WCWが一時的にWWFの視聴率を上回る原動力となりました。
権力闘争:
ユニットの拡大と内部抗争、そして団体内の政治的な影響力を含め、公私ともに業界を支配した時代です。
ホーガンのキャリアは、常に時代のトップレスラーとの激しい抗争によって彩られてきました。

4.主なライバル・抗争相手
・新日本プロレス
アントニオ猪木:
1983年、アックスボンバーで猪木を失神KOさせた伝説のIWGP戦が有名。一時期はタッグパートナーでもありました。
長州力:
1984年、第2回のIWGP戦での猪木との試合に長州が乱入したことで暴動騒ぎに発展したこともありますが、これは、抗争とは言わないですが、スーパスターになりつつあったホーガンから、猪木が完全勝利するわけにはいかず、苦肉の策だと言われています。
・WWF (現WWE)
アンドレ・ザ・ジャイアント:
レッスルマニアIIIでの歴史的なボディスラム。最も重要なライバルとされます。
ランディ・サヴェージ:
タッグ「メガ・パワーズ」結成から、嫉妬による仲間割れ・王座戦へ。
アルティメット・ウォリアー:
レッスルマニアVIでの「究極の対決」。世代交代を象徴する名勝負。
・WCW
スティング:
nWoに一人で立ち向かう「WCWの守護神」として、ホーガン最大の宿敵に。
レックス・ルガー:
nWo全盛期、ホーガンからWCW王座を奪取し会場を熱狂させました。
リック・フレアー:
移籍直後からの新旧王者対決。私生活では親友ですが、リング上では長年争いました。2000年代以降 ザ・ロック 2002年レッスルマニアX8での「新旧アイコン対決」。伝説的な一戦。
ブロック・レスナー:
若き日のレスナーに圧倒され、時代の移り変わりを印象付けました。
2025年7月に71歳でこの世を去った際、かつてのライバルであるリック・フレアーらがSNSで深い哀悼の意を表しています。
5. 晩年と逝去
殿堂入り: WWE殿堂には個人(2005年)とnWo(2020年)の2度選出されています。
逝去(2025年): 2025年7月24日、フロリダ州の自宅で容体が急変し、71歳で死去しました。 死因は急性心筋梗塞による自然死と報じられています。
6.猪木からホーガンへの評価
猪木さんは公の場でホーガンについて多くを語ることはありませんでしたが、彼が新日本プロレス時代に日本スタイルを学んだこと、そしてIWGP決勝戦での「事件」を通じてホーガンが世界的スターへと成長した経緯を高く評価していました。
「超人」への期待:
猪木さんはホーガンの体格と潜在能力を早くから見抜いており、自身のライバルとして育てることで、新日本プロレスの外国人エースにしようと考えていました。
舌出し失神KO事件:
1983年のIWGP決勝戦でのKO劇は、結果的にプロレスの「深み」や「謎」として語り継がれることとなり、この論争そのものが二人の関係性を特別なものにしました。猪木さんはこの一件をプロレス史における重要な出来事として認めていました。
7.ホーガンから猪木への評価
一方、ホーガンさんは猪木さんを深く尊敬しており、師弟関係のような絆を感じていました。
「イチバン」という言葉:
2022年に猪木さんが亡くなった際、ホーガンさんは自身のTwitter(現X)で「イノキは本当にイチバン(1番)だった。安らかにお眠りください、マイ・ブラザー(私の兄弟) 愛している」と日本語を交えて追悼コメントを発表しました。
日本での経験を重視:
ホーガンさんは、自身のキャリアの半分近くを新日本プロレスで過ごしたと感じており、「バスに乗って旅をし、生活をし、時にはアメリカ人選手と戦った」経験が、アメリカでの成功の礎となったと振り返っています。
師としての認識:
日本での厳しいトレーニングや猪木さんとの対戦を通じて、レスラーとしての技術や心構えを学んだことが、後に「ハルカマニア」として世界を席巻する上で不可欠だったと語っています。
