金曜日の知らんけど_ダラダラ
ヤスシさん主催の「放課後ライティング倶楽部」で幽霊部員の私が、ここのところの金曜日、何度となく倶楽部纏わりの記事を書いている。
私は、企画ものが大の苦手で。四苦八苦なのであるが。
さて。今回のお題は……。

いつものごとく、勝手気ままに、いい加減なことを書くが。
私は休みの日は、ダラダラしているに決まっている。
休みって、ダラダラするためにあると、そもそも思っている。
休み、なのだから。
ところが、だいたいの人っていうのは、平日に出来ないことを休みの日にやりきって成果物を産むタスクとして働かせようとしてしまう。
だから、休みの日にその取り戻しタスクが成果を生まないことに、苛立ちを覚える。
休み。ダラダラ。
この、ダラダラという言葉。響きも意味も、罪悪感や背徳感に塗れている。
そもそも、そういう名付け、定義がいけない。
休みでない日に出来ないことが、休みの日に出来るわけがない。
最近、そう、思うようにしている。
だから休日は、ダラダラするのだ。休日は、ダラダラするためにこそ、あるのだ。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジ、でもさぁ、残りの人生も少なくなってきて。このまんまで良いの?本当に…。
なんだか、聞いてはいけない声を聞いてしまった。
そうなのだ。焦燥感がある。
なんとなく、焦らされる。
いやいやいや。
私は、休日は、ダラダラする。ダラダラしたいのである。
なぜならば、休日にダラダラするために、平日、まずまずダラダラしていないのだから。
さて。ヤスシさんの記事に書いてあることをバッサリ私流に要約するとこのようなことが書いてある。
休みの日って、ダラダラしているように見えて、何ものかを取り戻しているし、それが何ものかを新たに生み出す、と。
なんだか、私の言わんとしていることと似ているような気がするけれど。それはきっと、思い過ごしだろう。
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内に語ろうとして後ろを振り向くと、空のソファーが、静かに笑っていた。
今日は家内は、あるプロジェクトで、大阪に宿泊出張なのである。
シーンとした部屋の空気に、なんだか、心が追いつかない。
今宵は、マッサー(注1)は、無い。
夕方のやりとりからすると、家内は、元気なようである。
家内が元気だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。

知らんけど。
(注1)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。

