【連載第2回】一日の生活ルーティン改造計画・特別編:阿頼耶識を調べようとしたら1
人間、生きていると不思議な巡り合わせというのがあるものである。
現在の私はといえば、毎日のように天津祝詞を唱えたり、智山勤行式(もちろん般若心経入りである)をぶつぶつと唱えたり、はたまたヨガだの呼吸法だのにせっせと励んでいるわけだが、そもそもなぜそんな怪しげな(失礼、ストイックな)世界に足を踏み入れてしまったのか、自分でも長年よく分かっていなかった。
それが先日、ふと「空の境界」に出てくるあの謎めいた言葉、そう、「阿頼耶識(あらやしき)」について調べてみようと思い立ったことから、全てのパズルがカチリと音を立てて繋がったのである。
最初は「神秘思想 光と闇の全史」なんていう、いかにも部屋の隅でニヤニヤしながら読みたくなる本を引っ張り出し、「アカシックレコード」なんていうこれまた厨二心をくすぐる単語をすっ飛ばして、とにかく阿頼耶識について突き止めようとしたのだ。
ところが、である。この阿頼耶識というやつは、実にもったいぶった概念で、いきなりそこだけを理解しようとしても、
「いやいや、あんた、その前に知っておかなきゃならない基本的な仏教のルールがあるでしょ」と、段階を踏むことを要求してくる、なんとも面倒くさい代物だったのである。
というわけで、私が現在に至るすべての根源を解き明かすためにも、まずは基本中の基本、あの「釈迦おじさん」が気づいちゃった、この世のヤバすぎる仕組みから順を追って説明せねばなるまい。
今から二千五百年ほど昔のインドに、私たちの日常のモヤモヤをはるか斜め上から見つめ、ものすごい発見をしてしまったおじさんがいた。
それが、のちに「仏陀」と呼ばれることになる釈迦(しゃか)である。
本名はガウタマ・シッダールタ。名前からしてちょっと強そうだが、なんと元は一国の王子様。何不自由ない超リッチな暮らしをして、可愛い奥さんと子供までいたという、絵に描いたような勝ち組のイケメンであった。
ところが、この王子様、あまりにも大切に箱入りで育てられたせいか、世間の「普通のこと」を何ひとつ知らなかった。
ある日、お城の東の門からひょっこり外に出たシッダールタは、腰の曲がったおじいさんを目撃する。
「ねぇ、あれは何? なんだかシワシワだし、動きがスローモーションなんだけど」 お付きの者に尋ねると、「あれは老人です。人間、誰しも年をとればああなるのです」と言われ、王子はガーンと大ショックを受ける。
後日、今度は南の門から出て病気の人を見かけ、「人間はみんな病気になる」と聞いてまたガーン。
西の門から出て死体を見て、「人間はいつか必ず死ぬ」と聞いてトリプルガーン。
すっかりメンタルをやられた王子は、自宅に引きこもってしまった。
私たちは子供の頃から「人は老いるし死ぬ」と知っているから「まあ、そうだよね」と思えるが、三十歳近くまでそれを知らずに生きてきた王子にしてみれば、世界の終わりみたいな大ニュースだったのである。
「老・病・死。この恐怖から逃れるルートは無いのか・・・」と悩んでいた彼は、最後に北の門で、なんだか妙にキリッとした出家者(修行プロ)に出会う。「これだ!」とひらめいた王子は、なんとリッチな身分も家族もあっさり捨てて、夜逃げ同然で城を飛び出してしまった。極端な男である。
それからの彼の修行っぷりが、また凄まじかった。
とにかく飯を食べない、寝ない、ひたすらじっと座るという、絵に描いたようなド根性苦行を六年もの間続けたのである。
だが、いくらお腹をペコペコにしても、体がガイコツのようになっても、ちっとも心はスッキリしない。 「あ、これ、悟る前に死ぬわ」 そう気づいたシッダールタは、あっさりと苦行をリタイアした。
フラフラになって川のほとりに倒れ込んでいると、通りがかった村の女の子・スジャーターちゃんが「これでも食べなよ」と乳粥(ミルク粥)をくれた。
これが体に染み渡るほど美味しかったのだろう。エネルギーをフルチャージした彼は、菩提樹の木の下で座禅を組み、ついに三十五歳で
「あ、分かっちゃった!」と悟りを開いたのである。
彼が気づいたのは、非常にシンプルなことだった。
「楽器の弦と同じでさ、キツく締めすぎても、ゆるゆるに緩めすぎても、いい音は出ないじゃない。修行も人生も、無理しすぎず、サボりすぎず、バランス(中道)が一番大事なんだよね」 という、なんとも力の抜けた、しかし真理をついた結論であった。
釈迦は、この世の攻略本として「四諦(したい)」というガイドブックを提示した。
要するに、「人生は思い通りにならないこと(苦)ばかりだけど、それにはちゃんと原因がある。その原因さえ消しちゃえばハッピーになれるから、これから教える『正しい8つのルート(八正道)』でいこう!」という、実に親切な解説である。
苦諦: 人生、ぶっちゃけ思い通りにならないこと(苦)ばっかりじゃん?
集諦: なんでかっていうと、原因(執着)があるからだよ。
滅諦: じゃあ、その原因(執着)を消せばハッピー(涅槃)になれるよね。
道諦: そのための具体的な方法が「八正道(はっしょうどう)」(正しい8つの行動ルート)だよ。
ちなみに人生の「苦(思い通りにならないこと)」は、(生・老・病・死)に加えて四つ(愛する人と別れる、嫌な奴と会う、欲しいものが手に入らない、心と体がいうこと聞かない)がプラスされて、お馴染みの「四苦八苦」になる。
年をとりたくない、病気になりたくない、死にたくない。
あれが欲しい、これが欲しい。
私たちは執着のカタマリだから、現状が変わることを恐れてジタバタする。しかし釈迦は「この世のものはぜーんぶ、季節が移り変わるみたいに変化し続けるんだから(諸行無常)、しがみつくだけ損だよ」と教えてくれたのである。
さらに、なぜ世界がそんなに変化するのかというと、
すべてのものが「お互い様」のネットワークで繋がっているからだという。
これを「縁起(えんぎ)」と呼ぶ。
たとえば、私たちが会社で「あー、もうこの仕事嫌だ、辞めたい!」とブツブツ言いながらパソコンをパチパチ叩いているとする。
自分の力だけでその仕事を終わらせたような顔をしているけれど、本当はそうではない。
指示を出してくれた上司がいて、愚痴を聞いてくれる同僚がいて、そもそも会社という場所がある。
それだけじゃない。使っているパソコンや机だって、どこかの誰かが汗水たらして作ってくれたものだ。会社に来るまでに乗った電車だって、運転士さんが早起きして動かしてくれたから動いている。
もっと言えば、今こうして呼吸をしている自分の心臓だって、自分が「動かせ」と命令したわけでもないのに、健気に勝手に動いてくれているのだ。親が自分を産んでくれたおかげでもある。
そうやって考えていくと、蛇口をひねって水がジャーッと出てくるだけで、「ああ、水道局の人、ありがとう・・・下水道を整備してくれているおじさん、マジで感謝・・・今月も水道代が払えて本当によかった」と、全方位にペコペコと頭を下げたくなるような、妙にありがたい気持ちになってくるから不思議である。
私たちはつい「自分ひとりで生きている」と威張りがちだが、実際は目に見えない巨大な蜘蛛の巣みたいな、お互い様の編み目の中で生かされているだけなのだ。
無数の出来事がドミノ倒しみたいに影響し合って、世界は1秒ごとに新しくなっている。その真っ只中で、「私だけは変わりたくありません!」と意地を張る方が、宇宙のルール違反というものかもしれない。
この「縁起」というややこしくも温かい仕組みに、世界で一番最初に気づいて「なーんだ、そういうことか」とニヤリと笑った釈迦おじさん。
彼の残した教えを思い出すと、今日も「まあ、のんきに構えて、目の前の乳粥でも美味しくいただくとするか」という気分にさせられるのである。
さて、基本をざっとおさらいしたところで、いよいよ話は私のルーツである「あの謎の言葉(阿頼耶識)」のディープな領域へと・・・といきたいところだが、実はここからが本当の迷宮の入り口である。
この「釈迦おじさん」の基本ルールが、のちに「五蘊(ごうん)」という人間の心身の分析に発展し、あの有名な「般若心経」の「空(くう)」という概念で一度すべてがひっくり返され、さらにその先で「唯識(ゆいしき)」という超高度な心理学へと繋がっていく。
その壮大な物語のゴール地点に、ようやくラスボスである「阿頼耶識」が鎮座しているのだ。
というわけで、次回はまず「私という存在の正体」に迫る「五蘊と般若心経」編。 この迷宮を抜けた先に何があるのか、ぜひ気長にお付き合いいただきたい。 つづく。
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