夢を固定する
「片付けの魔法」などのベストセラーでお馴染みの、こんまりこと近藤真理恵さん。
海外では、このこんまりメソッドが大人気で、
片付けをする、という意味で
「マリエ・コンドウする」とか
「Kondoing」とかいう動詞にまでなってしまったそうで。
その、名前が動詞になる、ということで言うと、かつて、見た夢を記録することを、
「松枝清顕する」と(自分の中だけで)言っていたことがあったなとふと思い出した。
彼は三島由紀夫の著作「豊饒の海」の主人公の名だ。
彼は、こと細かく夢日記をつけていた。なので、覚えていた夢を書き記す行為を、そう呼んでいた。
逆に絶対使いづらい動詞だけど、自分にしかわからない、暗号じみた言葉に思えて、一時期結構気に入って使っていた。
夢は恐らく、毎日のように見ているはず。
けれど、「見たような感じはするけど覚えていない」とか、そもそも見たことすらわかっていないことだってある。
そこで、枕元に紙とペンを用意しておいて、起きたらすぐ書き記せるようにした。
ところが、なかなかに難しい。
目覚めの頃の、夢との攻防をしばらく観察、実験したりなどして、「どうやったら夢を書き記せるか」を自分なりに調べた。
以下のことは「私の場合はこうだ」ということであって万人に対して同じかどうかは定かではないけれども、参考までに。
・まず、目覚めた時にガバッと起き上がってはいけない。
目が覚めて「あ、こんな夢だった」とかなりしっかりわかっていたはずが、体勢を急激に変えることで、あっさりと消え去ってしまう。
まるでガラス板の上に描いたキレイな砂絵を、あろうことか板を縦に持ち上げてしまって全て失ってしまう、ような感じ。…なので、
・目が覚めて夢を覚えていたら、体勢を変えずに、頭の中で何度も反芻する。
これが1番重要な、夢を固定する作業。
砂絵の上にしっかりフィルムを貼って、崩れないようにする感覚。
そうすれば、ガラス板を動かしても砂絵はキレイなまま。…ところが、
・体を触られたり、声をかけられたりすると、自分は体勢を変えていなくても、砂絵は崩れていく。
外部からの物理的な刺激に対して、夢は大変に脆い。
固定している最中であっても、まるで掴むそばからその指の隙間からこぼれていってしまう感じ。
結局何も残らなくなってしまったりする。嗚呼その悔しさたるや。
・キレイに固定されたところで、そっと起き上がり、すぐさま記録する。
ここでやっと、夢を書き記すことができる。
ここではメモ的にひたすら書きなぐっておいて、後からノート等に詳しく描写することにする。…しかし、ここで注意点が。
・メモは、時間を空けず何度か見返す。
せっかく書いたメモ書きなのに、夜にノートに書こうと見返すと、なんの事やらさっぱりわからない、…ってことがたまにある。
メモから夢を思い出せないのだ。嗚呼こんなにもったいないことはない。
これは時間が空きすぎてしまったことが原因。
…それを防止するためには
・朝食後あたりにもう一度見返す
・できればお昼頃にも見返す
夢も結局は頭の中の映像ではあるけれども、起きたあとまた反芻することで、記憶媒体が、「砂」なのか「ビデオテープ」なのか、ぐらいの違いにはなってくる。
反芻を繰り返すごとに、その記憶(記録?)媒体がより強固なものになっていく感じ。
そうなれば、あとは(頭の中での)再生もお手のもの。あとから頭の中の再生映像を見ながらスラスラとノートに書き記していくことができる。
以上のことは、訓練可能と考えている。
以前に比べればかなり夢の固定は上手くなったのではと思う。
「覆水盆に返らず」ならぬ、「砂絵ガラス板に返らず」で、一度失ってしまった夢は二度と思い出せないけれど、
ノートにまでたどり着いた夢は、読めば映像が蘇る不思議。
今までどれだけの夢を書き記したのだろう、結構な量になっている。
そうなると今度は、夢をタイプ別にわけたりすることも可能だ。
……今回はここまで。
次回は夢のタイプ別の話と、
その夢を使った今後の野望(?)について。
また日を改めて続きを書いていくのでお楽しみに。
