ニッポン世界一周大飛行完成記念制作
昭和十四年(一九三九年)、毎日新聞社は国産双発機「ニッポン号」(海軍九六式陸上攻撃機改造型)による世界一周飛行を実施した。八月二十六日に羽田を出発し、太平洋・大西洋を横断、四大陸・二大洋を連続周航し、十月二十日に帰還したこの飛行は、日本の民間航空史における画期的事業であった。
飛行完成を記念して制作された「ニッポン世界一周大飛行完成記念」碑は、地球儀上を飛翔する双発機を頂部に据えた立体構成をとり、側面には「皇紀二千五百九十九年十月二十日」と刻されている。同碑は戦後の社屋移転時に破損し、平成元年に復元されたことが毎日新聞社の説明板に記されている。
当社には、戦前期の商品アルバムに本記念塔の写真が収録されているほか、「献上品」「ニッポン世界一周大飛行完成記念」「紀元二千五百九十九年」と記した札を付す銀製模型の額装された写真が現存していた。商品アルバムは自社制作案件を記録した内部資料であり、本記念制作が当社事業の一環として扱われていたことを示す有力な証左となる。



製作の主体については公的記録に明示はないものの、弊社は戦前より毎日新聞社(大阪毎日新聞社)との継続的取引関係があった事実、ならびに社内に残る制作記録写真を総合すれば、本記念制作に当社が関与していたと考えられる。
航空という近代技術の象徴を、恒久的造形物として表現した本件は、戦前期における当社工芸活動の広がりを示す重要事例である。
(2026.3.7 追記)

ニッポンの偉業讃へる
見事な扁額完成
大阪の軍、官から贈られる
わが航空界に世界的偉業を完成した本社ニッポンの中尾機長以下六鳥人の功績を記念するため大阪市、会議所、中防司令部、第四師団、大阪海軍監督官事務所、同人事部が生駒で制作中であった扁額が十四日見事に出来上がった。額は縦一尺五寸、横一尺のもので台は櫔の木、世界一周ニッポンと記した下に洋銀製で快翔中のニッポンの勇姿を浮き彫らせ、さらにその下に蒔絵の世界地図を配した優雅壮大な構想のものである。この扁額は近日各鳥人に対し贈呈されるはず。
その12年前に

これは弊社の「ニッポン号」の写真が貼られていたのとは別の商品参考帳(自社製品を記録したアルバム)にあった飛行機のオブジェ。年代は不詳で「スピリット・オブ・セントルイス号」に似ていても、さすがにリンドバーグと弊社は関係ないだろうと思っていた。
ところが調べる内に、大阪毎日新聞社がスピリット・オブ・セントルイス号と同型機であるライアン社のNYP-2を、自社の高速度連絡機として導入していたことを知る。
リンドバーグの大西洋横断飛行は1927年5月。大阪毎日新聞社は、その直後に同機をライアン社に発注し同年中に輸入したようだ。
大西洋横断と日本国内での飛行では想定飛行距離の関係でタンクの位置とサイズが少し違うので、このオブジェは大阪毎日新聞社が導入した高速度連絡機・ライアンNYP-2であり、その導入記念として弊社が依頼を受けて作成したものと推測される。
表題のニッポン号は昭和14年。ライアンNYP-2の導入は、それより12年も早かったのだ。
【wikipediaより】
リンドバーグの飛行成功を受け、日本の大阪毎日新聞は長距離通信機として、スピリット・オブ・セントルイス号の同型機をライアン社に発注した。NYP-2と名付けられた同型機は、大阪毎日新聞で大毎東日11号(登録番号:J-BACC)として運用された。1928年4月には、羽太文夫の操縦で13時間23分(総飛行距離2,100km)の滞空飛行日本記録を樹立した。大阪毎日新聞では1937年まで通信機として用いたが、その後3座の連絡機に改装された。
複葉機の写真も出てきた


画像検索してみると、「この複葉機は、大正時代から昭和初期にかけて日本で広く運用された「サルムソン 2A2」(乙式一型偵察機)がモデルである可能性が非常に高い」と出た。フランスのサルムソン社が開発した単発複葉複座の偵察、軽爆撃機である。別のAIに投げると、サルムソン 2A2の可能性は低くAvro 504だろう、と言う。
サルムソン 2A2は1919年(大正8年)に29機が輸入され、陸軍がサ式二型偵察機として制式採用、1921年(大正10年)には51機を輸入し乙式一型偵察機と改称した。同時に本機の国産化に着手し、1920年(大正9年)末に国産1号機を完成させた。
アブロ 504(Avro 504)は、1921年(大正10年)にイギリスから招かれたセンピル教育団によって、陸上型の504Lや水上型の504Sなどが持ち込まれ、中島飛行機や愛知時計電機(後の愛知航空機)によってライセンス生産が行われたとある。そして、大阪朝日新聞社・東京朝日新聞社が大正時代、海軍から払い下げられたアブロ 504(海軍称「アブロ式初歩練習機」)を運用、1923年(大正12年)の関東大震災の際には、大阪朝日新聞が所有していたアブロ機が、壊滅した東京へ向けて上空からの状況確認や写真の空輸に活躍したという記録があるようだ。
主翼にある識別番号「818」からは情報を引き出せなかった。大阪毎日新聞社が採用していたらほぼ決まりかと思ったが、でてきたのは大阪朝日新聞社。このオブジェを弊社が作製してどこかに納めたことは間違いなさそうだが、納入先と飛行機の型番は同定できない、とせざるを得ないか。
しかし、複葉機であることからも、先の大阪毎日新聞の大毎東日11号より少し時代を上る可能性はあるかもしれない。
