【映画感想文】2歳娘に義理の父親が虐待疑惑? それ、絶対やってるよ! とニュース見て思っちゃうよね……。冤罪だったのに容疑者を犯人と決めつけ報道してしまったメディア自身による反省ドキュメンタリーに自分自身も反省させられる - 『揺さぶられる正義』監督:上田大輔
ある時期、異様に増えていたSBS(乳幼児揺さぶられ症候群)による児童虐待疑いの逮捕。その後、医学的根拠が信用できないとされ、異例の無罪判決が相次いだ。
そんな冤罪の被害者たちを犯人と決めつけ報道してしまったメディア自身による反省ドキュメンタリーが『揺さぶられる正義』で、カンテレが制作している。
監督を務めた上田大輔さんはもともと関西テレビに企業内弁護士として就職した人物。本当は刑事事件に特化した弁護士を目指していたが、有罪率99.8%の壁に絶望したという。
刑事事件は苦行のような仕事に思えた。とにかく有罪ありきの刑事裁判。無罪を争う労力は甚大なのに、結果は出ない。おまけに全くと言っていいほど儲からない。時には無実を訴えていた依頼人から「嘘ついてました」と裏切られることもある。私には、刑事弁護をやっていくタフさが無いと思った。
しかし、報道機関の中で働いているうち、刑事司法の違和感がより強く感じられるようになっていく。人事に掛け合い、弁護士資格を有しているにもかかわらず現場の記者になりたいと申し出た。そして、2016年に念願の記者デビュー。このとき、担当するようになったのが「揺さぶられっ子症候群」をめぐる一連の事件だった。
揺さぶられっ子症候群。ニュースなどでは耳にするけれど、その実態はけっこう複雑。
1970年代初頭、アメリカで目立った外傷のない乳幼児に硬膜下血腫が見つかる症例が報告された。その原因として、乳幼児の上半身が激しく揺さぶられることで頭部に強い回転性の外力が加わり、脳内に損傷が生じるという仮説が立てられ、揺さぶられっ子症候群と呼ばれるようになった。
その後、アメリカでは揺さぶられっ子症候群が児童虐待の結果と見做されるようになった。背景として、アメリカでは叩くなどの直接的な体罰が文化的に忌避されるため、親は子どもを叱るとき、肩を掴んで揺さぶりながら恫喝するスタイルを取りやすい。それもぶっちゃけ暴力じゃね? と思うけど、そこは文化的な差異があるのだろう。
仮説として広まった揺さぶられっ子症候群。でも、硬膜下血腫・脳浮腫・眼底出血の3兆候がそろえば揺さぶられっ子症候群として診断可能というSBS理論(Shaken Baby Syndrome)が普及するにつれ、児童虐待を防ぐための手段として活用され始める。
日本でも2000年代後半からSBS理論が広がりを見せ、厚生労働省の「子ども虐待対応の手引き」(2013年度改訂)には「家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷機転不明で硬膜下血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」と記載された。つまり、小児科医はSBS理論に基づいて虐待を疑うことがマニュアル化されたのだ。
そのため、2010年代に医師が揺さぶられっ子症候群と診断したことを根拠に児童虐待が疑われ、保護者が逮捕・起訴される事件が急増するようになる。こうして見過ごされてきた児童虐待が可視化されるようになってよかったねというのが当時の雰囲気だった。
2010年には大阪2児餓死事件筆頭に悲惨な児童虐待事件が多く報道されていた。少子化が問題と言われている中、生まれてきた子どもたちがそんな目に遭っていいはずはないというコンセンサスのもと、その対策は喫緊の課題となっていた。
おそらく、監督の上田大輔さんもはじめはそんな程度の認識だったはず。自分は子どもを虐待しないし、虐待親は許せないという態度でニュースを見ていた人がほとんどだろう。
しかし、2017年4月に参加した研究会で、「Winny事件」の逆転無罪で有名な秋田真志弁護士が揺さぶられっ子症候群について話した内容を聞き、上田さんは衝撃を受ける。
SBSの逮捕起訴の決め手となっている医学鑑定に根拠がなく、冤罪が量産されているのではないかというのである。ちょうど乳児の育児中だった私は背筋が凍る思いがした。
子どもが倒れ、診察した医師が揺さぶられっ子症候群と診察し、虐待の疑いありと通報したら親は親は逮捕されてしまう。乳幼児である子どもが喋られるはずもないので問答無用で施設に保護される場合もある。または子どもが亡くなった場合、親は殺人犯に疑われるわけで、もし、虐待をしていなかったとしたら悲しみに悲しみが重ねられてしまう。それなのに逮捕起訴の決め手となっている医学鑑定に根拠がないとは!
これがきっかけで上田さんは揺さぶられっ子症候群の取材をスタートさせた。すると3兆候による診断について見直しの議論が海外で起きていることがわかってきた。具体的には、スウェーデンの政府機関が2016年にSBS診断は科学的根拠が不十分であるという報告書を公表していた。
SBSの揺さぶりは1秒間に3往復。「そこまで激しい揺さぶりをする親がそんなにいるのだろうか」。自身も幼い子どもを育てる上田は違和感を覚えた。
調査を進めていくと、実は日本国内に限った場合、家庭内の事故でも硬膜下血腫や眼底出血が生じるという報告例が存在したと判明する。
1965年に脳神経外科医…中村紀夫医師が、乳幼児の場合、つかまり立ちからの転倒など一見軽微な事故でも硬膜下血腫や眼底出血が生じる例があり、死亡例もあったと報告。これは「中村Ⅰ型」と呼ばれている。1984年には、脳神経外科の青木信彦医師らも「中村Ⅰ型」の症例26例を紹介、その特徴を報告した。ところが、アメリカの小児科医学会からは虐待の可能性を考慮していないと批判され、日本の小児科医らは、SBS普及にあたって「中村Ⅰ型」に否定的な立場を採った。「医師診断ガイド」や「子ども虐待の手引き」はそうした立場を前提にしている。
どうやら思想的な対立があるようなのだ。さらに上田さんが厚生労働省に確認したところ、児童虐待に関するマニュアルで揺さぶられっ子症候群を重視しているのは、ある医師が2011年に作成した「子ども虐待対応・医学診断ガイド」を根拠にしていることがわかった。
そして、ドキュメンタリーとしては先の逆転無罪で有名な秋田弁護士がSBS検証プロジェクトを立ち上げ、裁判で証拠として提出されている医師の診断に誤りがあるんじゃないか? という指摘を重ねていく。驚くべきはその研究会に例の「子ども虐待対応・医学診断ガイド」を作成した医師が参加したこと。
否定する弁護士と否定される医師。表情こそにこやかだけど、明らかにバチバチとした空気でぶつかり合っていた。
カメラマンを連れてきていなかった監督の上田さんは突然のことに驚きつつ、小型のデジカメでその様子を撮影した。研究会終了後、その医師に近づき、インタビューの申し込みを行う。
後日、その医師が働く病院へ向かう。事前に彼が翻訳した虐待医学の教科書を徹底的に読み込んだという。知らないから教えてほしいという態度ではなく、ちゃんと勉強した上で相手の真意を探ろうという記者としての覚悟が垣間見えた。結果、決定的な発言を引き出すことに成功していた。
「極論で言ったとしたら、冤罪をゼロにするために多少児童虐待の事例が混ざってもかまわないという方向で考えるのか、それとも、児童虐待を見逃さないために、ものすごい低い確率で冤罪が入ったとしても仕方ないよねって考えるのか。極力中立でいようと思うけど、僕はあくまで小児科医だから、最終的に何を取るかと言ったら子どもを取りますよ」
刑事裁判の大原則は「疑わしきは罰せず」である。「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」という格言もあるように無実の人間を罰するようなことがあっては絶対にならない。というのが司法の建前である。痴漢冤罪をテーマにした映画『それでもボクはやってない』の冒頭にも示されていた言葉だ。
ところが医師としてはそうじゃない。自分で言葉を発することができなかったり、死んでしまった子どもたちの無念を晴らすことができるのは診断に当たった医師だけである。だとしたら、そういう子どもたちのためになにができるのかって考えるのは至極真っ当だ。疑いが少しでもあるなら、代弁するのが筋である。
この対立軸に気がついたことで、揺さぶられっ子症候群について、上田監督は「ふたつの正義」というドキュメンタリー番組を制作。テレビで放送され、評判を呼んだ。
なお、この医師の診断には誤りが見つかり(本人はオーバーな診断をしてしまったと言っている)、証拠として信用できないとして、この医師が検察側の証言で参加した裁判で被告人は無罪を言い渡されることになる。弁護にあたっていたのはBSB検証プロジェクトの面々。このあたりから揺さぶられっ子症候群で逮捕・起訴された人たちの無罪が相次いでいく。
そうなってみると医師に問題があったかのように思えてしまうけれど、ことはそう単純じゃない。というのも、1人の医師の意見によって、有罪か無罪か決まってしまうような裁判構造の方に問題があるのは明らかだからだ。無論、映画はわかりやすく説明されているので、実際にはもっと複雑な事情があるのだろう。それでも専門家の証言を得るにあたって、特定の医師が重宝されている様子はあまりにもイビツだった。判決文も医師のコメントをつまみ食いし、医師が言っている通りなら児童虐待であるという風に責任を転嫁しているようだった。
医師はあくまで医師の立場から自分の思ったことを証言するしかない。もし、そこに(冤罪だったらヤバいよなぁ……踏み込むのはやめておこうかなぁ……)と躊躇が挟まってしまったら、わけがわからなくなってしまう。
だとしたら司法と医療で「ふたつの正義」がぶつかり合っているというニュアンスは語弊があるように感じられてくる。司法が専門家に丸投げするのではなく、ちゃんと向き合う必要があるんじゃなかろうか。実際、監督の上田さんが調べただけでもSBSは海外で見直しの動きが広がっているとすぐにわかったんだもの。それをせず、「専門家が言っているので」と冤罪を作り出していたんじゃどうしようもない。
映画の中でその医師に検察から依頼電話がかかってくるシーンがあった。すごく軽いノリで応対していた。いつものことなのだろう。話を聞いただけで「たしかに〇〇っぽいね」と事前に求められている症状を想定していることが映し出されていた。誰かの人生を左右するかもしれないというのに、そんな個人レベルの電話でものごとが進んでいいのだろうか? まるで便利屋さんがお願いを受けているような雰囲気だった。そりゃ、融通の効く特定の医師にばかり依頼が集中するわけだと納得がいった。ゆえにバイアスも強化されてしまうんだろうなぁ、と。
さて、上田監督はそんな風に揺さぶられっ子症候群の事件が無罪判決を獲得する様子を撮影していくわけなのだけど、その過程で事件当事者から耳の痛いことを言われていた。
撮影取材をお願いする相手は、私たちが逮捕の時に実名・顔出しで報じた相手だった。「家庭内で起きた事故なのに、なぜ実名で報じる必要があるのですか?」真っ先にぶつけられるのは逮捕報道への不満だった。
私は、真面目に逮捕報道の意義を説明していた。「記者クラブに所属する新聞・テレビ(マスメディア)は、逮捕された容疑者を実名で報じるのが原則なんです。捜査機関が身体拘束という権力を行使しているのですから、権力を監視するためにも誰が逮捕されたか実名で報じるのを基本としています。報道で家族や知人が逮捕を知り、すぐに支援に駆けつけることも可能になることもありえます」。こんな説明をしたと思う。
でも、少しも納得は得られない。最後にはこう問い詰められる。
「私は取材されていない。警察情報だけのニュースだと誰もが私が犯人だと思いますよね?」
言葉に窮し、上田監督は逮捕報道のあり方を検証取材すると答えた。すぐにはどうすることもできなかったが、この映画でそれに挑み始める。
ここにきて司法と医療に加え、マスコミの正義が問われるようになり、ドキュメンタリーとしてこれまでに見たことのない領域へと達する。外に向けていたカメラが自分自身へと向かうとき、監督である上田さん自体が被写体として不可欠な存在になっていく。上田さん自身の正義が批評の対象になるわけで、それは同時に、そういうマスコミの流した報道を鵜呑みにしてきた観客であるわたしたち自身の批評につながる。
間違いなく、『揺さぶられる正義』は日本で暮らし、マスコミの影響下に好むと好まざるとにかかわらず生きていかなきゃいけないすべての人にとって必見の一本だった。
考えてみれば、わたしたちは毎日のよういくつものニュースに接しているわけだけど、そのニュースを作成している人たちの顔をほとんど知らない。SNSで流れてくる記事の一部を目にするか、アナウンサーが原稿を読み上げているところを見ているだけで、誰がどのような意図を持って、そのニュースを作っているのか知らないというのはヤバいんじゃなかろうか? 勝手に記者は取材をするのが仕事だと思っていたのに、実は警察発表や公式リリースをコピペしているだけかもしれず、そこに信ぴょう性を足すため、それっぽい映像や写真を足しているとなったら、マスコミのレーゾンデートルそのものが疑わしくなってくる。
上田さんはマスコミの仕事とはなんなのか、記者の仕事とはなんなのか、真正面から向き合っていた。ニュース番組で自分が取材した映像を放送するとき、実名・顔出しで出演し、どういう意図で作成したVTRなのか語るようになった。揺さぶられっ子症候群から児童虐待を疑われた女性の無罪判決を報じた際、キャスターなら「上告の可能性は?」と聞かれたとき、通常は「上告されるか注目されます」と無難に締めくくるけれど、そうしなかった。
「こうした方をこのまま被告の立場に置き続けることが検察の正義てますか、と私は問いかけたいと思います」。私なりに踏み込んだ。報道局内での評価は良くはなかったが、山内さん(被告)とご家族には「嬉しかった」と言ってもらえた。
上田さんの過去の作品を見てみたくなって、パンフレットに載っているものを調べたところ、どれも視聴済みだった。YouTubeのおすすめで流れてきて、タイトルに惹かれて見たのだけど、ともに骨太で強烈な印象が残ったことをよく覚えている。
ひとつは退官直前に無罪を連発していた裁判官についてのドキュメンタリー『逆転裁判官の真意』である。普通だったら素晴らしい裁判官として取り上げたくなるところだけど、弁護士資格を有する記者として、有罪だったんじゃないか? と思われるのに無罪を出しているのはなぜか、公平に迫っているのが素晴らしかった。
もうひとつは発達障害に理解がなかった時代、逮捕された少年に対する偏見を減らすべく、記者に情報を流したところ逮捕されてしまった医師にフォーカスを当てたドキュメンタリー『さまよう信念 情報源は見殺しにされた』だ。法的には間違ったことをしていても、いま、わたしたちはその行動を正しいと感じられる。だとしたら、法的に間違っているとはどういう意味があるのだろう? と根源的な問いを投げかけられる作品だった。
なるほど、これらを作った人の映画だったのかと後にしてわかった。納得しかなかった。
こういう人がテレビで報道をやってくれているのであれば、まだ、なんとかなるのかもしれない。そんな安心感に包まれた。
マシュマロやっています。
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