国家が返せなくなるとき
おはようございます。長坂総研です。
信用・負債制度起源論では、言葉は負債であり、行動は信用であるとしています。
今回は、政府の約束=言葉=負債は、行動としてきちんと返済され信用されているかという話です。
国家が破綻するのは、政府の言行不一致で国民の政府に対する信用がなくなったときです。
国民からの信用がなくなった政府は、新たな政府に変らざる得なくなります。
日本でいえば、政権交代というやつで、世界では革命という言葉になります。

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国家は、構成員から負担を受け取り、保護や秩序、公共サービスによって返します。
しかし、その約束のすべてを、いつでも完全に果たせるわけではありません。
約束を果たせなかったとき、国家に何が起きるのでしょうか。
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国家は、約束を増やし続ける
国家は、構成員の生命や財産を守り、法律の下で公平に扱い、災害や失業、病気によって生活が崩れたときには共同体として支えると約束します。
国家の役割が増えるほど、国家が負う約束も増えていきます。
一方で、国家が使える人員や資源には限りがあります。すべての地域を同じように守り、すべての制度を維持し、すべての要求に応えることはできません。
人口構成や産業、技術、国際情勢が変われば、以前は維持できた制度が、現在の共同体にとって重い負担になることもあります。
国家は、約束を増やすだけでは続きません。
何を維持し、何を変え、誰がどの負担を引き受けるのかを、絶えず決め直す必要があります。
返済不能は、財政破綻だけではない
国家の返済不能と聞くと、国債や財政赤字を思い浮かべるかもしれません。
しかし、信用・負債制度起源論でいう国家の負債は、会計上の数字だけではありません。
国家が守ると約束したのに人を守れない。公平に扱うと宣言しながら、特定の集団へ負担を集中させる。税を集めながら、生活の基盤や将来への投資を放置する。
こうした状態も、国家が約束を返せていないという意味での返済不能です。
国家の帳簿が黒字でも、構成員への約束が果たされているとは限りません。
反対に、財政支出が増えていても、その支出によって共同体の生活基盤や将来の能力が維持されているなら、国家は約束の一部を果たしていると考えることができます。
見るべきなのは、数字だけではありません。
国家が何を受け取り、どの約束を果たし、何を未返済のまま残しているのかです。
国家は必ず失敗する
国家は、多数の人間と制度によって動いています。
判断を誤ることもあれば、予測できなかった危機に直面することもあります。政策の効果が出ず、使った資源が無駄になる場合もあります。
失敗を完全になくすことはできません。
国家の信用は、失敗しないことによって維持されるのではなく、失敗した後の行動によって維持されます。
何が間違っていたのかを認め、原因を調べ、制度を変える。負担が一部へ偏っていたなら、それを組み替える。
こうした修正ができれば、失敗は信用の破綻には直結しません。
むしろ、国家が誤りを認め、修正できること自体が、新たな信用になります。
国家を壊すのは、間違いそのものではありません。
間違いを認められず、修正できないことです。
失敗を認めると、負担が見える
国家が失敗を認めることが難しい理由の一つは、誰が責任を負うのかが明らかになるからです。
政策をやめれば、それまでの判断が間違っていたと認めることになります。
制度を変更すれば、これまで利益を得ていた者が、新たな負担を引き受けなければならない場合もあります。
過去の約束をそのまま維持できないなら、その理由を説明し、構成員に納得を求めなければなりません。
そのため国家は、失敗した制度を残し続けることがあります。
すでに効果を失った事業へ、さらに資源を投入する。現在の問題を認めず、過去の成功や建国の物語を繰り返す。
しかし、失敗を隠しても、必要な資源が増えるわけではありません。
未返済の負債が見えにくくなるだけで、負債そのものは残ります。
負債は、消えずに移される
国家が約束を返せなくなったとき、その負債が自然に消えるわけではありません。
行政サービスを削れば、その不足は家庭や地域の負担になります。将来への投資を止めれば、老朽化したインフラや低下した生産力を、次の世代が引き受けます。
不安定な雇用や生活の困窮を放置すれば、本来は制度によって支えるべき負担が、個人の自己責任へと押し戻されます。
国家が返さなかった負債は、別の形で共同体の中に残ります。
その負担が弱い者や反対しにくい者へ集中するほど、制度は共同体を維持する方向から、負債を転嫁して支配を維持する方向へ傾いていきます。
国家は、帳簿上の負担を減らすことができます。
しかし、それは社会全体の負担を消したのではなく、国家の外へ移しただけかもしれません。
修正できない制度は硬くなる
制度は、一度作られると、その制度によって利益を受ける人や組織を生みます。
制度を動かす役所ができ、予算が付き、その仕事によって生活する人が現れます。
制度が必要だった理由が薄れても、それをやめれば困る者がいます。
だから制度は、自動的には消えません。
本来は共同体を維持するために作られた制度が、いつの間にか制度そのものを維持するために資源を求めるようになります。
国家が修正できなくなるのは、制度についての知識が不足しているからだけではありません。
変えれば損をする者が存在し、その者たちが決定に影響を持つからです。
国家の負債が増え続けても、誰も自分の利益を手放そうとしなければ、修正は先送りされます。
その間にも、負担は見えにくい場所へ積み上がっていきます。
国家の言葉が、負債を隠し始める
国家が約束を果たせなくなれば、本来は理由を説明し、制度を修正しなければなりません。
しかし、失敗を認められない国家は、問題の説明そのものを変え始めます。
制度の失敗を構成員の努力不足へ置き換え、配分の偏りを仕方のない犠牲だと説明するようになります。さらに、批判を国家への敵意や共同体への裏切りとして扱い始めます。
こうして国家の発する言葉は、負債を返すための説明ではなく、果たされていない約束そのものを覆い隠すために使われるようになります。
言葉と行動の不一致が広がれば、構成員は国家の説明を信じなくなります。
国家が何を言っても、別の目的があるのではないかと疑われるようになります。
ここまで来ると、正しい説明まで信用されなくなります。
一つの政策への不信ではなく、国家が発する言葉全体への不信に変わるからです。
信用の不足は、強制力の負担を増やす
国家は信用を失っても、すぐには止まりません。
法律や行政組織は残り、警察や軍、徴税の仕組みも動き続けます。
しかし、制度が動いていることと、制度が機能していることは同じではありません。
自発的に協力する人が減れば、国家は制度を動かすために、より多くの監視、確認、処罰を必要とします。
信用が担っていた部分を、強制力で埋めなければならなくなるからです。
監視や処罰を増やせば、一時的には秩序を維持できます。
その一方で、強制に必要な人員や資源は増え、国家はさらに多くの負担を構成員へ求めるようになります。
信用の不足を強制力で埋め続ければ、国家は共同体を守るためではなく、制度を動かし続けるために資源を消費するようになります。
修正する道を閉ざした国家
国家がすべての約束を完全に果たすことはできません。
返せなかった約束について説明し、負担を調整し、別の方法で共同体を維持しようとすることはできます。
失敗を認めれば、制度を作り直す余地が残ります。
負担を引き受け直せば、失われた信用を回復することもできます。
しかし、国家が失敗を隠し、負債を別の誰かへ移し続ければ、制度は動いていても、国家と構成員の関係は壊れていきます。
国家の返済不能は、資源が尽きた瞬間ではありません。
修正する道を、自ら閉ざしたところから始まります。
