◆66週ライラン◆vol. 12. あの頃の私が信じていたこと
※火曜日の記事は、ヤスシさんの、66週ライランのお題に基づいて書いております。
今回のお題は、「12. あの頃の私が信じていたこと」である。
嬉し泣きって、昔、信じていなかった。
逆を言うと、嬉しいときに自分が泣くなんてこと、あるわけがないと信じていた。
昔から悪ガキだったので、叱られることしかなかった。褒められたりするようなこともなかったし。何か幸運が訪れるなんてことは、そもそも期待していなかった。
いつも逃げ足だけは整えて。叱られそうになったら脱兎のごとく逃げる。逃げおおせず捕まった時には覚悟を決めて。我慢して歯を食いしばって耐えて。ひたすら時が過ぎるのを待つ。
きっと、ずっと私の眉間には、日本海溝よりも深い溝が刻まれていたに違いない。
何か嬉しいことがあったりすると、それこそ奇跡である。
笑うに決まっている。
まるでいつもは全く歯が立たない正義の味方をやりこめた時の悪者の高笑いみたいに、ただ、笑った。心の底から笑った。
そんなことは、ほぼ、無かったけれど。
ところがいつの頃からか、涙腺が弱くなってきた。
ついつい、辛いと視界が滲んできたりする。
そしてあろうことか、何か思いも寄らないような嬉しさや楽しさが押し寄せてくると、目頭が熱くなってきたりするのだ。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
悪ガキは、歳をとると情けないな。
そうだ。悪ガキのくせにみっともない。かっこ悪い。不甲斐ない。
更に年を経て。
今や、ドラマの最終回どころか、ちょっとした山場でハンカチが放せない。
嬉し涙は、今では当然のごとく流す。時に、嗚咽するようなこともある。
子供の時に信じていたことは、ある場合においては、自らからさえも、まるっきり裏切られるものなのである。
良くも。悪くも。
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内と語らおうとしてソファーに目をやると、家内が脚を指さしてニッコリと笑っていた。
「コジくん、マッサー(注1)して、私が上機嫌になって我が家が平和になれば、嬉しいよ。泣くよ」
「…」
マッサージをすると、家内は上機嫌である。
家内が上機嫌だと、我が家は平和である。
だから。
これで、いいのだ。

(注1)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。
(注2)さっちゃんとは、家内のことである。我が家の実質の最高権力者なので、別名、女王陛下という呼び名もある。


