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【読書コラム】変な小説といえばホーソーン『ウェイクフィールド』とメルヴィル『バートルビー』が別格で面白い! 短いし、考えさせられるし、とりあえず読むべし! そして、ジジェクがよく着ている"I would prefer not to"が欲しくなる

 一応、読書好きとして、おすすめの小説を聞かれることがよくある。個人的にはプルースト『失われた時を求めて』が究極だと思ってはいるけど、あの長さを読めるような人はそうそういないので、たぶん、サクッと楽しめる短編や中編がいいのだろうと自重する程度には大人になった。が、せっかくだし、価値観が揺さぶられるような変な小説を紹介するぐらいのいたずら心は保っている。

 で、あれやこれや考えた末に、たどり着いたのがホーソーン『ウェイクフィールド』とメルヴィル『バートルビー』の二作品である。小説を読む喜びを味わうにはこれほど素晴らしいものは他にない。

 ちなみに二作品とも『アメリカン・マスターピース 古典篇: 柴田元幸翻訳叢書』に収録されていて、オーディブルは翻訳者の柴田元幸自身が担当し、紙の本にはない一編がボーナストラックで入っているので面白い。

 今回はそんなホーソーン『ウェイクフィールド』とメルヴィル『バートルビー』の魅力をそれぞれ解剖していこう。


☆ホーソーン『ウェイクフィールド』

ナサニエル・ホーソーンってどんな人?

ナサニエル・ホーソーン
米・1804-1864

 作家になりたいが生活が苦しく、税関の仕事をやってはやめるを繰り返した人。46歳で書いた『緋文字』が大ヒットした。

『緋文字』あらすじ
17世紀のボストンのピューリタン社会で、夫がいる身(と言っても夫は失踪中)でありながら、姦通の罪を犯して出産した女性が、相手の男の名前を隠し通すことを通して、悔恨と尊厳の内に新しい人生を打ち建てようとする物語。

 これが売れたのち、ホーソーンは有名人となり、大統領選挙に関わる。応援した候補が勝ったことで、リヴァプール領事に抜擢されるなど政治的にも活躍した。

 なお、明治時代の日本が世界史と英語を教えるために採用した教科書『万国史』のゴーストライターと言われている。

 そんなホーソーンが31歳のとき、まだ『緋文字』発表前の売れない作家時代に書いた短編小説が『ウェイク・フィールド』(1835)だ。


『ウェイクフィールド』あらすじ

 仮名・ウェイクフィールドという男が妻と二人でロンドンに暮らしていた。ウェイクフィールドは旅行に出ると偽って、自宅の隣の通りに間借りし、妻にも友人にも知られることなく、自己追放の理由もなしに、二十年以上の年月をそこで過ごした。

 その間、ウェイクフィールドとは毎日己の家を目にし、よるべないウェイクフィールド夫人の姿を頻繁に見かけもした。そして、結婚生活の至福にかくも長き空白をはさんだ挙句に、死亡認定され、財産整理も終わり、みんなに忘れられた頃、ある夕暮れどき、あたかも一日出かけていっただけという風情で、男は静かに自宅の敷居をまたぎ、終生愛情深い夫となった。

 そんな実話が新聞か雑誌に載っていたのを読んだホーソーンが、ウェイクフィールドの心情を想像する小説。

 蒸発して二十年日のある晩、ウェイクフィールドはいつものように、いまだ自宅と呼んでいる住居へ向かって散歩に出ている。風の吹きすさぶ秋の晩で、にわか雨がくり返し、舗道を勢いよく打ったと思ったら傘をさす間もなく止んでしまう。家のそばで立ち止まったウェイクフィールドは、二階の居間の窓の向こうに、心地よさげな暖炉が赤くほのかに光り、ちらちらと明滅し、時おりさっと燃え上がるのを認める。天井に、普良なるウェイクフィールド夫人の奇怪な影が浮かぶ。髪覆い、鼻とあご、そして広い腰が不思議な画を作り上げ、さらにそれが、ちろちろ燃え上がってはまた沈んでゆく炎に合わせて、初老の未亡人の影にしてはいささか陽気にすぎるほど陽気に踊る。その瞬間、たまたまにわか雨が降ってきて、無作法な強風がそれをもろにウェイクフィールドの顔と胸に叩きつける。体の芯まで、秋の冷気が染み込んでくる。自分はここでこうして、濡れてぷるぷる震える身で立っているのであろうか、我が家の暖炉は彼を暖めてくれるべくあかあかと燃えているというのに、我が妻はいそいそとグレーの部屋者を下着一式も添えて出してきてくれる ー きっとそれは二人の寝室のクローゼットにきちんとしまってあるはずだ ー というのに? まさか! ウェイクフィールドはそんな愚か者ではない。彼は玄関の階段をのぼっていく ー その足取りは重い、なぜなら二十年の歳月によって、この前ここを降りて以来脚は相当に硬くなっているから、だが本人はそれを知らない。待て、ウェイクフィールド! 君は行こうというのか、君に残された唯一の家庭に? ならばいっそ墓に入るがよい! 扉が開く。彼がなかに入っていく瞬間、我々はその顔の最後の一瞥を得る、そしてそこに、長年妻を犠牲にして演じてきたささやかな冗談の前兆となった、あの狡猾そうな笑みを我々は認める。哀れな妻を、彼は何と無慈悲にからかったことか! ウェイクフィールドに一夜の安眠を!
 この幸福な出来事 ー だと仮定しての話であるが ー は、何ら前もって案を練っていない瞬間にしか起こり得なかったであろう。我等が友を敷居の向こうまで追っていくのは控えよう。もう十分、考えるべき糧を我々に与えてくれたのだから。その一部がかならずや叡智をもたらして教前に結晶し、寓意として形をなすことだろう。この神秘なる世界の、見かけの混乱のなかにあって、人間一人ひとりは一個の体系にきわめて精緻に組み込まれ、体系同士もたがいに、さらには大きな全体に組み込まれている。それゆえ、一瞬少しでも脇にそれるなら、人は己の場を永久に失う恐ろしい危険に身をさらすことになる。ウェイクフィールドのように、いわば宇宙の追放者になってしまうかもしれぬのである。

N・ホーソーン/E・ベルティ『ウェイクフィールド / ウェイクフィールドの妻』柴田元幸/青木健史(訳), 新潮社, 19-21頁 


現実から滑り落ちて戻れなくなる感覚

 上の引用は小説の最後にあたる部分なのだけど、ホーソーンがこの奇妙な事件について、誰もが「いわば宇宙の追放者になってしまうかもしれぬ」とまとめているところにグッとくる。それはまるでゲームにおける壁抜けバグのようなことが現実世界でも起こり得るという発想に近く、わたしたちはある日突然、普通の生活からすべり落ち、なぜか戻れなくなる事態に陥らないとも限らないという話が示唆されている。

 もちろん、そんな風に言うと頭がおかしい感じがするけど、例えば、うつ病だったり適応障害だったり、急にどうしようもなくなることを想起するとしたら、割合、受け入れやすくなるのではなかろうか。

 以前、フランツ・カフカの『変身』について、引きこもりや介護の話として読めるという解釈をまとめた。

 ウェイクフィールドもまた、そういう話として解釈可能で、1835年に書かれたことを考慮すれば、元祖・不条理小説と言っても過言ではない。そして、現代小説は多かれ少なかれ不条理をテーマにしがちなわけなので、ホーソーン『ウェイクフィールド』を改めて読んでもわたしたちは素直に楽しめる。かつ、考えさせられてしまう。

 かつ、これが好きな人は間違いなくメルヴィル『バートルビー』も好きであるに違いない。


☆メルヴィル『バートルビー』

ハーマン・メルヴィルってどんな人?

ハーマン・メルヴィル
米・1819-1891

 ニューヨークの裕福な食料輸入店の子どもとして育つも、親の商売が傾き、夜逃げを余儀なくされる。

 二十歳の頃、捕鯨船の仕事をせざる得なくなり、あまりのしんどさに脱走、先住民と一緒に暮らすも、イギリス領事館に捕まり、また脱走。ハワイまで逃げ、アメリカ海軍の水兵に採用され、無事、帰国する。

 その間、実家の景気が良くなっていて、波瀾万丈な経験を小説にする余裕ができる。これがアメリカを代表する小説『白鯨』であり、ホーソーンに気に入られる。が、『白鯨』は生前評価されなかった。

『白鯨』あらすじ
義足の船長エイハブが自らの足を喰った白鯨モビィ・ディックを執拗に追いかけ、命も顧みず荒波を進み続ける話。ひたすら暗く、旧約聖書からの引用が多く、鯨に関する豆知識で脱線しまくることが特徴的。

 メルヴィルが『白鯨』発表の2年後、33歳で雑誌に寄稿した奇妙な小説が『バートルビー』(1853)だった。


『バートルビー』あらすじ

 忙しい法律事務所が清書係としてバートルビーという青年を雇う。物静かだけど淡々と仕事をこなすので、最初は好印象だったが、あるとき所長が書類のチェックを頼んだところ、I would prefer not to(しないほうがいいのですが)と答えるだけで、頼んだことをしてくれず、みんな困ってしまう。

「バートルビー」と私は言った。「ジンジャー・ナットは外出中だ。郵便局までちょっと行ってきてくれるね?(郵便局は徒歩でほんの三分のところにあったのだ)私宛のものが何か届いていないか見てきてくれないか?」
「しないほうがいいのですが。」
「したくないのか?」
「しないほうがいいのです。」
 私はよろよろと机に戻り、そこに腰掛けて深々と思案した。私の前日的な執念深さが戻ってきた。細身で無一文のこの輩 ー 私の雇っている事務員 ー にやりこめられて面日を失うために、他にどのようなことができるだろう? 完全に道理にかなっていながら、彼ならば明らかに拒否するだろうことが、何か他にないだろうか?
「バートルビー」
 返答はなかった。
「バートルビー」と、もう少し大きな声で呼んでみた。
 返答はなかった。
「バートルビー」と私は吼えた。
 正真正銘の亡霊のように、魔術を用いた召喚の法にしたがって、三回めの呼び出しで、彼が隠れ家の入口に表を現した。
「隣の部屋に行って、ニッパーズにここに来るように言ってくれ。」
「しないほうがいいのです」と彼は丁座にゆっくりと言い、おとなしく姿を満した。

ジョルジョ・アガンベン/メルヴィル「バートルビー―偶然性について[附]ハーマン・メルヴィル『バートルビー』」高桑和巳(訳), 月曜社, 116-117頁

 以降、なにを話しかけてもI would prefer not toを繰り返し、帰ることを拒否し、一切の仕事をしなくなり、クビにしても受け入れず、事務所から出ていこうとしないのだった。結局、法律事務所の方が根負けし、バートルビーを置いて引っ越してしまう。

 その後、そのビルに他の会社が入居しても、バートルビーは居座り続け、ついには刑務所に収監されてしまう。刑務所でもあらゆる要求にI would prefer not toで返し、与えられた食事を食べることを拒否したままバートルビーは死んでしまう。


I would prefer not toについて

 アメリカ文学研究者・翻訳家の柴田元幸がアルクのウェブコラムで『バートルビー』の"I would prefer not to"がどのようなニュアンスの英文であるか解説している。

“I would prefer not to.” または単に “I prefer not to.” というのは、丁寧なようでいてむしろ拒絶感がしっかり伝わってくる断り方である。文脈にもよるだろうが、“I prefer not to say anything.” は「発言は控えさせていただきます」という感じだし、“I prefer not to know.” といえば、そういう不愉快なことは知りたくない、という気持ちが伝わってくる。管理職の人は部下にこう言われたら、どういう気がするだろうか。君これやってくれ、と頼んで “I don’t want to do it.” などと答えが返ってきたら「ふざけるな」と言い返せるだろうが、“I would prefer not to.” と言われると、なんだかとりつく島がなさそうである。「やりたくありません」ではなく「やらない方が好ましいのです」。そしてこのバートルビーの雇用主は、バートルビーにまさにこう言われて何ともとりつく島がなく、バートルビーがなぜ仕事を拒絶するのか頭を抱え、今日に至るまで読者も一緒になって頭を抱えてきた。

柴田元幸「英米文学この一句“I would prefer not to.”」ENGLISH JOURNAL


I would prefer not toのTシャツ

 ちなみにスロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは"I would prefer not to"のTシャツをよく着ている。なんでも、このフレーズの肝は「〇〇しない方が好ましい」であって、「〇〇したくない」ではないことにあるという。

 〇〇が否定されているわけではなく、非〇〇が肯定されている。「あなたは死者ではない」と言ったとき、この文は死者を否定し、「あなたは生きている」という意味になる。一方、「あなたはアンデッド(非死者)だ」になると意味が少し変わってくる。ゾンビやモンスターのことを指している。

 この肯定と否定の間にこそ、精神の領域があり、素晴らしき両義性の世界が広がっているとジジェクはバートルビーからインスピレーションを得たと語っている。

 いずれにせよ、"I would prefer not to"はポップカルチャーのアイコンになり得るようなフレーズと言えるだろう。なんとなくZ世代以降の若者たちにウケる気がする。与えられた仕事をそのままやるのではなく、半身の距離感でこなしたいというか、ライフワークバランスを考えるというか、もっと効率のいい生き方があるんなじゃないかと模索し、身動きが取れなくなってしまうというか、踏ん切りがつかない感じを表現するのにピッタリな言葉だと思う。この小説が1853年に書かれているって、なんだか不思議。

 といわけで、以上、変な小説といえばホーソーン『ウェイクフィールド』とメルヴィル『バートルビー』が別格で面白い! 短いし、考えさせられるし、とりあえず読むべし! なのであります。




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