人生の優先順位
年齢を重ねて明確に変わってきたモノはたくさんある。その一つが、人生における優先順位だ。
若い頃は、圧倒的に「お金>時間」だった。時間は有り余っていたし、お金は慢性的に不足していた。能力や経験が全く評価されなかった時代に就職活動を送った世代には、売れるものは自分の時間と体力しかなかった。
いかに効率良く成果を上げるかではなく、いかに長時間働けるかのみで評価される世界。そんな中で生きていると感覚は麻痺し、休みを返上して働くことが当たり前になった。いつかそれが報われる日が来ると信じていた。正しく、‘’believe in‘’ である。
それから20年が経過し、価値観はコペルニクス的に転換した。今や、圧倒的に「時間>お金」である。特に次女が生まれてから、その価値観は強固になった。
長男と長女が生まれた頃は、30歳代で仕事が面白くて仕方がない時期だった。毎日、どんな新しいモノを作り出そうかとワクワクしていた。それこそ会社に泊まり込んで仕事をして、先輩や同僚と朝まで飲みながら熱く仕事について語ったものだ。
だが、次女が生まれてから、その感覚はフッと消えた。相変わらず仕事もこなしていたが、長男のサッカーチームのコーチを引き受けたり、小学校で出前授業をしてみたりと、それ以外の活動も増えていった。長女のピアノ発表会に連弾で参加するようにもなった。
そんな生活を送るうちに、時間が何よりも貴重になってきた。同世代が大病を患ったり、お世話になったかつての上司が亡くなったりするケースも増えてきた。健康な時間とは実は有限で、いつ終わるかが分からない儚いものだとようやく理解できたのである。
かつては3時間睡眠でも元気に動けたし、文字通り飲み明かしても、洋ドラを朝まで一気見してもちょっと眠いくらいで仕事ができた。今はとても体が持たない。なんなら、午後8時には布団に入っていたい。頭が冴えてしまうので、寝る前の映画は御法度である。
子供と過ごす時間だけでなく、自分に使える時間も無くなっている。英語をマスターするには2200時間が必要だそうだが、どこでそんな時間を捻り出せば良いのか。ピアノの練習や小説とシナリオの執筆、筋トレにジョギング、ボルダリングに水泳などやりたいことは年々増えていくのに、時間はどんどん削られていく。
そんな状態でも求められるものは相変わらずの長時間労働である。業界が業界だから仕方ないのかもしれないが、月の半分を夜遅く(というか朝早く)まで仕事をすると体調が最悪になる。20年間働いてたどり着いた先がこれである。本当に生きていくのは大変だとしみじみ思う。
この生活を続けて仮に偉くなったとしても、責任だけが増えて時間はさらになくなるだろう。昔は仕事=自己実現だったが、今では仕事=タスクでしかない。使命感もやりがいもないまま、目の前の業務を滞りなく回すだけ。お金はあった方が良いが、今の自分にはお金で手に入らないものの方がよほど貴重である。
正直、この真実には気づきたくなかった。できれば若い時のまま、時間とお金を交換する世界に没入できていれば良かった。知らないうちに赤い薬を飲んだのかもしれない。
果たして、私はこの世界から抜け出せるのだろうか。
