どう死にたい
「循環葬」
という言葉の前で立ちどまった
死んだら森に帰る
人間の骨の主成分
リン酸カルシウム、Ca3(PO4)2
肉体を焼き、骨を粉砕し木々に吸収されてゆく
命がなくなった後の身体の扱い方
鳥に食べさせる
川に流す
風に溶かせる
海に、山に…
たくさんの方法があるのだなと思った
「死」の漢字の語源
身体の横に跪く人間の姿
死ぬ時は1人とよく人はいうけれど
そこには確かにすぐそばに、他の人間がいるのだ
死に方は選べない
生まれてくる親も選べない
他に私たちが選べないものはなんなのだろう。
小さな微細な骨の粒になったら
風に乗ってどこまでも
行きたいところへ行けるのだろうか
死とは肉体を手放す事
大きなものから執着を手放したら
私たちは何を得るのだろう?
死はまだ分からない
ただ、もしかしたら
世紀の変わる遠い遠い昔に
何かの命をあやめたりする
職業のすぐ近くにいたのかな
目に見えない何かと近い感覚があったのかな
そういう実感が
この問いの答えを更新するたびに
強くなっている
「死んだ後どういう風に身体を扱って欲しいですか」
秋の夜長にとてもいい問い
この問いを昔頂けた機会があった事が嬉しい
仕事を得る目的でする自己分析は
意識をしなければとても浅い分析になってしまう
可能性がある
どういうふうに生きたい?と聞かれると
特に深い部分からくる自信がまだ形成されていない段階だと
「良く答えたい」という心理もはたらき
背伸びした風景を言語化しようとする
「どう死にたい?」と問うと
そのインパクトの後に静かな凪がやってくる
鬼滅の刃の猗窩座、はくじさんが
「来年でも再来年でも、花火見に行きましょう」
と言っているシーンのような
きゅんとしてあたたかくて泣きたくなるような
女性性には表せない、男性性特有の優しさのような
なまあたたかく、心地いい
自分と対峙する結界のような場所に行ける
たった1人の人間の心が
大切にしたいこと、無意識に惹かれること
が見えてくる
急に目の前の人が食いしん坊になったら
私の骨の微粉を吸引してしまった可能性がある
いい夜
あなたはどうしにたい
