国家にしかできない仕事はあるのか
おはようございます。長坂総研です。
今回から信用・負債制度起源論の国家論に入ります。
少し長いシリーズになりますが、信用・負債制度起源論の締めの論になります。
信用・負債制度起源論から国家を見るとこんな風になりますよ、と感じくらいで読んでいただければ幸いです。
この国家論シリーズが終われば、次からは世界史を信用・負債制度起源論から見るとどうなるかになります。
前の記事とは違ったことが出てくるかもしれませんが、そこは進展したと思ってください。

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信用・負債制度起源論は、欲から始まり、言葉、行動、信用、負債、記録、制度、文字、通貨へと進んできました。
ここから国家論に入ります。
国家とは何か。
軍隊がある。法律がある。税を集める。国境がある。
国家については、さまざまな説明ができます。
しかし、それらを一つずつ見ていくと、本当に国家だけが行っている仕事なのかという疑問が出てきます。
国家の仕事とされているものの多くは、国家が生まれる前から共同体の中に存在していました。
では、共同体と国家は何が違うのでしょうか。
違いは、仕事の種類ではありません。
最後の決定を、誰が、どこまで確定させるのかです。
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国家の仕事は、共同体にもある
国家の役割を簡単に並べると、次のようになります。
決める。記録する。集める。配る。裁く。守る。
しかし、これらは国家だけの仕事ではありません。
小さな村でも、狩猟集団でも、家族でも、何をするかを決めます。
誰が何を持っているのかを覚え、食料を集め、必要な者へ配ります。
争いが起きれば、どちらが正しいのかを判断します。
外から敵が来れば、仲間を守ります。
つまり、国家の機能と呼ばれているものの多くは、すでに共同体の中にありました。
国家は、共同体にはなかった仕事を突然始めたのではありません。
共同体が行っていた仕事を、より広い範囲で、より長い時間、より多くの人々に対して行う制度です。
違いは、誰が最後に決めるのか
共同体の中では、人々が話し合い、総意を作ります。
しかし、全員の意見が完全に一致するとは限りません。
狩りに行くのか。移動するのか。食料をどのように分けるのか。外から来た者を受け入れるのか。争いをどのように収めるのか。
どこかで、決定を確定させなければ共同体は動きません。
その役割を長が担うこともあれば、合議や慣習によって決まることもあります。
重要なのは、長がいるかどうかではありません。
共同体の中に、議論を終わらせ、決定を確定させる仕組みがあることです。
話し合いだけでは、いつまでも決まりません。
一人の決断だけでは、共同体の承認を失います。
総意を作る過程と、最後に決定を確定する仕組みの両方が必要です。
国家は、複数の共同体を抱えている
村、都市、家族、宗族、民族、職業集団、宗教共同体。
国家の中には、さまざまな共同体が存在します。
それぞれが異なる欲や事情、価値観を持っています。
すべての共同体の意見を、完全に一致させることはできません。
それでも、税をどのように集めるのか。法律をどのように定めるのか。戦争をするのか。誰を国民として扱うのか。
国家全体として決めなければならないことがあります。
国家とは、単一の共同体がそのまま大きくなったものではありません。
複数の共同体を抱え、一定の領域と構成員に対して、最終決定を拘束力のある形で確定する制度です。
そして国家は、その決定を示すだけではありません。
法律や行政によって実行し、必要な場合には警察や軍などの強制力を使って従わせます。
国家の暴力が共同体の暴力と異なるのは、単に力が大きいからではありません。
国家が、自らの決定を実行するための力を制度として集め、それを正当なものとして扱うからです。
ただし、その強制力が本当に正当なのかは、国家が自分で決めれば済む話ではありません。
その決定がどのように作られ、誰に承認され、誰へ負担を押しつけているのかが問われます。
決定に従えない者はどうなるのか
共同体の決定に反対することはできます。
意見を述べ、説得し、決定を変えようとすることもできます。
しかし、最終的な決定が出た後も、それを受け入れられない場合があります。
そのとき、構成員にはいくつかの選択肢が生まれます。
決定に従う。
共同体を変えようとする。
あるいは、共同体から離れる。
共同体の決定を拒否しながら、その共同体から与えられる保護や配分だけを受け続けることはできません。
共同体は構成員を守り、資源を集めて配り、争いを裁きます。
その一方で、構成員も共同体を維持するための負担や役割を引き受けます。
共同体は、一方的に何かを与えるだけの存在ではありません。
互いの行動によって維持される関係です。
ただし、国家から離れることは、小さな共同体から離れることほど簡単ではありません。
国家は領域と国境を持ち、誰を内側に入れ、誰を外側に置くのかを決定します。
本人が国家を離れたいと思っても、別の国家が受け入れるとは限りません。
国籍、移住、言語、仕事、財産、家族など、離脱には大きな費用がかかります。
国家の分裂や独立も、単に人々が出ていけば成立するものではありません。
誰がどの領域を支配し、誰の決定がそこで効力を持つのか。
国家からの離脱は、その境界と最終決定権をめぐる争いになります。
国家も約束を負っている
国家と国民の関係も、一方的な支配だけではありません。
国家は、国民の生命や財産を守り、秩序を維持し、争いを裁くことを引き受けます。
国家が「守る」と宣言すれば、それは国民に対する約束になります。
信用・負債制度起源論では、言葉によって相手に期待を発生させることを、負債の発生と考えます。
国家が守ると約束したなら、国家にはその約束を行動によって返す責任が生じます。
国民もまた、税や労働、公共的な役割など、共同体を維持するための負担を引き受けます。
国家が役割を果たし、国民も必要な負担を引き受ける。
その相互の履行によって、国家と国民の信用関係は維持されます。
国家の決定が受け入れられるのは、法律に書いてあるからだけではありません。
国家がこれまで何をしてきたのか。約束を守ったのか。失敗したときに修正したのか。
その積み重ねが、国家の決定を支えます。
もちろん、国家がすべての人に同じ約束をし、同じように返してきたとは限りません。
国民として登録されながら、十分に守られなかった人もいます。
義務だけを課され、権利を認められなかった人もいます。
国家が誰を守り、誰に負担だけを負わせたのか。
それもまた、国家の信用を測る基準になります。
国家が信用を失うとき
国家も失敗します。
政策を間違えることもあれば、判断が遅れることもあります。
失敗そのものを、完全になくすことはできません。
問題は、失敗した後です。
間違いを認めるのか。修正するのか。負担をどのように分けるのか。
国家が失敗を認め、修正し、再び約束を果たそうとするなら、信用は維持できます。
しかし、失敗を隠し、修正を拒み、その負担だけを国民へ押しつければ、国家の信用は失われていきます。
国家が壊れるのは、単に失敗したときではありません。
失敗を認めず、修正せず、国家が負うべき負債を国民へ転嫁し続けたときです。
国家は、複数の共同体を抱え、その上に最終決定の仕組みを置きます。
その決定を法律として固定し、行政によって実行し、必要なら強制力を使います。
しかし、力を持っているだけでは、その国家が信用されていることにはなりません。
誰の意見を決定として採用するのか。
その決定は、どの領域まで届くのか。
誰が国家の内側に入り、誰が外側に置かれるのか。
国家を考えるには、次にその境界を見なければなりません。
