火曜日の知らんけど_魅力
ヤスシさん主催の「放課後ライティング倶楽部」で幽霊部員の私が、ここのところの金曜日、何度となく倶楽部纏わりの記事を書いている。
私は、企画ものが大の苦手で。四苦八苦なのであるが。
さて。今回のお題は……。

いつものごとく、勝手気ままに、いい加減なことを書くが。
だいたい読まれる文章を書いていない私が、どうしたら読まれる文章を書けるかなんて問いに、返事が書けるわけがない。
だが、何か書こう。
あの人より私の方が良い文章っぽいのに、どうしてあの人の方が、読まれるのだろう?
そんなこと思うなんて、だいぶ烏滸がましいと思うのだが、間違っているだろうか?
そもそも、文章なり話が面白いというのは、それを読む人が決めるものであって、私ではない。
実際、面白い文章、話というのは、この世にある。そういうものを紡ぎ出せる、一種の才能だと思う。
それと。見る角度。
ここまでで、ほぼ八割。あとは、努力なのかもしれない。積み重ねとか経験と言われるところと。推敲というような詰め方。
翻って、自分自身のことを考える。
私は、曲がりなりにも営業マンで。人に、商品の良さを説き、商売を成立させる。
その手腕について、毎日、毎時、自省することになる。
いかにライスワークとは言え、少しでも成立確率を上げないと、つまらないものがさらにつまらなくなる。
営業的には、「お客様のお困りごとを解決する」というのが成果をあげるコツなのだそうだ。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジ、で、コジのその能力はいかほど?
うむ。きかほどでもない。真剣に。
そう考えると、立派な営業マンですらない。
まして…。
人に面白いと思ってもらう文章。そして、もう一度手に取ってあの人の文章を読んでみたいと欲する文章というのは、営業で言うところの「ソリューション」というものには収まり切らない、“魅力”なのだろうと思うのである。
さて。ヤスシさんの記事に書いてあることをバッサリ私流に要約するとこのようなことが書いてある。
どうして読まれないんだ!と考える前に、読まれる人はどうしたら読まれるのだろうを掘り下げよう、と。
なんだか、私の言わんとしていることと似ているような気がするけれど。それはきっと、思い過ごしだろう。
また今日も、質問に対する答えになっていないじゃないかっ!…。
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内と語らおうとしてソファーに目をやると、家内が脚を指さしてニッコリと笑っていた。
「コジくん、マッサー(注1)したら…まあ、人にはなれるよ。一応」
「…」
マッサージをすると、家内は、上機嫌である。
家内が上機嫌だと、我が家は平和である。
だから。
これで、いいのだ。

知らんけど。
(注1)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。

