「幸せのおすそ分け」が重く感じるときは、中に「上下」が入り込むから
善意なのに、重い。
私たちが時々感じる
やや重い気持ちの正体について、
キュレーターさんの記事をきっかけに、考えてみました。
キュレーターさんの
「幸せのお裾分けはなぜ嫌われるのか」
読み終わったあと、しばらく頭の中に残っていたのは
「あ、これ…たしかに私も感じたことあるな」って、じわっと思い出したんです。
もし今
・誰かのおすそ分けに、なぜか疲れる
・善意なのに、重い…って感じることがある
・なんだか、息が詰まるように感じる
これに心当たりがあるなら、きっと共感してくれると思います。
キュレーターさんの記事は、そういう言葉にしにくい違和感を、
「おすそ分け」そのものじゃなくて、「その言葉が二人の間の距離感をどう変えてしまうか」という視点で教えてくれました。
その視点が、すごく勉強になりました。ありがとうございます。
私は「気持ちのおすそ分け」が好きな人
誤解されたくないので先に書きますね。
私は「おすそ分け」って、好きなんです。
幸せ気分を味わえたとき、
おすそ分けです!って記事を書いてます😅
わたしもよく使っているし、
みなさまからの
おすそ分けを受け取って「ありがとう」って一緒に味わえてうれしいと思えることが多いです。
だから、この記事を読んで
「おすそ分けはやめましょう」って言いたいわけじゃない。
おすそ分けって、うれしい。でも…
それでも、たまに「うっ…」ってなる日もある。
人間なので。
うって、なんなんだろうって思ってたんだけど、
キュレーターさんの記事を読んで、
私は
「おすそ分け、そのものじゃなくて、受け取り方が先に決まって渡される感じからくる」
という関係性が微妙に入り組んで感じる違和感だとわかりました。
受け取る側の自由が消える。
すごく納得しました。
「幸せを一緒に味わう」は、私は好きなんです。
誰かの幸せを喜ぶって、アドラー心理学でいえば共同体感覚。
「よかったね」って言える関係が、私は好きです。
だからこそ、大事なのは
渡す人が
はじめは良かれとおすそ分けしてるけど、
いつの間にか
上からの構図がぬるっと入っているんですね。
違和感に敏感な私たちは、
あれ??みたいに。
受け取る側にも「どう思っても良い自由」が残っているかどうか。
一緒に喜んで反応してもいいし、今日はスルーでもいい。
キュレーターさんの記事が教えてくれたこと
「なぜあの違和感が苦しいのか」を、整理して言葉にしてくれました。
私は読んで、
自分の中の違和感に説明がついた気がします。
ぜひ記事を読みに行ってみてくださいね。
私は、あの視点を知れて読んでほんとによかった。キュレーターさん、ありがとうございます!!
【紹介した記事】
アドラー心理学の視点を少し
共同体感覚は、相手を“仲間”として受け入れる感覚。これを大事にしたいのです。
なので、知らないうちに上下が入り込むと、私たちはザワっとするのかもしれません。
渡す方はそのつもりじゃなくても、
上からの縦の関係がいつの間にか入り込むことがある。
私の違和感は、たぶんそれでした。
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