渾身のサプライズはなぜ「返品」されたのか?大理石のカウンターでの公開処刑
休日の昼下がり。
大理石の床が眩しい、煌びやかなハイブランドのブティックに、私は場違いなほど重い空気で足を踏み入れた。
手には、丁寧にリボンをつけ直した箱が入っている小さな紙袋が一つ。
カウンター越しに目を合わせた瞬間、上品なスーツに身を包んだ店員が、私をあたかも新しい客かのように迎え入れてくれた。
どうやら、ピンときていないようだ。
無理もない。
一日に何十人も相手にしているんだろう。
「あの、この前プレゼント選びを手伝っていただいた…」
私の言葉を遮るように、店員が被してきた。
「あ、先日はありがとうございました!…本日はどのような…?」
彼女は、数日前に私と一緒に真剣にショーケースを覗き込み、プレゼント選びを手伝ってくれたあの店員だった。
パズルが組み合わさった喜びも束の間、私は重い口調で切り出す。
「……本当にすみません。これ、返品とかって、できたりするんでしょうか…?」
私の言葉で、店員の顔に一瞬だけ同情の色が浮かび、すぐさまプロの笑顔で覆い隠された。
「えっ…あ、さようでございますか。返品…あの…少々お待ちいただけますでしょうか」
ただならぬ私の無邪気な要求から逃げるように、彼女はそそくさと、カウンター裏の部屋に入って行った。
完璧なサプライズ計画を完遂したはずの私が、なぜ休日の昼下がりに、ブティックのカウンターでこんな公開処刑のような辱めを受けているのか?
その真相を明らかにするために時計の針を、あの悲劇の夜へと巻き戻してみたい。
独りよがりな自己満足
かつて、私はサプライズ信奉者だった。
しかしある出来事を境に、よほどの確信がない限り、サプライズは滅多に仕掛けなくなった。
例えば、街行く人々が突然踊り出して、自分の誕生日を盛大に祝ってくれるようなサプライズを、本当に望んでいる人は世の中にどれほどいるだろうか?
決して、サプライズが悪いわけではない。
ただ、仕掛ける相手のニーズを読み違えると、サプライズは単なる独りよがりな自己満足に過ぎないという残酷な真理を悟ったのだ。
そのきっかけとなったのが、妻の節目の誕生日に企てた一大プロジェクトだった。
完璧に計画したサプライズ
妻の誕生日を翌日に控えたある日。
私は、サプライズがしたかった。
事前にネットで有名ブランドのウェブサイトを漁り、慣れないインスタもチェックして目星をつけ、私は例のブティックへ足を運んだ。
このブランドは妻がよく憧れていたものだ。
インフルエンサーもお勧めしている。
店員の「奥様、絶対に喜ばれますよ」という魔法の言葉に背中を押され、ドヤ顔で高額なネックレスを決済。
かなりの支出だが、節目の誕生日だ。
どうってことない。
ついでに、週末は私の親に子どもたちを見ててもらうようにお願いをして、少しお高めのイタリアンでも予約しておけば完璧だろう。
たまには向かい合って、ワインで乾杯したい。
下準備を整えて、私は悦に浸っていた。
そして、脳内でスタンディングオベーションを浴びながら迎えた決行の夜。
子どもたちを寝かしつけ、静まり返ったリビングで、私は向かいのソファに座る妻へ「いつもありがとう」というセリフと共に、リボンのかかった箱を差し出した。
妻は、少し驚いた顔で箱を受け取り、ゆっくりとリボンを解く。
フタを開けた瞬間、妻の動きがピタリと止まった。
よし。
感動のあまり言葉を失っている。
確かな手応えを感じ、私は心の中で小さくガッツポーズをした。
ほんの数秒の心地よい沈黙の後、彼女は顔を上げ、少し潤んだような瞳で微笑みながらこう言った。
「……ありがとう!…気持ちがすごく嬉しい…!」
思い切って高額な予算を投じたからこそ、これほどの感動を引き出せたのだと、私は自分のプロデュース力を自画自賛した。
「……ねぇ、これ。すごく高かったでしょ…?」
家計を気遣うような控えめな言葉が、いかにも妻らしい。
「まぁね。でも節目の誕生日だから、気にしないで」
と、大人の余裕たっぷりに微笑み返した。
矢継ぎ早に、イタリアンを週末に予約していることも添えた。
妻は顔を伏せて、目を合わせようとしない。
…思わず涙している?
顔が少し赤いようにも感じる。
いずれにせよ、サプライズは成功だ。
この瞬間に込み上げる達成感は、何にも変えがたい。
リビングは穏やかな空気に包まれ、私のプロジェクトは完璧な形で幕を閉じた。
…はずだった。
その幸福な達成感が決定的な絶望に変わったのは、数日後のことだった。
リビングで申し訳なさそうにうつむく妻から、ついにあの一言が発せられたのだ。
「本当にごめんなさい。すごく、気持ちは本当にすごく嬉しいんだけど、あのネックレス、返品できないかな…」
妻の脳内で起きていた戦慄の答え合わせ
あのプレゼントを開けた瞬間、妻の脳内では私の想像を絶する戦慄の答え合わせが行われていた。
箱を差し出された瞬間、妻の感情のグラフは確かに跳ね上がった。
(お、誕生日覚えててくれたんだ。嬉しい!)
だが、中身とブランドのロゴを視認した瞬間、そのグラフはストップ高から垂直落下する。
(え…? このブランド? )
(うわ…これ高いやつ。同じ金額を出すなら、ずっと欲しかったあっちのブランドのピアスが余裕で買える…)
(気持ちは、嬉しいんだけど…)
私の完璧なはずだった事前リサーチは開始1秒で粉砕された。
さらにトドメを刺すように、私が満面の笑みで告げた「週末はイタリアン予約してるから」という追撃砲が着弾する。
(お義母さんが子どもたちを見ててくれるのかな…?)
(私、ことあるごとに『たまには2人で、カウンターの焼き鳥屋さんでゆっくり飲みたいね』って言い続けてきたんだけど…イタリアンなのね…)
(あぁ…やっぱりこの人、私の話、全然聞いてない。私のこと、何もわかってない…)
(やばい、何か言わなきゃ)
「これ、高かったでしょ…?」
あの言葉は、自分のニーズを1ミリも理解していない夫への深い落胆を必死に飲み込み、妻が捻り出したギリギリの優しさだったのだ。
もしこれが数万円程度の金額であれば、彼女も引き出しの奥に静かに塩漬けにできただろう。
しかし、このブランドの箱が意味する予算の規模は、到底その妥協を許さなかった。
私は、本当に妻が喜ぶプレゼント選びをしたのだろうか?
思い返せば、このブランドなら安牌だろう、店員が薦めるから良いだろうと決めつけていた。
これではプレゼントの押し付けだ。
他方で、私がデザインを超絶に気に入って、ぜひ妻にこそ絶対つけてほしい!といった突き抜けた熱量や思いが込められたものでもなかった。
妻は、そんな中途半端で巨大な不良在庫を前に一人で悩み抜き、ついに返品という苦渋の決断を下したのである。
「……お客様? 大変お待たせいたしました。お支払いは、カードでよろしいでしょうか?」
目の前には、上品なスーツに身を包んだブティックの店員が、完璧なプロの笑顔で私を見つめている。
私の右手は、財布からクレジットカードを半分引き出した状態で完全にフリーズしていた。
ここは、平日の夜のハイブランドブティック。
店員に薦められたネックレスに決めて、テーブルに案内された後、支払いの手前でしばらく待たされていた。
そして、私は今まさに、妻へのサプライズという時限爆弾のスイッチを押そうとしていたのだ。
私のこれまで一度も発動したことのない第六感が、警告する。
このまま突き進めば自爆すると、アラートを鳴らしている。
私の脳内でこれまで再生されていた公開処刑シミュレーションが現実のものになるぞ、と。
店員の前でカッコつけている場合じゃない。
「…すみません!大変お恥ずかしいのですが…やっぱり購入をやめて、もう少し考えてみても良いでしょうか…」
恥を忍んで私は財布を閉じ、逃げるように大理石の床を歩いて店を後にした。
結局、私はぎりぎりのところで、独断でプレゼントを買うことをやめ、すべてを妻に話したうえで、相談して決めることにした。
なぜ踏みとどまれたのかは、自分でもよくわからない。
ただ、独断で選んだネックレスの支払い前の変な間で、ふと私はフラッシュモブをやろうとしているのではないか?と思った。
決して、フラッシュモブが悪いわけではない。
しかし、妻はフラッシュモブが好きではない。
焼き鳥屋で知った優しすぎる答え合わせ
週末。
私は独りよがりな計画を完全に放棄し、妻の念願だったカウンターの焼き鳥屋にきた。
横並びで座り、香ばしい煙を浴びながら、もし私が独断でサプライズを実行していたらどうなっていたか?を妻と話していた。
妻は手元のぼんじりの串を静かに皿に置き、私が熱弁する「妻の脳内で起きていた戦慄の答え合わせ」の仮説を聞いた後、ふふっと笑ってこう言い放った。
「うん。なかなか上手いこと分析してるね。でも、本当に、事前に相談してくれてよかった!焼き鳥屋さんにもこれたしね」
私は妻の好みを見事に予測して危機を回避したのだと、心の中でひそかに自分を称えた。
しかし、次に妻が発した言葉で、私のちっぽけな自己満足がいかに浅はかなものであったかを思い知る。
「でもね、なんで私がここ最近、ずっとカウンターの焼き鳥がいいって言ってたかわかる?」
「え? 焼き鳥が好きだからじゃないの?」
「もちろん焼き鳥も好きだけど、違うよ。かしこまったレストランで、向かい合って座りたくなかったの」
妻は、カウンター越しに大将が焼く焼き鳥を見つめたまま、ぽつりと言った。
「向かい合って座って、あんな高価なブランドの箱をドヤ顔で出されたらさ、〇〇ちゃん(私)、また完璧な夫の鎧を着て、カッコつけちゃうでしょ?」
心臓が小さく跳ねた。
「私が欲しかったのは、高価なモノでも、ブランドでもないの。毎日家族のために頑張ってくれてるんだから、たまの夫婦の時間くらい、こうやって横に並んで、肩の力抜いて、お互いの顔色うかがわずに馬鹿な話をして笑い合いたかったんだよ」
妻は私のグラスにビールを注ぎ足しながら、悪戯っぽく笑った。
「だから、もしあの夜、ドヤ顔で何十万もするネックレスを出されてたら…私『そのお金で、子どもたちと一緒に温泉旅行に行くか、あと30回くらい一緒にこの焼き鳥屋に行こうよ』って言ってたと思う」
「…そっか」
私がじんわりと胸を熱くしていると、妻はハツの串をかじりながら、ふと思い出したように付け加えた。
「ま、ハイブランドの実店舗って基本的に返品はできないから、〇〇ちゃん(私)がカード切った時点で完全にアウトだったんだけどね。残念!」
エピローグ
私は、注がれたばかりのビールを静かに飲んだ。
目頭が少しだけ熱くなるのを、焼き鳥の煙のせいにした。
私は、完全に間違っていたのだ。
思い返せば、私が脳内で自信満々に組み立てていた妻の不満は、「このブランドじゃない」「あっちのピアスが買える」といった、徹底的にモノや金額に対するものばかりだった。
あの脳内シミュレーションの中でさえ、私は妻を好みがうるさい顧客としか見ておらず、自分の予算やスペックへの執着を、そのまま妻の脳内に投影して完璧な予測だと悦に浸っていただけなのだ。
妻はあえて、深く指摘してこなかっただけだった。
一生懸命に若干ピントのずれた分析を語る不器用な夫を、優しく見守ってくれていただけなのだ。
妻の心の奥底にあったのは、私へのダメ出しなどではない。
無理して見栄を張らなくていい、日常を一緒に楽しみたいという、不器用な夫への深く温かい愛情だったのだ。
もしあの日、ブティックで踏みとどまっていなかったら。
私は大理石のカウンターで公開処刑される以上に、妻のこの深く優しい本音に一生気づけないまま、空回りするプロジェクトマネージャーを続けていただろう。
ビジネスでも夫婦関係でも、表面的な要件を満たすだけでは意味がない。
こうして横並びで座り、共に同じ方向を見つめながら語り合う日々の細やかなコミュニケーションこそが、失われない信頼を作る最強のプレゼントなのではないか。
妻の真のニーズを無視した一方的なサプライズは、時として相手の優しさすら見えなくさせる、厄介な自己満足のフィルターになってしまうのだ。
最後に、追記しておきたい。
この夜、焼き鳥屋の暖簾をくぐる前に、私たちは妻が本当に欲しがっていた別のブランドのブティックへ二人で足を運んだ。
妻は、本当に最後の最後の瞬間までこれでもかという程に恐縮していたが、ずっと憧れていたピアスを無事に購入することができた。
そこにサプライズの要素は一切なかったが、妻が本当に欲しかったものをプレゼントできて、彼女がずっと求めてくれていた二人の時間を焼き鳥屋で過ごすことができた。
派手さはない。
けれど、私たち二人にとって最も満足度の高い、一生忘れられない誕生日になった。
私はいつのまにかサプライズすることが目的化してしまって、妻を喜ばせたいというシンプルな気持ちを忘れていた。
これからも肩の力を抜いて、まずは隣に座る妻の声に耳を傾けるところから始めたい。
