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国境の内側にいれば、国家の仲間なのか

おはようございます。長坂総研です。

信用・負債制度起源論は、人間社会の根源を欲とみなして、その欲をどう解消するかを理解するための理論です。

人間社会がどう動いているかを探求するために、起源にさかのぼっていった結果が欲という言葉にたどり着きました。

欲以外は、全て欲を解消するための手段である。

これに行きついています。


花音です。PCとかスマホがあればどこでも勉強できます。

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国境は、二つの土地を分けるだけの線ではありません。
国家の最終決定がどこまで届き、誰を構成員として扱うのかを示す境界です。
その内側に住んでいても、国家から保護と権利を返されなければ、国家の仲間とは限りません。

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国境は、二つの決定を分けている

前回は、国家を「複数の共同体を抱え、一定の領域と構成員に対して、最終決定を拘束力のある形で確定する制度」と考えました。

では、その決定はどこまで届くのでしょうか。

日本の法律が、世界中のすべての人にそのまま適用されるわけではありません。別の国家には、別の法律と最終決定があります。

国家が存在するためには、まず、自らの決定が届く範囲を定めなければなりません。

その範囲が領土です。

領土とは、単に国家が所有する土地ではありません。そこで誰の法律が通用し、誰が税を集め、争いを裁き、警察や軍を動かすのか。その最終決定が及ぶ範囲です。

国境とは、二つの国家の土地を分ける線である前に、二つの最終決定を分ける線なのです。

境界は、人も分ける

国家の境界は、土地だけでなく人も分けます。

国家は、人を国民、外国人、住民、難民などに分類します。その分類によって、受けられる保護も、課される義務も変わります。

国家は、人の名前や出生、住所、国籍を記録します。

これは、単なる事務手続きではありません。

登録されることで、人は国家の制度の中に置かれます。保護を受ける資格を得る一方で、法律に従い、税などの負担を引き受ける立場にもなります。

登録されることは、見つけてもらうことです。

同時に、逃がさないことでもあります。

文字と記録によって、人は国家から見える存在になります。国家はその人を守ることができるようになり、同時に、その人の行動や負担を管理できるようになります。

国境の内側にいるだけでは足りない

国家は、構成員の生命や財産を守り、争いを裁き、外敵から領域を守ると約束します。

一方で、構成員には税や法律への服従、公共的な役割などの負担を求めます。

国家の境界は、この保護と負担の関係が適用される外側の範囲です。

しかし、その境界の内側で、保護される者と負担を求められる者が一致するとは限りません。

税は取られるが、十分には守られない。

兵士として動員されても、政治的な権利は与えられない。

法律には従わされても、同じ法律によって平等に保護されない。

国家が義務を課しながら、保護や権利を十分に返さないとき、その人は構成員として扱われるよりも、支配対象に近づいていきます。

国境の内側にいるだけで、国家の仲間になれるわけではありません。

国家が誰を同じ構成員として扱い、誰には負担だけを求めているのか。そこに、その国家の実際の姿が現れます。

国境は自然に生まれない

山や川、海が国境になることはあります。

しかし、山や川が自分で「ここから先は別の国家だ」と決めるわけではありません。

国境は、戦争や条約、支配の積み重ねによって、人間が制度として定めたものです。

そのため、国境は動きます。

国家が力を失えば、最終決定の届く範囲は縮みます。別の国家や共同体が支配を広げれば、境界は押し戻されます。

地図上では一本の線に見えても、その線を維持するには、行政、税、記録、軍事力が必要です。

住民が、その国家の決定を受け入れているかどうかも無関係ではありません。

国境は、線を引けば完成するものではありません。

その線の内側で、国家の決定が実際に通用し続けて、初めて境界として維持されます。

民族と国家の境界は一致しない

国家の中には、さまざまな共同体があります。民族もその一つです。

同じ言葉や文化、祖先の物語を共有する者たちが、複数の国家に分かれて暮らすことがあります。反対に、一つの国家の中に、複数の民族が暮らすこともあります。

つまり、民族の境界と国家の境界は一致しません。

国家が、一つの言葉、一つの歴史、一つの民族との完全な一致を求めれば、国境の内側に新しい境界が作られます。

同じ国家に暮らしていても、中心に置かれる者と、周辺へ追いやられる者が生まれます。

国家が異なる民族共同体を抱えたまま、一つの最終決定の下で維持できるのか。

それとも、違いを消して一つにまとめようとするのか。

その選択によって、国家の内側にある信用関係は変わります。

宗教は、国家とは別の決定を持つ

宗教も共同体を作ります。

同じ神を信じ、同じ教えや儀礼を共有する人々は、国家とは別の信用関係で結ばれています。

宗教共同体も、国境とは一致しません。同じ宗教を信じる者が複数の国家にまたがり、一つの国家の中にも複数の宗教が存在します。

民族の場合は、国家が異なる共同体をどう統合するかが問題になります。

宗教の場合は、それに加えて、誰の決定を最終決定とするのかという問題が生まれます。

国家は、自らの法律と決定に従うことを求めます。

しかし宗教も、神や教義を国家より上位に置くことがあります。

国家の決定と宗教の教えが一致している間は、大きな衝突は起きません。

両者が異なる決定を示したとき、人は国家と宗教のどちらに従うのかを迫られます。

国家の領域と宗教の領域が一致していないからこそ、国家と宗教の関係は争いの種になります。

国家の約束はどこまで届くのか

国家の内側にも、さまざまな境界があります。

国民と外国人、多数派と少数派、中心地域と周辺地域の間で、国家の扱いが同じとは限りません。

人々は、自分が国家の内側にいるのかを、地図だけで判断しているわけではありません。

国家が自分を守ったのか。

自分の声を聞いたのか。

同じ義務を求めながら、同じ権利を認めたのか。

国家の行動を通して、自分が構成員として扱われているかを判断します。

国境は、単に人を外敵から守るための線ではありません。

国家が誰を構成員として扱い、誰に約束を負い、誰に負担を求めるのか。その範囲を示す線でもあります。

国境の内側にいるだけで、国家の仲間になれるわけではありません。

国家が義務を課しながら、保護や権利を十分に返さないなら、その人は構成員として扱われるよりも、支配対象に近づいていきます。

国家の境界は、地図の線だけではありません。

国家の約束が、実際にどこまで届いているのかによって現れます。

次回は、その約束と決定を実行させる力について考えます。

国家は、なぜ警察や軍を持ち、その暴力を正当なものとして扱うことができるのでしょうか。


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