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「自分らしさ」というバグを解除せよ!



「自分らしさ」というバグを解除せよ。鶴見済氏に学ぶ、アルゴリズムを書き換える「飽き」の哲学。


「私はこういう人間だ」 この一見、確固たる信念に聞こえる言葉が、実はあなたを不自由な檻(Cage)に閉じ込める最悪のプログラムだとしたら?

最近、文筆家の鶴見済氏が上梓した『死ぬまで落ち着かない 六十年生きてみてわかった人生のこと』の内容と、それに伴うNewsPicksのインタビューを読み、強い衝撃を受けました。
あの『完全自殺マニュアル』から30年。60歳を迎えた彼が辿り着いた境地は、私たちが無意識に盲信する「一貫性」や「安定」という美辞麗句の欺瞞を、鮮やかに暴いていました。

特に興味を引かれたのは、彼が50代後半で「ロックに飽きた」という理由からヒップホップにのめり込んだエピソードです。

今回は、この「鶴見流・人生二毛作」の思想を、古代の知恵と現代のシミュレーション仮説の視点からデコード(解読)していこうと思います。


アイドル(偶像)としてのアイデンティティ



私たちは幼い頃から「一貫性」を美徳として教え込まれます。一度決めた夢、長年培ったキャリア、昔からの友人と共通の趣味。それらを大切に守り抜くことが、立派な大人であることの証左だと。

しかし、歴史の事実を遡れば、この「固定されたアイデンティティ」は、近代以降に形成された極めてローカルなルールに過ぎません。

古代、あるいは未開の地では、人生の節目(イニシエーション)ごとに「名前」を捨てる文化が当たり前のように存在しました。
それは単なる呼称の変更ではなく、過去の自分(アルゴリズム)の死と、新しい自分への再起動(リブート)を意味していたのです。

現代人が「自分らしく」あろうとすればするほど、変化を拒み、情報の新陳代謝が止まります。これこそが、私が以前から提唱している「アイデンティティという名の檻」の正体です。


「飽き」はバグではなく、システムアップデートの予兆



鶴見氏がインタビューで語った言葉の中で、最も示唆に富んでいるのが「飽きを最優先する」という姿勢です。

今まで厳選に厳選を重ねたものに匹敵するものは簡単には出てこない。しかし「飽きている」ことを最優先すると、これまでは手を出さなかったことにも目が向いていくと思います。

50代でロックという長年の執着を捨て去る。これは、いわば「脳内OSのカーネル(核)を書き換える」ような行為です。

ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、精神の三様の変化を「ラクダ(忍耐)」から「獅子(否定)」、そして「子供(創造的肯定)」へと変容すると説きました。
鶴見氏がロックを飽きてヒップホップに没入する様は、まさに重い規律(ラクダ)を捨て、遊びの中に自分を放り出す「子供」への変容そのものではないでしょうか?

「飽き」とは、システムの効率化(飽和)の結果です。
AIの学習プロセスで言えば、同じデータセットを回しすぎて精度が頭打ちになる「過学習(Overfitting)」の状態。ここから抜け出すには、ノイズを導入し、全く新しいパラメータを注入するしかありません。
人生における「落ち着かなさ」とは、このシステムアップデートを求める魂の叫びなのです。


「人生2回」を裏付ける、冷徹な統計データ



精神論だけではありません。現在の日本における「時間のリソース」は、古代や数世代前とは比較にならないほど肥大化しています。

厚生労働省が発表した令和5年の簡易生命表によれば、60歳男性の平均余命は約23年、女性は約28年。さらに「健康寿命」後のQOLを考慮しても、60歳からの「第二の人生」は、20代から定年までの現役期間とほぼ同等のボリュームを持っています。

注:平均余命(へいきんよめい)とは、ある年齢の人がその後あと何年生きられるかという期待値のこと。平均寿命(0歳時の期待値)とは異なります。

古代インドの「四住期(アシュラマ)」という社会制度をご存知でしょうか?

  1. 学生期(学び)

  2. 家住期(世俗の義務)

  3. 林住期(社会から離れ、自己を探求する)

  4. 遁世期(すべてを捨てて解脱を目指す)

現代の私たちは、定年後を単なる「余生」として捉えがちですが、鶴見氏の提唱する「2回目の人生」は、まさにこの「林住期」への能動的な移行だと言えます。
ロックに飽き、ヒップホップを聴く。それは、これまでの「社会(ロック的な階層)」から離れ、未知のリズムという「森(林住期)」へ踏み出す行為に他なりません。


シミュレーションとしての「落ちつかなさ」を肯定する



「死ぬまで落ち着かない」 このタイトルには、ある種のエントロピー(秩序から無秩序への増大)への抗いが込められています。

熱力学の第二法則に従えば、すべてのシステムは最終的に静止(熱的死)にいたります。人間で言えば、それは「落ち着いてしまう」こと。つまり、外部刺激に反応せず、変化を止めることです。

もし、この世界が精巧なシミュレーションだとしたら、運営(管理者)がプレイヤー(人間)に最も期待するのは「予想外の行動」ではないでしょうか?

効率や正解、安定を追い求め、予測可能なパターン(ローカルルール)に収束してしまうこと。それこそが、シミュレーション・プレイヤーとしての「敗北」かもしれません。

鶴見氏が60歳にして「キャラを変える」ことを推奨するのは、この管理アルゴリズムから逸脱し、自分という宇宙に新しい変数を呼び込む唯一の手段だからです。


未完のアルゴリズムであれ



鶴見済氏が提示した「人生二毛作」という視点は、これからのAI全盛時代を生きる私たちにとって、最も重要な「生存戦略」になるでしょう。

AIは「過去の最適解」を瞬時に導き出しますが、「未来の飽き」を予測して勝手に方向転換することはできません。
自分が自分に飽きる。そして、落ち着かない心に従って、全く別の風景(ヒップホップの低重音や、未知の土地、新しい人間関係)の中に身を投じる。

その予測不能な「ブレ」の中にこそ、ホモ・サピエンスがAIに代替されない唯一の領域 「自由」 が宿っているのです。

もし今、あなたが何かに飽きを感じ、心がザワついているなら。 それはあなたが老いているのではなく、新しい自分として再起動するための「ローディング画面」なのだと信じてみませんか?

「死ぬまで落ち着かない」こと。 それこそが、この不条理な世界を最後まで楽しみ尽くすための、最高の攻略法(マニュアル)なのではないかな? と私は思いました。


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