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大人になって「友達の作り方」がわからなくなった内向型へ――友情コストと静かな関係構築術

誰かと会う約束をする前に、ふと考えてしまうことがある。

「その時間、家で本1冊読めるな」
「移動だけで1時間かかるな」
「今週もう何回か外出したな」

相手のことが嫌いなわけではない。会えば楽しいと思っている。それでも、なんとなく腰が重い。そしてそのたびに、自分のことをちょっと責める。

学生時代から、自分から話しかけるのは苦手だった

思い返すと、学生時代も別に社交的だったわけではない。

クラスの中心にいたわけでもなく、積極的に話しかけていたわけでもない。それでも話せる友人は数人いた。

なぜか。

単純に、「毎日同じ場所にいた」からだと思う。

接触回数が増えると親しみが生まれやすいとされている。学校という空間は、意図せずしてこの接触回数を自動的に稼いでくれる仕組みだった。席が近い、同じ部活、同じ授業——それだけで関係は育ちやすい。自分から動かなくても、環境が動いてくれていた。

それに加えて、学校には「共通の話題」が自動的に用意されていた。

明日の小テスト、昨日の部活、あの先生の授業——誰かと話すたびに、自分でネタを探さなくてよかった。外側の環境が、会話の入口をいつも置いておいてくれていた。

何かを話さなくてはという焦りもなく、黙っていても場が続いていた。それが普通だと思っていたけれど、今思えばかなり恵まれた構造だった。

ある意味、学校は「友達製造装置」として機能していたとも言える。


社会人になると、友情にコストが発生する

社会人になってから、その装置がなくなった。

誰かと会うためには、自分で何もかも用意しなければならない。

  • 予定を合わせるための連絡

  • 移動のための時間と交通費

  • 飲食や活動のためのお金

  • 話題

  • そして何より、その日のエネルギー

学生のころは限りなくゼロに近かったコストが、社会人になると一気に可視化される。会うたびに、時間とお金と体力を「消費している」という感覚がある。(もっとも、友人関係とは定期的に会うことを前提とする関係ではないが、ここでは「会う関係」について書いている。)


内向型は、さらにもう一種類のコストを払っている

ここからが、この記事で一番書きたかった部分である。

内向型の人には、社会人の一般的な友情コスト(時間・お金・移動)に加えて、もう一種類のコストが存在する傾向がある。

それは、「消耗コスト」。

  • 会話の中で相手の気持ちや場の空気を読むエネルギー

  • 気を遣いながら話し続ける疲労

  • 会った後に必要な回復時間

内向型がひとりの時間を必要とするメカニズムについては別の記事でも触れているけれど、ここで重要なのは「その構造が友達作りにもそのまま影響する」という点。

つまり、内向型にとっての友情コストはこうなる。

  • 時間

  • お金

  • 移動

  • 会話疲労・気遣い疲労

  • 回復時間

これだけのコストがかかるとなると、「誰とでも仲良くなろう」とはなりにくい。当然だと思う。


「友達を作ること」を目的にすると、続かない理由

友達が欲しいと思って、カフェ会や交流会に参加したことがある人もいるかもしれない。

でも、行ってみると妙に消耗する。
何を話せばいいか分からない。場の雰囲気に乗れない。帰り道に「楽しかったか?」と聞かれたら、正直よく分からない。

それは、会話そのものが目的になっているから。

内向型の場合、共通のテーマも目的もないまま、ただ「仲良くなること」を目指して話し続けるのは、思っている以上に消耗する。

一方で、読書会、趣味の集まり、勉強会——こういう場だと、少し違う感覚がある。会話が弾まなくても「今日来た意味」が残る。その場に「目的」があるから、話すことへの圧力が下がる。


内向型に向いている場と、向いていない場

それを踏まえて整理すると、こうなると思う。

向いていない場の傾向

  • 人脈作りを目的にした異業種交流会

  • 名刺交換が主体のビジネス系イベント

  • 参加者全員と話すことを前提とした大人数の飲み会

向いている場の傾向

  • テーマや関心軸が明確なコミュニティ

  • 趣味・学び・創作など「活動」が中心の集まり

  • 少人数で継続的に関われる場

「積極的に動けばいい」という話ではなく、「どこに動くか」が大事。同じエネルギーを使うなら、合っている場所の方がずっと回収率がよいと思う。


友達は「探す」より「副産物」として生まれる

私にも「友達募集」掲示板で知り合って、今でも続いている関係がある。だから「探す」こと自体が合わないのではないと思う。

ただ、続く関係を振り返ってみると、たいてい何か共通の感覚があった。

共通の趣味は、きっかけとして強い。

ただ、「同じ映画が好き」という一致だけでは長続きしないことが多い。

重要なのは、なぜそれが好きなのか、どう心が動くのか、という部分。
静かな世界観に惹かれるのか、人間関係の描写に刺さるのか——同じ作品を好きでも、響いているポイントが違えば、価値観は意外とすれ違う。

逆に、好きな理由が近い人は、価値観そのものが近い可能性が高いともいえる。


量より大切なもの

友達が少ないことへの不安は、「みんなはもっといるのに」という比較から来ることが多い。

でも実際のところ、孤独感と友達の数は必ずしも一致しないと感じている。

数ではなく、「この人になら連絡できる」と思える関係がいくつあるか——そちらのほうが、私は大切だと思っている。


大人になって友達が増えなくなったのは、友情に必要なコストが見えるようになって、誰にでもそのコストを払えるわけじゃないと知ったからだと思う。

本当に大切にしたい人だけを本当に大切にしていきたいと私は考えている。


このnoteでは、内向型・繊細な気質を持つ人が消耗しすぎずに生き延びるための情報を、当事者目線で発信しています。 社労士(有資格者)・キャリアコンサルタントとしての知見も交えながら書いています。    

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