断章ーDANSYOー 「人生における自己責任について、親の教育に思うこと」
「成人したら、自分の人生は自分の責任だ」。これは、よく言われる言葉である。私は、この考え方そのものは、基本的に正しいと思っている。
もちろん、人間の人生には本人の力ではどうにもならないことがある。生まれた家庭、経済状況、病気、事故、社会制度、時代状況など、すべてを個人の責任に帰することはできない。だから、ここでいう「自己責任」とは、不幸になった者はすべて本人が悪い、という意味ではない。
そうではなく、自分の人生について最終的に判断し、選択し、その結果を引き受けながら生きていく主体は自分自身である、という意味である。
問題は、この原則をいつ知るべきか、ということだ。
私は、成人してからでは遅いと思う。少なくとも成人前、できれば義務教育のうちに、一度は教えられていなければならない。なぜなら、「自分の人生は、自分で引き受けなければならない」ということは、必ずしも子どもが自然に気づくようなことではないからである。
学校の先生や友人、職場の上司、あるいは社会の誰かが、いつか親切に教えてくれるだろうと期待するべきでもない。だからこそ、最低でも一度は、親の口から伝えられなければならない。
「私たちは、あなたの人生を代わりに生きることはできない。最後には、自分で考え、自分で決め、自分で生きていかなければならない」。そう伝えることは、親が子に与えることのできる、かなり重要な教育ではないだろうか。
極端に言えば、これをきちんと伝えることができれば、親としての務めの半分くらいは果たした、と私は思う。
ただし、ここで決定的に間違えてはいけないことがある。それは、この教育を始める時期である。成人した子どもに向かって、突然、「もう大人なのだから、自分の人生は自分の責任だ」と言い始めても、それは教育とは呼びにくい。
むしろ、それまで親が行ってきた教育の結果を、子ども自身に押しつけているだけになりかねない。
とりわけ考えさせられるのは、幼いころには何でも親がやってやり、欲しいものを与え、失敗を先回りして防ぎ、自分で判断する機会を十分に与えなかったにもかかわらず、子どもが成人するころになって、「このままではいけない」と気づく親である。
そこで急に厳しくなり、ガミガミと小言を言い始める。「もっとしっかりしろ」、「自分で考えろ」、「世の中は甘くない」、「もう大人なのだから自己責任だ」。
しかし、これは順序が逆ではないだろうか。自立は、成人の日を境に突然始まるものではない。十八歳になった瞬間に、それまで親に依存していた人間が、完全な自己決定能力を獲得するわけではないのである。
自立とは、成人するまでの長い年月をかけて少しずつ練習するものだ。自分で選ばせる。失敗させる。その結果をある程度引き受けさせる。困ったときには助けるが、すぐには答えを与えない。
そして、自分の人生について考える習慣をつけさせる。そうした小さな積み重ねの先に、「自分の人生は、自分の責任である」という成人後の原則がある。だから、本当の意味での自己責任教育とは、成人した子どもを突き放すことではない。成人する前に、自分の人生を自分で扱えるように準備させておくことである。
そして成人したあとには、むしろ親は教育する側から少しずつ退かなければならない。助言を求められれば助言する。困っていれば可能な範囲で助ける。しかし、本人の人生を親が修正しようとはしない。自己責任という言葉は、成人した子どもを責めるための言葉ではない。本来は、その子が成人するずっと以前に、親から手渡しておくべき言葉なのである。
そしておそらく、親の教育の一つの到達点とは、「もう親に言われなくても、自分の人生について自分で考える」人間を育てることなのだと思う。
