国家は、自分を正しいと決められるのか
おはようございます。長坂総研です。
信用・負債制度起源論は、人間社会の根源から社会生活を見ていこうとする試みです。
人間の根源は欲です。
生きたいという欲がまず最初です。
生き延びるためには行動が必要で、確実に生き延びるためには共同体をつくることが大事になります。
共同体をつくるためには、まず最初に言葉をかけるという行動が必要になります。そのあとに行動を示すことで信用が積み重なります。

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国家は、自らの決定を正当なものとして説明します。
しかし、法律に従い、多数が賛成しただけで、その決定が正しいとは限りません。
国家の正当性は、国家の言葉と行動を構成員がどう受け取るかによって変わります。
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国家は、自分を正当化する
前回は、国家が警察や軍、法による強制力を持つ理由を考えました。
国家は、最終決定を示し、その決定を行政や強制力によって現実にします。
しかし、決定を実行できることと、その決定が正しいことは同じではありません。
国家は、自らの決定が法律に基づき、秩序や国民の安全を守るためのものだと説明します。
けれども、その説明をしているのは国家自身です。
国家が「私は正しい」と宣言することと、人々が「その決定なら受け入れられる」と考えることは別です。
国家は、自らの行動を正当化する言葉を作れます。
しかし、自分で自分に信用を与えることはできません。
合法なら、正当なのか
国家の決定は、法律や手続きによって作られます。
民主主義国家であれば、選挙で選ばれた議員が議会で法律を作り、行政が実行します。裁判所は、その決定が法律や憲法に反していないかを判断します。
こうした手続きを通った決定には、制度上の合法性があります。
しかし、法律に従っているからといって、その決定が必ず正しいとは限りません。
特定の集団にだけ負担を押しつける制度も、決められた手続きを通して成立することがあります。
過去に作られた法律を守ることで、現在の不公平がそのまま残ることもあります。
合法性とは、決められた手続きを守っているという意味です。
正当性とは、その決定が受け入れられる理由を持っているという意味です。
両者は重なりますが、同じではありません。
多数が決めれば、正しいのか
手続きの代表例である多数決も同じです。
全員の意見を一致させられない以上、決定を確定させる方法として多数決は有効です。
しかし、多数が決めたからといって、その内容まで正しいとは限りません。
多数派が、自分たちの負担を少数派へ押しつけることもできます。
少数者の権利を奪いながら、「多数が決めた」と正当化することもできます。
多数決は、決定を確定する方法です。
決定の内容が正しいことを保証する制度ではありません。
多数決によって作られた決定の正当性を見るには、少数者の権利が残されているか、負担が特定の者だけに集中していないか、間違った決定を後から修正できるかまで考える必要があります。
人は、なぜ国家に従うのか
国家の決定が受け入れられる理由は、民主主義だけではありません。
王家の伝統によって支配が認められることもあります。
宗教によって、王や国家の権威が説明されることもあります。
経済成長や治安の維持など、実績によって支持を得ようとする国家もあります。
人々が国家に従う理由は、伝統や法律への信頼、生活の安定、処罰への恐怖など、さまざまです。
同じように国家へ従っていても、その理由は同じではありません。
制度を信頼して従う者もいれば、生活が安定しているから受け入れる者もいます。
反対に、処罰を恐れて黙っているだけの者もいます。
従っているという事実だけを見ても、その国家が信用されているかどうかは分かりません。
恐怖による服従と、制度への信用は別のものです。
どの正当化も、行動に支えられる
伝統、宗教、法律、実績は、それぞれ異なる方法で国家を正当化します。
しかし、どの説明であっても、その言葉を実際の行動が支えなければ、長く信用を維持することはできません。
王が神や伝統によって自らの支配を説明しても、国民を守らず、共同体を壊し続ければ、その説明は空洞化します。
選挙によって選ばれた政府であっても、公約を守らず、不公平を放置すれば、制度への信用は減っていきます。
実績によって支持を得た国家も、現在の暮らしや安全を支えられなくなれば、過去の実績だけでは正当性を維持できません。
国家がどの言葉で自分を説明するかは違っても、最後には行動によって判断されます。
正当性は、言葉と行動の一致から生まれる
信用・負債制度起源論では、言葉によって約束が作られ、その約束を発した側に果たすべき負債が生じると考えます。
人々は、その言葉が行動によって返されることを期待します。
国家もまた、国民を守り、法の下で平等に扱い、公正に負担を求め、必要な者を支えると約束します。
国家がこうした言葉を発して約束を作ると、国家の側に果たすべき負債が生まれます。
その約束を実際の行動によって返したとき、国家への信用が積み上がります。
国家が人々を守った。
不公平があれば修正した。
失敗を隠さず、説明した。
こうした行動が積み重なることで、国家の決定は受け入れられるようになります。
正当性とは、一度与えられれば永久に続く資格ではありません。
国家の行動によって、毎日更新される信用です。
過去の実績は、現在の負債を返さない
建国の物語や過去の勝利、かつての経済発展は、国家の信用を支える材料になります。
しかし、過去に国民を守ったことは、今日も守っていることの証明にはなりません。
昔に豊かさをもたらした国家でも、現在の負担を一部の人へ押しつけ続ければ、不満は積み上がります。
過去の実績は、国家が自らを語るための材料にはなります。
けれども、現在の約束を果たす代わりにはなりません。
国家が過去の物語を繰り返すだけで、今の負債を返さなければ、正当性は少しずつ空洞化します。
承認されなくても、国家は動く
国家は、信用を失ったからといって、すぐに消えるわけではありません。
法律や行政、警察、軍、徴税の仕組みは残ります。
構成員が国家を信用しなくなっても、制度はしばらく動き続けます。
ここに、国家の難しさがあります。
制度が動いていることと、その国家が承認されていることは同じではありません。
命令に従っているからといって、納得しているとは限りません。
反対の声が見えないからといって、不満が存在しないとも限りません。
国家は、強制力を使って時間を稼ぐことができます。
しかし、その間に信用を回復できなければ、不満と未返済の負債は残り続けます。
国家が信用を回復する代わりに、強制力で不満を抑え、失敗の負担を構成員へ移すようになれば、制度は承認を得る方向から、支配を維持する方向へ傾いていきます。
表面上は安定していても、国家の内側では信用が崩れていることがあります。
正当性は、国家と構成員の間にある
国家の正当性を、国家だけで作ることはできません。
国家は法律を作り、宣伝し、式典を行い、自分が正しい国家だと名乗ることができます。
しかし、その言葉を受け取るのは構成員です。
国家が守ったのか。
約束を返したのか。
負担を公平に分けたのか。
失敗したときに修正したのか。
人々は、国家の言葉だけではなく、その行動を通して判断します。
正当性は、国家が所有するものではありません。
国家と構成員の関係の中で生まれます。
国家は、自らの決定に従うよう命令できます。
しかし、自分を信用するように命令することはできません。
